昼と夜の花
あの日から、私の視線はいつもディオレサンス大神官様を探して彷徨うようになってしまった。
あの瞳が……どうしても忘れられなくて……。
誰もいない庭園でひとり佇む姿を思い出すだけで、私の胸を切なく締め付ける。
私にとってディオレサンス大神官様は敬愛する存在だ。
……でも、それだけだった。
めったに姿を見かけないし、会話すらしたことのない遠い存在でもあった。
私が知っているディオレサンス大神官様は、男性とは思えないくらい美しい人で、容姿の美しさはさることながら、真っすぐに伸びた背筋、その背中をふわりと流れる銀の髪は昼も夜も煌めき美しく輝いていた。
いつも神官や貴族たちに囲まれて、穏やかで優しい微笑みを浮かべている。
女神に愛されているばかりでなく、世界中のみんなに敬愛されている華やかな存在。
もちろん、ディオレサンス大神官様を悪く言う人なんていない。
世界中から愛されている人だから、私はその微笑みを信じてしまったのだ。
彼の心の中なんてわかるわけもないのに、表面だけで満たされていると判断してしまった。
もし本当に満たされているのなら、あんなに悲しい目をするはずはない。
聞いてみたいけど、ディオレサンス大神官様との繋がりはないし、貴族の娘とはいえ、庭師に任じられた私が声をかけられる相手ではなくて……。
どうしてそんなに悲しいのだろう?
神官の誰かに辛く当たられてる?
それとも女神に祈りを捧げる大神官でいるのが嫌になってしまったの?
また誰もいない庭園に訪れ、彼があの瞳をしているのではないかと思うだけで、鼻がツンとして目が熱くなってくる。
何度だって言うけど、前世も今までも私は花があるだけで幸せだ。
花に囲まれているだけで落ち込んでいても元気になれたし、一輪の花を見ているだけでも癒された。
私は何の悩みもない恵まれた人生を送り、私を理解してくれる優しい両親に見守られ、一緒に悩みを話せる友達がいて、貴族ではあるけど、多少は貴族らしくないことも許されている。
他にも昔から地球での前世の記憶を持つ人たちのおかげで、前世の記憶持ちに周囲の理解はあるし、うっかり前世の記憶の知識を使ってしまっても受け入れられてきた。
そして、前世の記憶があるおかげで私は大神殿の庭師の責任者として指名されたのだ。
なのに、私よりたくさんのものを持っているはずの大神官様がなぜあんな瞳をするの?
……知りたい。
彼の本当の心が知りたい。
人の心を知りたいだなんて傲慢な行為だと思っていたのに、私は大神官様の心が知りたかった。
そう思うことが止められなくて、また大神官様に会えないかと、いつもより中庭での仕事をすることが多くなったと思う。
特に中庭に誰もいない時は、ドキドキする胸を押さえ、ガゼボにいる時は息をひそめてしまうようになった。
最近の私は花の世話をしながら、こんな状態で少しぼんやりしてしまっている。
今も足音がずいぶん近くに聞こえてから、やっと誰かがこちらに歩いてくることに気づいたほどだ。
いつもは足音に注意しているから、こんなに近くなるまで気づかなかったなんて初めてのことだった。
庭園を見にいらした信者さんだったら急いで下がらないと!
私は慌てて立ち上がり、服についた土を払って奥に下がろうとしたが、こちらに歩いてくるのが同僚で、尊敬している庭師だとわかってほっとする。
せっかく美しい庭園を楽しんでいたのに土まみれの庭師がいたら、少し興がさめてしまうかもしれないものね。
私は笑って彼に向って小さく手を振る。
「ネモフィラちゃん、こっちは終わったよ」
「ジムさん、お疲れ様です!」
同じ庭師でここではベテランのジムさんが、頼んだ仕事の終わりを告げにきてくれたのだ。
彼はここの庭師として長年勤めていて、庭師のリーダー的存在だった。
それなのに突然若い娘が上司になることも、笑って受け入れてくれて、仕事も早くアドバイスも的確で、私がとても尊敬している人物の一人だ。
「来週あたりに、少し花の入れ替えをした方がいいかもね。東と西の両方のE三エリアの花たちの花がピークを迎えそうだよ」
「わかりました。予定に入れておきますね。……入れ替えしたら花はブーケにしたり神殿の花飾りにしないと!」
「また花言葉を添えるのかい?」
「はいっ! 花言葉のメッセージを見つけるのって宝探しみたいでワクワクするじゃないですか」
花は咲ききるちょっと前に剪定して、ミニブーケにしたり神殿を飾ったりする。
その中にランダムで花言葉の書かれた紙を括り付けておくのだ。
そうすると、花言葉の存在を知って気になる人たちが探して楽しんでくれる。
最初はブーケも大神殿の入り口に置いた籠から自由にお持ち帰りできるようにしてあったけど、ブーケが話題になってからはいくら作っても足りなくなるほどの人気で、せっかくならお祈りの後に庭園を楽しんでもらおうと、庭園の通路沿いに小さな籠を置いて、そこにブーケを置く様にしたのだ。
そのおかげか、大神殿の庭園は人気のスポットとして貴族からも平民からも人気になっている。
ちなみに大神殿の広い庭園は左右対称に作られていて、真ん中を境に貴族用と平民用に分かれているので、どちらもゆっくり楽しめるよう作った。
トラブルになったら花が楽しめないからね!
ふとジムさんがここで一番の古株だと言うのを思い出す。
「ジムさん、ちょっと聞いていいですか?」
「どうした?」
「ディオレサンス大神官様のことなんですけど、大神官のお仕事って大変なんですか?」
「そりゃ大変だろう。女神様のお告げはいつされるかわからんからなぁ。祈りはもちろん、能力告知は大神官さまにしかできないことだし、争いや天災が起こらぬように人間同士の調停役でもある」
「いつもたくさんの人たちに囲まれてますもんね」
「ああ」
「大神官様はいつから大神官になられたんですか?」
「……大神官さまが女神様にお役目を拝命されたのは、まだ幼い七歳の時だった。過去を遡っても十四歳で拝命されたのが一番若かったのに、平民育ちで七歳ではものの道理も理解できなかっただろう。並ならぬ苦労をされてここまで来たんだ」
「七歳……」
大神官の任は女神のお告げで決まる。
そして決まったとたん大神殿に連れてこられて大神官の任につくのだ。
任についている間は婚姻もできないし、大神殿から離れることも許されない。
しかも大神官でいる時は、家族も名前も捨てさせられる。
そう……ディオレサンスとは、女神様が付けた名前なのだ。
そう考えれば大神官という仕事が大変だとわかる。
しかもたった七歳の子どもがそんなことを背負わされていたのだと思うと、どれほど寂しかっただろうと胸が痛んだ。
「女神様に愛され過ぎたんだ。幼くても手元に置きたいと望まれた……。ご両親の元から強制的に引き離され、大神殿に連れてこられた大神官さまは、涙で両目を真っ赤にし、唇を強く噛んで両手を握りしめていた……
当時のことを思い出しのだろう。
ジムさんの表情が悲しげに歪んだ。
「大神官さまももう二十七歳だ。いつになれば女神様は解放されるのだろうな……」
「……」
あの悲しい瞳の理由を知って、ほんの少し後悔してしまう。
ディオレサンス大神官様が、こんな悲しいことを背負い続けてきたことも知ろうともしなかった。
胸の奥が小さく震えたような気がする……。
風が私とジムさんの間をすり抜けていく。
その風で花たちが揺れる。
私が出来ることは限られている。
花が嫌いなら庭園に訪れるはずがない。
なら少しでも幸せになれる花を、ディオレサンス大神官様に届けたい。
ほんの少しでも心が癒されるように祈り。
目で楽しんでもらえるように美しく飾って。
心が震えるような香りに気づけるように日常に紛れさせ、花たちの愛らしさを楽しむような温かな幸せを、ディオレサンス大神官様に送ろう……。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
今回のお話は物語に流れる空気を大切に描写するように心がけています。
すこしでも皆様の心が優しくなれたら幸いです。
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※いただいた誤字脱字報告は色々と確認しながらゆっくりと修正させていただいております。




