悲し気に花は揺れる
一瞬だけ風が強く吹いて、花びらが空へと舞い上がる。
誰もいないはずだった美しい庭園にたたずむ人影がひとつ。
私は淡いピンクの薔薇が咲き誇るガゼボから、その姿を気づかれないように秘かに見つめていた。
白布に金色の刺繍が施された長衣は、柔らかな光を反射するように淡く輝き、胸元からつま先へと垂れさがる布は高位を示す藤紫色で、彩を添えるかのようにアメジストとタンザナイトの宝石が散りばめられている。
外套は、落ち着きのある優しい深い青色で、その柔らかい生地は風にはためいて裾が広がるさまは夜空を思わせた。
まるで月光のような意匠をまとった祭服はその人の長身に合っている。
月の輝きを集めたような銀の長い髪が、光を受けてゆるやかに揺らめき、その瞳は陽の煌めきを映す宝石のように瞬く。
若い女性を虜にしてしまうその整った容姿は凛々しく厳かで気品が漂う。
フレンデリアの女神タリアに愛されし唯一の男性。
ディオレサンス大神官様……。
私にとって大神官様は女神のように敬愛する遠い存在だった。
1日のほとんどを神殿の奥深くで女神に祈りを捧げ、月に一度の女神祭にだけ祭壇に姿を現す。
貴族も平民も、若い女性なら誰もがディオレサンス大神官様の美しい姿を一目見ようと女神祭の祈りに参加するほどだ。
大神殿の広大な庭園の管理を任されている私は、その管理に追われ、一度も女神祭には参加したことはない。
だからごく稀に、遠くで移動する大神官様を見かける程度で、彼の姿をこんな近くで見るのは初めてのことだった。
陽の降り注ぐ銀の髪はそこだけ光を集めたように光り輝く。
風になぶられて遊ぶ長い髪を片手で押さえつつ、少し伏せられた瞳は長いまつ毛の影を頬に落とす。
あまり陽に当たることがないからか、白い肌は少しだけ青みがかかっているようにも見える。
けれど、色とりどりの花たちに囲まれた大神官様はその容姿も相まって、幻想的なほど美しい……。
彼が数歩こちらに歩いてくる。
心臓がドキリと跳ね上がった。
ガゼボに来られたら私が隠れていることに気づかれてしまう。
盗み見ている罪悪感からか、心臓の鼓動が早まっていく。
私はいけないと思いながらも、葉の隙間から彼を見つめることをやめられなかった。
でもどうして……、誰からも敬愛される大神官様がたった一人で庭にいるのか。
一人でゆっくりしたかったのだろうかと考えたときだった。
彼の視線がゆっくりとこちらへ向けられる。
まるで時が止まったように風の音も、花の揺れる音も消えた。
誰もいないと思っていたのだろう。
大神官様の瞳は一人で孤独を抱え、寂しく、悲しみに濡れたように光っていた。
そんな瞳を見て、胸が切なく締め付けられ、私は無意識に胸元を握りしめていた。
世界中の人が羨むほど、女神に愛されている唯一の存在でいながら……なぜそんなに悲しい瞳をするのだろう。
神に仕え、民を慈しみ、世界を守るディオレサンス大神官様。
気づいてしまった。
私は彼を何も知らない……。
その日、私の心に彼の寂しげな瞳が焼き付いて消えなくなった。
これが私の人生で初めての恋の始まりだ……。
私の名前はネモフィラ・フィールデン子爵令嬢。
実は生まれ変わる前の記憶を持っている。
転生前の名前は、橘 桜。
父は植木屋、母は花屋、一番上の兄は植木屋の跡取り。
二番目の兄は京都で寺の専属庭師をしている。
そして末っ子の私は高校を卒業してすぐにイギリスの園芸学校に留学し、RHS(英国王立園芸協会)の資格を取得して日本に戻って来た。
母の仕事を手伝いながら、ガーデンデザイナーとして毎日大好きな花と緑に囲まれ、楽しく幸せに働いていたのだ。
こんな家庭環境だから物心ついた時から草木や花が大好きで、家族の後をついて回り、仕事の手伝いという遊びをし、気づけば朝から晩まで植物のことばかり考えるようになっていた。
だから私にとって、ガーデンデザイナーこそが天職だったと思う。
依頼で顧客の庭を美しく変えていく。
それを見た顧客の反応が何よりの至福だった。
でも気づけば私はフィールデン子爵の一人娘、ネモフィラとして生まれ変わっていた。
この世界、フレンデリアは花と豊穣の女神タリア様の創造した世界だ。
たくさんの花が咲き乱れ、優しい木陰を作る葉を揺らす木々に囲まれる地球と同じ草木のある世界だった。
この世界でも私は歩けるようになると庭に出て、土をいじり、花に水をやる。
そればかりしたがる私にフィールデン子爵家の両親は少し困ったように笑いつつも、私の好きなようにさせてくれたのだ。
月日が流れ手足が伸びて成長すると、私はさらに庭いじりに夢中になっていった。
両親は私が育てた花を見て、たくさん褒めてくれる。
男爵から子爵に陞爵して領地も広がり、年々フィールデン子爵家は裕福になっていった。
私がガーデニングに使うお金も惜しみなく与えてくれて、私は前世で学んだことを生かし、様々な技術を駆使して自分の家の庭を造った。
美しく整えられた庭。
それは母のお茶会に参加した人たちの話題になっていく。
私はいつしか花を摘んでカラフルなラッピングで小さくて可愛らしい花束を作り、花言葉から読み取れる言葉をカードに添えてお客様にお土産として渡すようになっていた。
そのおかげなのか、うちに来るお客様から庭の案内を頼まれるようになり、話のついでに花束に添えるカードのことを聞かれ、私はこの世界にまだないはずの花言葉の話をしてしまったのだ。
それからは花言葉のことを聞かれるようになり、私も困る事態となる。
いくら花が好きで花言葉を覚えたといっても、花の種類は無数にあって花言葉も花ひとつに一つというわけではない。
とてもすべての花言葉を覚えていられるはずもなく、覚えていない花言葉は捏造するしかなかった。
私は薄い木の板でラベルを作り、自分が忘れないようにするためだけでなく、庭にいらしたお客様が私に聞かなくてもわかるように、そこに花の名前と花言葉を添える。
この世界は地球と同じものがあって、同じ名前が付けられている。
もちろん地球と同じ草花があり、名前ですらほぼ同じだった。
それはたぶん、この世界には私のように地球での前世を持つ者がある一定数いて、その記憶によって名付けられたのだろう。
そんなふうにこの世界は、地球と深い繋がりがあるような不思議な世界だった。
だから今後、前世の正しい記憶を覚えている人が現れたら、私の捏造してしまった花言葉は修正するつもりだ。
せっかく昔の人達が花に花言葉を送ったのだから、ちゃんと送られた正しい花言葉に戻してあげたいと思う。
そうしているうちに、いつの間にか私のガーデニングは貴族の間に周知され、たまに母の友人から庭のプロデュースを頼まれるようになっていった。
それはさらに大きな繋がりを生み、私はこの世界の女神を祀る大神殿の庭などの責任のすべてを任されるようになっていった……。
大神殿の中庭の先には花を育てる花畑も作った。
常にたくさんの花にあふれていたので、私は神殿に礼拝にいらした方が少しでも楽しんでもらえるようにと、籠を入り口に用意し、そこに家で作っていたのと同じ、花言葉のメッセージを添えた可愛らしい小さなブーケをお持ち帰りできるように置いておいた。
それは神殿に来る人達の話題となり、一般人は入ることが出来ないエリアに出入りすることも許されるようになり、いつしか大神殿は花にあふれる美しい場所だと言われるようにまでなっていった。
膨大な庭なので大神殿にはたくさんの庭師がいる。
私はその庭師さんと連携をとりつつ、庭を管理し、ガーデニングする。
さらにブーケを作ったり、庭や花畑の花を使ってフラワーアレンジメントして神殿を飾ったりするのが私の仕事だ。
朝から晩まで神殿の庭で色々なことをする。
たくさんの美しい花に囲まれ、好きなようにプロデュースすることも許されて、私は毎日が幸せだった。
子爵家の貴族の令嬢としてはありえない境遇なのだけど、昔からしてきたことが認められ、褒められ、幸せな笑顔を見られることが、何よりも幸せを生み出した。
大神殿の庭の管理を任せたいと話があった時は、飛び上がるほど嬉しかった。
うちに来て中庭を案内したお客様から、一番の望みを問われたときに、私は広大な庭を好きなように出来るような仕事が欲しいと望んだ。
それはうちに来るお客様たちから他の人へと繋がり、大神殿の責任者へと伝わり、今こうしてこの仕事をしている。
22歳の年齢的に一人娘の私は、そろそろ結婚して婿をとって家を継ぐことも考えなければいけないのだけど、両親は前世の記憶を持ち、草花に触れたがる私に何も言わず見守っていてくれる。
両親は継ぐと言っても婿が子爵の仕事をするようになるのだし、私が結婚して子供が出来なくても親戚の伝手で養子を迎えることが出来るのだからと、好きにすればいいと言う。
父の代で子爵に陞爵したせいで、うちは平民思想と貴族思想が変に混じっている。
他の貴族が絡むようなことは、貴族的な思想をきちんと持っているのに、それ以外は柔らかな思考の持ち主なのだ。
そのおかげで私は仕事をし、花に囲まれる生活を送れているのだけど……。
そんなふうに毎日が充実し、幸せに満ち溢れていた。
誰もいないと思っていた中庭でディオレサンス大神官様の寂しげに揺れる瞳に気づくまでは……。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
納得できるような最初の書き出しに何日かかったか……。
自分にロマンチックという文字が消えかけていることに気づき、私なりのロマンチックを求めて執筆しております。
書いている間にロマンチックが戻ってくるといいのですが……。
良かった、今後に期待、ここが……などがありましたら気軽に感想などお送りください。
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※いただいた誤字脱字報告は色々と確認しながらゆっくりと修正させていただいております。




