File.1-12 KILLER
「京さん、最後に一つ訊いてもよろしいですか」
手錠をかけられ、学文路に連行されそうになっていた京を彩瞳は呼び止める。京は扉の前で立ち止まって振り向く。
「京さんは、埋火さんを刺してしまった後、すぐに現場から立ち去った。これは…間違いないですか?」
彩瞳の質問。その意図が守には分からなかった。
自分は何か見落としているのか。重要な何かを。
そう考えているうちに京から返事が返ってくる。
「…さっきも言ったとおりだ。怖くなって、すぐ逃げたよ」
「…そうですか」
返事に対してはただ一言の「そうですか」。そのまま彩瞳は再び思考に戻ってしまった。
学文路と京が屋上から消えても、彩瞳は何かを考えている素振りだった。
分からない。守には目の前の探偵が何をそんなに考えているのかさっぱりだった。気になった守は問いかけることにする。
「煌さん。何か腑に落ちないことでもあった?」
「……たった今その腑に落ちないことが出来ました」
たった今というのは直前に彩瞳が京に尋ねていた瞬間のことだろう。
「それはどんな」
「…血ですよ」
「血? Bloodの血?」
「そうです」
血…。それが一体どうしたというのか、守は疑念にたどり着けない。
守の様子を窺った彩瞳は、一呼吸おいて話し始めた。
「京さんは確かに『刺した後にすぐその場から逃げた』と答えてくれました。だとすると、私たちが来た廊下には無いと不自然ですよね。埋火さんが刺された際の血痕が」
「あっ」
図らずも声が出てしまう。確かにおかしいと守も気づく。
「すぐ逃げたということは、飛び散った血痕を拭くなどして消していないから廊下には残っているままのはずなのに、実際廊下には血痕が皆無だった」
「その通りです。最初は京さんが隠滅作業を行ったものとばかり思っていましたが、京さんの証言通りとなると話は別です」
家庭科準備室はまさに血の海だったのに対して、埋火が刺されたはずの廊下には血痕が一つも残っていなかった。すなわちある事実を示していた。守はその事実を呟いた。
「血痕を消した人間が他にいる…」
~~~~~
ピンポーン…。
「こんな時間に誰だよ…」
守はため息をつく。
夕方六時過ぎ、アパートでの一人暮らしが板についてきた守は夕食を準備していた。最近料理にはまった守は、ネットでさまざまなレシピを検索しては手順に倣って調理をしていた。今晩はお手軽野菜たっぷりカレーライスを作ろうと、コンロの加熱やら野菜のカットやらをこなしていた。
炊飯器の時間をセットしていると自分の部屋のインターホンの音が耳に入る。
トボトボと力なく廊下を進んで、玄関の扉のロックを解除して恐る恐る開ける。
するとそこには見知った顔があった。
「…父さん?」
五十代半ばの男。守の父親の正司だった。
正司はエプロン姿の守を見るなり、口角を上げた。
「なかなか似合ってるな。守's Kitchenの時間かな」
「寝言は寝てからよろしく」
そう言って守は扉を閉めようとする。慌てて正司は扉を掴んで無理矢理開ける。
「悪い悪い。大事な話があって来たんだよ」
守は再度、大きくため息をつく。
正司を部屋に入れるとダイニングテーブルに適当に案内して、守はキッチンでカレー作りを再開する。
ダイニングに着くや否や正司は真剣な面持ちになる。
「今日は、守に忠告をしに来た。警視総監として」
実は、正司は警視庁の長である警視総監だ。いわゆる警察のトップ。その警視総監が我が息子とはいえわざわざ自分の足で忠告をしにここまでやって来たというのだ。
無論、守は怪訝そうに聞き返す。
「どういう意味?」
「では、単刀直入に言おう」
「はあ」
「…煌彩瞳とは今後、関わらないでほしい」
予想もしない言葉が父親の口から告げられ、守は目を見開く。何を言ってるんだ、と正司を凝視する。
「突然押し入って来たかと思えば、煌さんと関わるなって……どういう忠告なわけ?」
「深入りは無用だ」
「なら断る」
守はきっぱりと正司に言い放った。
「第一、理由も分からないのに関係を断てなんて言われても納得できんわ。てか、そもそもなんで父さんが煌さんのことを知ってるんだ」
疑問だらけだった。わざわざ出向いてきてまでこの父親は何を伝えたいというのか。守にはまだ理解が出来ていない。
「……七年前。東京都内のとある四人家族の一軒家で、殺人事件が発生した」
「え?」
唐突に始まったのは何やら過去の事件の説明。
一体何を説明しようとしているのか。
「遺体で見つかったのは、父親、母親、兄の三名。三名は全員家の中で死亡していた。そして三名とも遺体がバラバラに解体されていた。ただ一人、妹のみ生存していたが、妹は発見時チェーンソーを持って父親の遺体の傍に棒立ちしていた」
「ちょ、ちょっと」
「現場の状況から犯人はその妹だと思われたが、当時彼女は十歳。物的証拠もなく捜査は進展せず、事件は迷宮入りした。…ここまで言えば分かるだろう?」
「……馬鹿な」
信じたくなかった。いや、信じれない。そうであってほしくない。
その願いはすぐに消し飛ぶ。
「その妹こそ、守のクラスに転校してきた探偵、煌彩瞳だ」