File.1-11 氷解
「今、氷解した」
守の耳にははっきりと聞こえた。その言葉が彼女の、煌彩瞳の真相を突き止めたときの合図だと理解する。
「警部さん」
「…随分と雰囲気が変わったようだね、お嬢さん」
学文路は彩瞳の変わりように驚きつつも、すぐに気を取り直す。
「突然で申し訳ないのですが、初めてもいいでしょうか。この高校で巻き起こった二つの事件の推理ショーを」
彩瞳は屋上の中央まで歩みを進めると、周囲をぐるりと見まわし、淡々と、冷静に、はっきりと伝える。再び守の目は彼女の姿に釘付けになった。
代表して学文路が「構わない」と頷いて了承する。
「ありがとうございます。では早速始めさせていただきます。まずは、この吟宮さんが殺害された事件から紐解いていきましょう」
(既に吟宮の事件の全貌が分かっているということか…バケモノだ)
バケモノという例えは少し酷いかと後から考える。しかし、そう比喩してしまっても仕方がないほど、彼女の現場を認識する能力は想像以上に優秀であった。
「え、まだ何がなんやら…」
今さっき到着した回里は混乱していた。
「既に察している方もいるとは思いますが、吟宮さんの事件には仕掛けが施された形跡が無いです。ここから導かれるのは、トリックが存在しないという事実です」
「でも現にあそこの扉は私が入ったときに、遺体が扉を塞いでいて密室状態だった。どうやって犯人はこの屋上から姿を消したというの?」
冥府瀬が彩瞳に問うた。その疑問は至極当然のもので、扉以外には犯人が屋上から逃げ出すルートが存在しないからだ。
「簡単なことです。犯人はこの屋上から姿を消してなどいなかったんです」
「い、意味がよく分からないですが…」
夕湫が眉をひそめる。
「つまり、犯人は吟宮さんを襲撃して命を奪った後、死角にずっと隠れていたんですよ。例えば…この扉の上とか」
推理を披露しながら彩瞳は一歩、二歩、ゆっくりと歩く。
「冥府瀬会長が扉を開けて遺体を発見する。その隙に身を潜めていた犯人はさも今屋上にやってきたように振舞ったということです。そうですよね?」
やがて彼女の足がとある人物の前で止まる。
その人物に向き直ると、弧を描くように腕をあげて指をさして人物の名前を告げる。
「…京さん。あなたが、今回の事件の犯人です」
屋上は静寂に包まれる。ただただ風が彼女らの横を吹き抜けるのみ。
犯人と宣告された本人、京は数秒後、特に表情を変えることもなく口を開く。
「…僕が彼と、埋火を殺害した犯人だと?」
「ええ」
「何の証拠があって?」
表情は変わっていない。だが京の口調は確かに怒りを帯びていた。犯人呼ばわりされるのは心外だとでも言わんばかりに。
「お気づきではないのですね」
一言、彩瞳は京をまじろぎもせずに見る。
「屋上の扉の前に汚れた水たまりがありましたよね? あれは掃除後の水なんですが、女子生徒が誤ってバケツを倒してしまって零してしまい、大きな水たまりが出来てしまっていました。飛び越えることもできない程には。当然、水たまりに足を突っ込んで進むしかないです。そうすると通った人のスリッパは……汚れますよね?」
京はその瞬間ハッと何かに気づき、自身が履いているスリッパに視線を落とす。
「…本当だ。皆、スリッパや裾、足に水の痕がある。でも、京君のスリッパにはその痕が一切ない」
「その通りです。乙鳥君。冥府瀬会長より後に階段をのぼって屋上まで来たのなら、必ず痕が付くはずなのに、彼のスリッパに汚れた水の痕が無い。それが意味するのは、京さんがその水たまりが出来る前から屋上にいたということ」
全員が息を吞む。完璧なまでに京が犯人であることを指し示していたのだ。
告げられた事実に納得し、学文路は別の質問を彩瞳に投げかける。
「じゃあ埋火の事件も解けているのかい?」
「もちろんです。こちらも仕掛けなんてありません。偶発的にあの密室は出来てしまったのですから」
「偶発的。しかし外側からは施錠は出来ず、内側からの施錠のみが可能だ。どうやって密室状態へ変わったというんだい?」
第一の密室については今回の屋上とは違い、しっかりと施錠されていたことが確認できている。どの可能性にしろ、説明が求められる。
「大まかな流れはこうでしょう。京さんが埋火さんを襲ってアイスピックで刺してしまった。埋火さんは家庭科準備室に逃げ込み、京さんが入ってこれないように内側から鍵をかけてそのまま出血多量で死亡。結果的に不可思議な密室が完成したという訳です」
「そ、そうか。命尽きる直前に埋火が施錠したということか。それに埋火が悲鳴をあげなかったのは、自分を襲った相手が愛している京だったからってことか」
現場の状況と一致している。何より筋が通っている。京が犯人で間違いない、と守は確信した。
今まで無表情の京だったが、段々と肌が青白くなっていく。ポツリと彼は呟く。
「僕は悪くない。悪くなかったんだ」
「何で二人を…殺したの」
一歩前に出て冥府瀬が問いただす。
「殺すつもりなんてなかったんだよ。埋火がストーカー常習犯だったのは知っていると思うが…。今日はたまたま僕は委員会の活動で朝早く登校したんだけど、埋火はそれを待ち伏せしてた。…人気のない廊下のあたりに来た時に彼女がアイスピックを持って襲ってきたんだ。無我夢中で抵抗した。気づけば僕はアイスピックを奪って彼女に突き刺していた。頭の中が真っ白になって、すぐにその場を逃げ出した」
語られる真実に驚くも想像は容易であった。埋火ならやりかねないからである。
「その現場を、彼が、吟宮が見てたらしくね。屋上に呼び出されて自首するよう説得されたんだよ。でも俺は捕まりたくない。だから口封じに…」
口を閉ざす京。俯いたまま微動だにしない。
学文路は「はあ」とため息をついて、京の傍まで移動して手錠をかける。
終わった。守は安堵の息を零して彩瞳に駆け寄る。
「…煌さん?」
彩瞳は何故か顎に手を当てて思考していた。守には理由が全く分からない。今しがた事件は解決したと思っていた。しかし彩瞳はどこかに腑に落ちない様子だった。
「…おかしい」
彩瞳はそう言った。