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魔導院物語

喘息もちの詠唱魔術師

作者: ポロニア

魔導院物語の短編になります。

「お前ら!武器屋に感謝しろ!」と、同世界の設定で書いていますが、未読の方でも問題なく読めるように書きました。拙い文章ですが宜しくお願いします。

 散々に使い古した魔導書を広げて机に向かっていると、水差しを手にした母親が部屋に入ってきた。


「トナエル。喉の具合はどうかしら?」

「ああ、母さん。今日は割といい感じだよ」

「このところ妙に肌寒いから調子を崩すのも無理はないわ。ほら、上着を着なさい」

「ちょっと、自分で着れるからいいよ」


 やや過保護なきらいのある母にそう返した途端、ゴホゴホと咳き込んでしまった。

 まあ大変と、手渡されたコップに口を付けて喉を潤すと、咳は少し落ち着いた。


「ねえ、身体の弱い貴方がそんなに無理をして冒険者なんてならなくてもいいじゃない? この村に残って学校の先生を目指すのも立派な事だとお母さん、思うわよ」

「そうだね。教職に就くのも良いと思う。でも、それでも僕は友だちと一緒に旅に出てみたいんだ」

「トナエルの気持ちは良く分かっているつもりよ。でも咳が治まるまで魔法の練習は止めておきなさい」

「はいはい、分かったよ。母さん」


 ……母さん、魔法と魔術は違うんだよ。

 比較的に詠唱の短い現代魔導術式を魔術と呼び、長く複雑な古代語詠唱を織り交ぜた古代魔導術式の事を広義で魔法と呼ぶんだ。


 そんな基本的な知識ですらも、この辺境の村には伝わっていない。


 せっかく魔術の才を見込まれて中央の魔法学校に推薦されたものの持病の喘息が悪化して、たった1年通っただけで故郷に出戻りになるなんて夢にも思ってもいなかった。


 こんな風に体調が良くない時ほどイヤな事ばかり考えてしまうし、無駄に健康的な幼馴染の顔を思い出してしまう。


 勇者に憧れているローシャは、幼い頃から剣術道場に通って朝から晩まで木剣を振り回している。その腕前は、ちょっとした剣術大会の少年の部で優勝するほどだ。


 心優しいルオナは、生傷の絶えないローシャの為に教会で回復術の勉強をしている。もしかしたら神父様よりも治療が上手いのではないかと、村では密かに評判になっている。


 僕だって魔法学校で魔法を身に付けて、二人と一緒に伝説とまではいかなくても、物語みたいな冒険の旅に……


 そう言えば、今日は二人はどうしたのだろう?

 いつもなら昼頃には顔を見せに来てくれているのに。

 いよいよ僕の事なんてどうでも良くなってしまったのかも知れないな。

 考えてもみれば魔術師なんて街まで出れば珍しくもないし、旅の仲間は僕である必要も無い。

 村一番の秀才だなんて持ち上げられて調子に乗ったのがこの有様だ。

 こんな事なら魔術の才なんて無いほうが良かった。


 無駄に夢見てしまったじゃないか。


 *


 日暮れを知らせる晩鐘の音が聞こえてきた。

 もう、そんな時間かと読みかけの本を閉じかけたその時、鐘を鳴らすリズムが普段とは違う事に気が付いた。

 カンカンカンッと連打する鐘の音の合間に「子供が……」とか「……帰ってこない」と、大人たちの(ざわ)めく声が切れ切れに聞こえてきた。

 ひたすらに繰り返される鐘の音に胸騒ぎを覚え、僕は外套を手に取った。


「トナエル! こんな時間にどこに行くの!?」


 制止する母の声を背に、掴んだ外套を肩に引っ掛けて村の広場へと駆ける。

 夕陽が沈みゆく森の木々が、薄闇の中で手を伸ばす不気味な魔物のように蠢いている。嫌だな。幼い頃から悪い予感ばかりが当たるんだ。

 

「何かあったんですか?」


 普段は集会に使われる広場には、手に手に鉈や斧を手にした大勢の村人たちが集まっていた。

 何かに追い立てられるような、殺気立った大人たちの放つ雰囲気に気圧される。こんな時に子供の僕が声をかけても、ガキはさっさと家に帰れ! と叱られるのは容易に想像がつく。


「誰かいないか……」


 少しでも話が通りそうな大人がいないか探し回っていると、幼い頃に僕の魔術の素養を見出してくれた小学校の恩師の姿が目に入った。


「先生、お久しぶりです。トナエルです」


 先生は一瞬、驚いた顔をしたが、すぐに髭面を綻ばせて僕の両肩に手を置いた。


「おお、トナエルか。君は無事だったんだな」

「僕は一日、家にいましたが、何かあったのですか?」

「ローシャとルオナの姿が見えない。まだ家にも戻っていないようだ」

「あの二人が? 居なくなったのはいつからですか?」

「昼頃にローシャとルオナが連れ立って森に向かうのを見た人がいる。君は二人から何か聞いていないかね?」

 

 ……森に?


 釣られて森に目をやると、木々の向こうは薄暗く、早くも夜に鳴く虫の声が聴こえてくる。

 とはいえ、もう大人並の仕事を任されるような年頃の男子2名の戻りが遅いと心配するには、少々

大仰ではないだろうか?


「もしかしたらルオナの薬草摘みに付き合って遅くなっているのではないかと思います。でも僕らももう14歳にもなりますし、少し大げさじゃないですか?」

「薬草摘みか。場所は分かるか?」

「ええ、何度か一緒に行った事があります。泉のほとりに薬草が群生している場所があります」

「よし、トナエル。先導してくれないか?」

「それは別に構いませんが……」


 子供たちは湖の(ほとり)に居るかも知れないぞ! と、先生が大声を上げて松明を掲げると、僕と先生の周りに意気揚々と村人たちが集まってきた。


 「おじさんたちに任せろ!」とか「さあ、助けに行こう!」と、妙にテンションが上がった大人たちに励まされ、僕は急造救助隊を引き連れて森の奥に向かって歩き始めた。


「あの、先生これはいったいどういう事ですか? ちょっと普通じゃないですよ。何か事情があるのなら教えてください」


 険しい顔で薄暗い森の向こうを睨んでいた先生が、僕の質問に重たげに口を開いた。


「年頃の若者が妙な冒険心を出さないように、あえて知らせないようにしていたのだが、王国騎士団がこの辺りに手負いの魔物を追い込んだまま取り逃がしてしまったんだよ」

「手負いの魔物!? そんな……ローシャとルオナが危ないじゃないですか!?」

「トナエル、落ち着きなさい。騎士団からの説明では、取り逃したのは『陽のある場所では活動が出来ない魔物』らしい。急げばまだ間に合うはずだ」

「そうですか……」


 松明の明かりを頼りに夜の森に足を進めながら『陽のある場所では活動出来ない魔物』について考える。

 単純に狼などの夜行性動物の類を思い浮かべてみたが、わざわざ王国騎士団が出張るほどの凶悪な動物なんてすぐには考え付かない。


 ――――陽のある場所では活動出来ない?


 逆に考えれば『光の届かない暗所に潜む魔物』という事だろうか。


「まさか……」


 身体が震えたのは季節外れの冷気のせいだけではない。

 言いえぬ不安に外套の前を合わせたその時だった。


「おい! そこに誰かいるぞ!」


 大人たちが一斉に駆け出すのに合わせて後を追うと、松明の明かりの向こうに足を引きずる様にして歩く小柄な少年の姿が見えた。


「ルオナ!!」


 幼馴染に向かって大声で呼びかけると、ルオナは僕の顔を見た途端、糸が切れた人形のように倒れ込んでしまった。


 村人たちを掻き分けて、倒れ伏せた華奢な身体を助け起すと、


「ああトナエル……咳は……喉は?」


 ルオナは譫言(うわごと)のように呟いて、焦点が定まらない視線を僕に向けた。


 こんなになっても僕なんかの心配をするルオナの優しさに胸が(つか)える。


「ルオナ、僕は大丈夫だよ。それよりもローシャはどこに?」


 溢れる涙をそのままにしてローシャの安否を尋ねると、ルオナは苦しい息の下、途切れ途切れに答えた。


「向こうで、ローシャが、時間を、稼ぐって」

「時間を稼ぐ? ローシャは何を相手にしているんだ?」

「亡霊の群れが……」

 

 呟くように言うと、ルオナは気を失ってしまった。

 だが、ルオナの発した不穏な一言は村人たちの動揺を誘うには十分すぎるほど十分だったようで、「ぼっ、亡霊の群れだって!?」と、大人たちは狼狽(うろた)えた声を上げて、互いの顔を見合わせた。


「亡霊だなんて、そんなの俺たちの手には負えねえぞ」

「一度、村まで戻って王国騎士団に知らせるのが先だ」


 言い訳みたいに口走って、何人かの村人たちは踵を返して来た道を戻って行ってしまった。


「ちょっと待って下さい! 友だちを、ローシャを助けて下さい!」


 こうなると人間は脆い。ついさっきまで気勢を上げていた村人たちは、我先にと逃げ出してしまった。

 走り去る大人たちの背中を絶望的な気持ちになって見送っていたが、それでも先生と7,8人の顔見知りの大人だけが僕らの周りに残ってくれていた。人間性とは、こういう時にこそ試されるのだと弱冠14歳にして気付かされてしまった。


「やれやれ。だが、少々集まり過ぎていたくらいだから、丁度良い人数にまとまった、と考えようか」


 先生は苦笑いを浮かべて村人たちが逃げて行った先を眺めてから、次に真剣な顔をして僕の目をジッと見つめてきた。


「トナエル。君はルオナを連れて村に戻りなさい。ここから先は大人の仕事だ」

「嫌です。僕も連れて行って下さい。僕もローシャを助けに行きたい」

「聞いてくれるかいトナエル。子供はね、村の未来なんだよ。だから子供を守るという事は、村の未来を守るのと同じ事なんだ。ローシャは先生が命に代えても助け出すから、ここは任せてくれないか」


 そう言って先生は、ワザとらしくニヤリと笑ってみせた。


「だいたい、君に魔術の手解(てほど)きをしたのは誰だったかな? 私だって少しは魔術の覚えがあるんだ」

「それなら尚更(なおさら)、僕も連れて行って下さい。相手がアンデッドなら火や光に弱いはずです。僕だって魔法学校で魔術を学んできたんですから!」


 ゴホッと、つい力んで咳き込んでしまったその時、「……学校に行ってたの1年だけだけどね」と、ルオナの皮肉っぽい声が聞こえた。


「ルオナ、良かった。気が付いたか」

「まだ頭がガンガン痛むけど大丈夫」


 こんなのどうって事もないよ、そう言ってルオナは膝に手を置いてしっかりと立ち上がった。

 幼い頃から、しょっちゅう女の子に間違われるような見た目をしているのに、心も身体も一本芯が通っているのが男子ルオナだ。


「亡霊の群れは動きが遅いから、これならどうにか逃げ切れそう、と思ったんだけど、背中に触られた途端に急に力が抜けちゃって」


 ルオナは悔しそうに顔を歪ませる。


「そしたらローシャが囮になってくれたんです。早く助けにいかないと」


 逸るルオナを宥めながら、先生は「それはエナジードレインだ。生命力を奪う不死者(アンデッド)の仕業だ」と、低い声で言った。


「相手は不死者だと思われるが、王国騎士団の情報が確かならば弱っているはずだ。ローシャを見つけ出して直ぐに脱出しよう!」


 先生の檄に、残った大人たちが「おう!」と応える。


「トナエル、ルオナ。ローシャを見つけたら、私たちには構わず君らが連れて逃げろ」

「先生たちは?」

「無理はしないよ。なるべく時間を稼いで離脱する」


 そう言って先生はルオナに向き直る。

 

「ルオナ。ローシャと別れたのは、この先で合っているかな?」

「はい。ひたすら真っすぐです」


 僕は逃げて行った村人が落としていった松明を拾い上げて、頭上に掲げてみせた。


「さあ、行きましょう!」


 いまや半分以下の人数になってしまった救出隊を先導しつつ魔術詠唱を頭の中で繰り返していると、ルオナが隣に並んできた。


「ルオナ、頭は大丈夫なのか?」

「何それ。頭おかしいのか? って意味?」

「どうしてそう取るんだ? 話の筋を読めよ」

「あははっ、大丈夫だよ。こう見えても鍛えているから」


 ルオナはグッと力瘤を作って見せてきたが、ただ可愛くしか見えない。


「この先、僕の回復術が役に立つかも知れないし、僕も行くよ」


 格好付けて言ってみたつもりだろうが、ただ可愛くしか見えない。


「そうだ。トナエルにこれを渡しておきたかったんだ」


 手渡された小さな巾着袋の中には、金色の小さな丸い玉がギッシリと詰まっていた。


「これは丸薬か?」

「ちょっと惜しい。トナエル専用のノド飴でした。首領バチから採れるハチミツと黄金柑、各種ハーブを煮詰めて作ってみました」

「舐めてもいい?」

「お口に合えば良いのですが」


 期待に満ちたルオナの視線を感じつつ袋からノド飴を一粒取り出し口に含むと、ハチミツの濃厚な甘さと柑橘の爽やかな酸味が口いっぱいに広がった。心なしか喉のイガらっぽさが和らいだ気がする。


「少し僕には甘すぎるけど、結構イケるな」

「キャンディーじゃなくて、あくまで薬だからね。首領バチのハチミツは栄養がありすぎるから一日

2粒までにして」

「それ以上、食べたらどうなるんだ?」

「ローシャは試作品を3粒舐めたら鼻血が止まらなくなった」

「……もう舐めちゃったんですけど?」


 ほんの一時だけ、ルオナの明るさのおかげでキツい現状を忘れられた。


 また3人でイイ事もアホな真似もいっぱいしたい。

 3人で珍しい物を食べたり、凄い景色を見たい。

 そして、3人で物語みたいな冒険の旅へ――――


 今一度、思いを新たにしたその時、僕らの周囲に薄い霧が漂い出した。


「こんな時間に霧が……?」


 先を歩いていた丸っこいおじさんが霧に向かって手を伸ばした途端、おじさんはその場に声も無く座り込んでしまった。


「それは霧じゃなくて亡霊(ゴースト)だ! 迂闊(うかつ)に触れると体力を奪われるぞ!」


 先生が大声で警戒を促したが、まとわり付いてくるような霧から逃れるのは容易ではない。

 手にした武器で切り払おうとも、一旦は散り散りになった霧は、直ぐにまた人のような形になって、まとわり付いてくる。


「フラメン・クム・アンツ・炎よ……くそっ、ダメだ」


 初めて見る亡霊の姿に、声が震えて思ったように詠唱が出来ない。


「まずいな。このままではジリ貧だ」


 先生が呻くように声を上げる。

 亡霊の群れは僕らの周りに集まり、包囲をジワジワと狭めつつある。もう、すぐそこに苦悶の表情を浮かべた亡霊が迫ってきていた。ここまで接近されては魔術を使おうにも詠唱するだけの時間が無い。


 これでは伝説どころか物語すら始まらないうちに終わってしまう。

 どこかに突破口は……必死になって辺りを見渡していたその時だ。


「ウラウラウォルァッ!」


 聞き馴染みある雄叫びが、どこかから聞こえてきた。

 あのクセが強いがなり声は……ローシャだ!!

 

「あれ? トナエルとルオナか? それに先生と知らねぇオッサンたち?」


 ボサボサ頭を振り乱し、松明を手に突っ込んできたローシャが、とぼけた声を上げた。

 もっと悲惨な姿を想像していたのに、思っていたより元気そうな姿で安心した。


「ローシャ! 良く無事で!」

「ああ、どうもコイツら火に弱いみたいでさ。剣捨てて松明ブン回してた」


 ウラァ! と鋭い突きを放つようにローシャが松明を突き付けると、霧の亡霊は怯んだように後ろに退いた。

 それを見た村人たちは、ローシャに倣い松明を振りかざして亡霊の包囲を崩していく。


「これはイケるぞ!」

「俺らでも倒せるんじゃないか!?」


 歓声を上げて亡霊を追い立てる大人たち。

 よし! 僕もこの機に乗じて得意の火炎系魔術を叩き込んでやる!


 どうせなら亡霊が密集している所に撃ち込んでやろうと意気込んで狙いを定めた時だ。急に亡霊の群れは身の毛もよだつような金切り声を上げた。あまりに恐ろしい叫び声に思わず両手で耳を塞ぐ。


「何だ? 何が始まったんだ?」

 

 渦を巻くように亡霊が中空の一点に集まり、いるはずの無い馬の(いなな)きが聞こえた。すると、渦の中心からハッキリとした輪郭を備えた何かが姿を現した。

 漆黒の馬にまたがる鎧の騎士。いや……それは騎士の姿をした死の化身。威風堂々とした騎士も逞しい黒馬も、有るべきところに有るはずの物が無い。


首無し騎士(デュラハン)……」


 誰かが怯えた声を上げる。

 いつの間にか虫の音も消え、森から生気が急速に失われていく。

 馬上から僕らを見下ろすように佇んでいた首の無い騎士は、脇に抱えていた鉄仮面を高く掲げた。その途端、酷い耳鳴りと異様な圧力が頭上から圧しかかってきた。


「なんだ、これ……力が抜けていくような……」


 全身を圧し潰すような倦怠感に耐えきれず、つい片膝を突いてしまう。


「そうか、これがエナジードレインか」


 傍らのルオナに目をやると、胸を押さえて苦しそうに喘いでいる。

 冒険の最初の敵がいきなりデュラハンでエナジードレイン。

 僕らの物語は、随分とハードなスタートじゃないか。

 

「トナエル、すぐに回復術をかけるから待ってて」


 ルオナは必死の形相で回復術の祈祷を始める。

 いち早く立ち上がったローシャは松明を手にデュラハンに立ち向かい、大人たちがそれに続いていく。


 ――――戦士が前面に立ち剣を振るい、僧侶が回復の祈りを捧げる。こんな時、魔法使いは何をするべきか?


 まずは敵をよく観察しろ。そもそもデュラハンなんて、まともに戦って勝てる相手では無い。あんなのは本職の冒険者が命を懸けて戦う魔物だ。でも、どうした事かローシャたちは松明でやりあっているじゃないか。見ればデュラハンは武器を持っていない? それに首無し馬も今一つ動きが緩慢だ。


「そうか……王国騎士団が『手負いの魔物を追い込んだ』って話だったな」


 打倒するのは無理だとしても、逃げおおせるだけなら打つ手はある。


「フォーヤ・ジェン・ディ・ヴァン=炎よ壁となれ!」


 短い詠唱を終えると、デュラハンとローシャの間に背丈を超えるほどの炎が燃え上がった。突如として現れた炎の壁に互いに意表を突かれたのか、ローシャは慌てて飛び退き、首無し馬が後ろ足だけで立ち上がる。


「今だ! みんな逃げよう!」


 声を振り絞って叫んだその時だ。

 喉の奥がヒュウと鳴った。


「そんな、こっ、んな、時にッ!」


 止めようともがくほど咳が止まらない。あまりの苦しさに蹲ってしまうと、黒い馬脚が視界の端に入った。

 そう、正解だ。僕がデュラハンの立場だったら、小煩い魔術師から先に始末するだろう。


 ――――みんな、上手く逃げおおせたかな。ローシャ、ルオナ、後は上手くやってくれ。


 ああ、冒険の旅に出て見たかったな。そう思いながら目を閉じたのに、何故か瞼に浮かんできたのは心配そうな顔の母親だった。


「……ごめん。母さん」


 僕は自分が思っていたより、まだまだ子供だった。

 怖くて怖くて震えと咳が止まらない。

 毛布の中で縮こまる子供のように膝を抱えていると、急に誰かに抱き起された。


「しっかりしろトナエル! 俺たちに断り無しで諦めてんじゃねえよ!」

「ローシャ、なんで……」

「一人じゃ無理でも、3人なら何とかなるでしょ」


 ローシャが怒りながら、ルオナは笑いながら僕の両方の肩を担ぐ。 


「2人とも、ごめん。僕は……」

「謝んのは後にしろ。で、さっきの火のヤツ、もう一回出せるか?」

「出来ると思うけど、咳が止まらなくて」

「トナエル、ノド飴は?」


 あっ! と思って腰に括り付けた巾着袋に手を伸ばす。良かった、中身は無事だ。

 一粒取り出して口に含むと、ウソみたいに咳が治まった。よし、これであと数回は魔術を行使出来るはず。『第二位魔術・炎の壁』は、デュラハンに通じたのかは分からないけど、黒馬を怯ませる分には効果はあった。


「ローシャとルオナで別方向に逃げて撹乱してくれ。そうしたらタイミングを計って炎の壁を木と木の間に配置するから、炎をバリケードにして逃げ切ろう」


 僕の立案に、ローシャとルオナは「了解」と頷いた。

 よし、作戦開始だ! 

 3人が別々に動き出した瞬間、僕らの間を黒い突風が凄まじい勢いで突き抜けた!


「何だ、今のは……?」

 

 地面に伏しながら顔だけ上げると、手綱を引いて存在しない馬首を返すデュラハンが目に入った。僕ら3人まとめて葬るつもりで突撃してきたのだろうが、別々に散った直後でどうにか助かった。

 うつ伏せのまま目線を這わして状況を探る。さすがのローシャは既に松明を長剣のようにして身構えているが、ルオナは意識が無いのか倒れたまま動かない。


「ルオナ! 起きて!!」


 急いで立ち上がって『炎の壁』をルオナとデュラハンの間に発動したが、燃え上がる炎にもルオナが目覚める気配は無い。どうする、次の手を打たなくては……と、考えている間に、再度の突撃に吹き飛ばされる。


(いっつ)う……」


 でも、今の僕にはありがたい。痛みのおかげで意識はハッキリしている。まだ僕は戦えるぞ。自分ひとりなら諦めてしまう状況かも知れないけど、友だちが目の前で傷ついているんだ。


「ジャ・ハラ・イン・フラーマ・アイ・ミン・ヴァン・ステラ・ハン=私の左手には炎」


 古代語詠唱を始めると、左手に炎が宿った。

 こうなったら僕が扱える中で最高位の魔法をぶつけてやる。逆にもう、それしか手札は残っていない。


「ジュン・クム・パー・ファミ・ン・ホ・グラ・ハン=私の右手には土塊(つちくれ)


 詠唱の途中から喉の奥がヒュウヒュウ鳴りだした。

 ふざけるなよ、最後まで唱えさせろ。やる事やったら張り裂けてたって構わないから。


 その時、不意にルオナの姿が目に入った。

 ああ、「1日2粒まで」と、言っていたな。まあ、喉が裂けるよりは鼻血の方が安くつく。


 詠唱を続けながら巾着に右手を伸ばすと、魔法の発動に気付いたかデュラハンは僕に狙いを定めてきた。

 なるほど、僕を轢き殺すつもりだな。黒馬が前脚で地面を掻く。

 燃え盛る左手は使えない。僕は右手を巾着に突っ込こみ、掴めるだけノド飴を掴んだ。


「ジャ・スタ・ブリタニア・スティア・ナン=私は岩を砕くもの」


 何粒だか知らないが、掴んだノド飴を口に放り込み、嚙み砕く。

 凍てつくような清涼感が咽頭を襲い、限界を超えた甘さが脳天を突き抜ける。

 味覚の暴力に頭がクラクラするが、僕はまだイケるぞ。

 伝説じゃなくていいんだ。僕らの物語をこんな所で終わらせるわけにはいかない。


「ジャ・スカ・ジャ・ラスコン・ゲンティ・ラスカ=私は森を灰にするもの」


 デュラハンは一直線に突っ込んで来る! 

 だが、避ける気なんてさらさら無い。

 狙いはその大事に抱えた鉄仮面だ。

 本で読んだから知ってるぞ。

 それ傷ついたらマズいんだろ?


 さあ、火力を上げろ! 火力を上げろ!! もっと、更に!!


「ミット・ナム・ア・パウ・ア・フラームン=私の名は力ある炎――――第五位魔法・『破裂の劫火(ノーヴェル)』!!」


 詠唱が完了するのと同時に、首無し騎士が抱えた鉄仮面が強い閃光を放ち始める。次の瞬間、耳を劈く爆音と共に破裂する炎がデュラハンを包み込んだ!


 やった! 古代魔法の完全詠唱なんて魔法学校でも出来なかったのに完璧に発動したぞ!

 やっぱり僕は村一番の秀才なんだ。ふははははっ!

 

 と、喜びが爆発したと同時に、口と鼻から血が爆発したみたいに噴き出した。

 幕が下りるように、すうっと血の気が引いて視界が暗くなっていく。

 もう自分が立っているのか座っているのか、はたまた寝転がっているのかも分からなくなってしまった僕の耳に、ドドドドドッと、馬が地を蹴る蹄音が届いた。


 おいおいおい、冒険物語だったら普通、ここで仲間が駆け付けての大団円だろう。ああ、やっぱり物語みたいに都合良くはいかないのか……




 ***




「あ、起きた」


 はっとして目が覚めると、目が覚めるような美少女……に見間違えるようなルオナ君が僕の顔を覗き込んできた。


「トナエルが目を覚ましましたよ~」


 ルオナが誰にとはなく声を上げると、周りにワラワラと人が集まってきたので、身体を起こそうとしてみたのだかが、どうにも力が入らない。


「お前、ずいぶんと血を流していたからな」

「ああ、ローシャ。無事で良かった」


 ローシャに支えて貰い、上体だけ起こしてみてギョッとした。周囲を盾・鎧・兜の完全装備に身を固めた一団に取り囲まれている?


「こっ、この人たちは一体……?」

「安心しろ。助けに来てくれた王国騎士の人たちだ」


 ああ、気を失う直前に耳にしたあの蹄音は、王国騎士団のだったのか。

 一人合点していると、黒い鎧に身を包んだ壮年男性が、立ち並ぶ騎士たちを割って現れた。


「私は聖王都黒炎騎士団、団長エンブレイムだ。君がトナエル君か?」


 一瞬、その巨体と威圧感にデュラハンを連想したが、有るべき場所に頭はあった。


「はい、僕がトナエルです。エンブレイム団長、ろくに立つことも適わず座ったままで失礼します」

「いや、無理もない。先ほどの活躍は見届けさせて貰ったぞ」

「先ほどの活躍……いや、無我夢中で無茶をしただけです」

「いや、その若さであれほどの炎を操る技量と胆力は見事だった。単刀直入に言おう。私が率いる黒炎騎士団に入団しないか?」


 えっ!? っと驚きの声を上げたのはローシャかルオナか。

 王国騎士団に入って聖王都に行く。それはもう、願ってもかなわないほどの大出世だ。僕が1年でクビになった中央魔導院とまではいかなくとも、聖王都の学校で学び直せるチャンスだ。だけど……


「エンブレイム団長。申し出はありがたいのですが、ご辞退申し上げます」


 ちょっと待てよ! と声を上げたのはローシャだ。


「お前、まさか俺たちに気を使ったりなんてしてないだろうな」


 そうだよ! と声を上げたのはルオナ。


「トナエルは、もっと高みを目指すべきだよ。君は僕らの自慢の友だちなんだから!」


 エンブレイム団長は、何も言わずに顎髭をしごきながら僕らを眺めている。ただ、立っているだけで威厳のある立ち姿に気押されながらも、僕は自分の想いを言葉にした。


「団長は僕を見込んで下さっている様ですが、僕はまだ子供です。恥ずかしながら戦いの最中に母親の顔を思い起こしてしました。僕はもう少し、母の元にいたいのだと思い知りました」


 団長は眉間に皺を寄せ、厳めしい顔をして僕を見た。


「子供のくせに余り小賢しい事を言うなよトナエル君。君は友と一緒にいたいのだろう。母親をダシに使うな」

「お見通しでしたか。恐れ入ります」

「ふん、その物言いが小賢しいと言っている。今から鍛えれば王国屈指の魔導士になれたかも知れぬが、そんな甘い考えでは身も心も保たんわ」


 つまらん、と吐き捨てるように言って団長は僕らに背を向けたが、去り際に一度だけ振り返って僕たちを見た。


「気が済んだら3人で聖王都に訪ねてこい。メシくらい喰わせてやる」


 変わらず険しい顔をしていたが、髭に隠された口元が緩んでいたのを僕は見逃さなかった。


「帰城するぞ」


 エンブレイム団長の号令の元、去って行く騎士団を見送ると、ローシャが両手を投げ出すようにして全身で残念感をアピールをしてきた。


「お前さあ、いったい何考えてんだよ。黒炎騎士団だぞ聖王都だぞ大都会だぞ。あああ勿体ない」

「トナエルって、ちょっとそういうトコあるよね。地位や名声にはボク興味無いんですキラーン、なんて顔しちゃってさ」


 ルオナまでもが両手をダラダラして「ああ、もったいない~もったいない~」と、連呼し始めた。


「良いんだよ。僕はまだ君らと一緒にいたいお子様なんだ」


 さあ、村に帰ろう。二人に向かって投げかけると、遠くから「おーい、ローシャ、トナエル、ルオナ~」と、僕らを呼ぶ声が聞こえてきた。先生たちが迎えに来てくれたのだろう。森を照らす大量の松明が眩しいくらいだ。


「ほら、肩貸せよ。まだフラフラして一人じゃ歩けないんだ」

「へいへい」

「はいはい」


 そうして僕らは互いに肩を組み合いながら、光に向かって歩き始めた。


 3人で行こうよ。

 伝説なんかじゃなくていい。

 まるで物語みたいな冒険の旅へ。


 ***終わり***

この流れで、その後の3人の冒険を書こうかと思っています。


どうぞ、ご意見・ご感想をお聞かせ下さい。

こうした方が良いよ、など教えて頂くと助かります。


では、またお会い出来るのを楽しみにしております。

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― 新着の感想 ―
[良い点] こういうファンタジーが読みたかった 面白かったです!
[一言] 武器屋から来ました!!作者様の作風は描写が細かくて情景が想像しやすく素晴らしいと思います! 物語の続き、楽しみに待っております。
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