第三十三章
その日はとても寒い日だった。朝から雪がちらついていた。学校も流感が流行っていて休校になっていた。希も洋平も流感にかかって寝込んでいる。僕も熱っぽかったのだが、二人に比べると軽い症状ですんでいた。夕方になると保育園の勤めから母が帰宅し、父もその後すぐに帰宅した。母は「ごめんね、おにいちゃんに二人の面倒を看させて」と言って夕飯を作ってくれたのだが、母も熱があったらしく、夕飯をとらずにそのまま寝込んでしまった。父は僕にも「早く寝なさい」と言って、いつもより早めに床に就いたのだった。
学校は明日から再開する予定だった。希は小学一年生だったので、いつも僕と一緒に登校していたのだが、熱が下がらないし、この分だと僕一人で登校することになるだろうと思っていた。そのことに何も問題はないのだけれど、明日学校が再開すると連絡が来て、僕は慌てた。四日も休みだったのでつい遊びすぎて、宿題をやることをすっかり忘れていたのである。先生は体調が悪い人は無理にやらなくていいと言っていた。だから別にやらなくてもよかったのだが、布団に入って寝ようとすると真面目な父の顔が浮かんできて、僕は仕方なく宿題をすることにした。
僕の部屋は二階にあり、八畳の部屋を希と洋平と共有していて、寝るときは布団を三枚敷いて寝ていた。勉強机の蛍光灯を点ければ、彼らの睡眠の邪魔になると思ったので、僕は一階の台所の食卓で宿題をすることにした。台所は板敷きだったので、他の畳の部屋よりも随分寒かった。 僕は仕方なく、石油ストーブに火を入れた。宿題は国語の漢字の書き取りと算数のドリルだった。算数に手間取ってしまったが、漸く宿題を終えることができ、ほっとして時計を見ると午前〇時を十分ほど過ぎたところだった。こんなに遅くまで起きていたことがなかったので、ちょっとドキッとした。
それから、ストーブを消して寝ようとしたのだが、台所の隣の父と母が寝ている部屋から声が聞こえてきた。襖を開け中を覗くと、母は熱が高いらしく「寒い」と言ってうなされていた。僕は母に声を掛けた。僕が「ストーブを持って来てあげようか?」と言うと、母は「うん、そうしてくれる? お父さんを起こさないようにそっとね」と言ったので、一旦ストーブを消して、母の寝ている部屋に持ってきて、もう一度ストーブに火を入れた。僕は「気を付けてね」と母に言って、二階の自分の部屋に戻って寝た。
目が覚めたのは明け方近くだった。
冬だというのに随分暑く、汗をかいていた。夢を見てうなされていたのだが、気が付くと、部屋と階段を仕切る襖の向こうで、パチパチと何かが弾けるような音がして飛び起きた。襖に手を掛けると金属の取っ手の部分が熱くなっていて、思わず手を引っ込めた。そのうち襖はどんどん茶色に変色していき、僕は「あっ」と叫んだ。気が付いたときは、部屋の外は火の海だった。僕は慌てて希と洋平を起こそうとした。
「火事だ!」
僕はそう大声で叫んだのに、希も洋平も寝ぼけたままで一向に目が覚めない。おそらく、昨晩飲んだ薬の中に睡眠薬が入っているのだろう。
「起きて、起きて! 早く!」
僕はもう一度叫んだ。火はすぐそこに迫っている。充満している煙のせいで、窒息しそうだった。襖の向こうには階段があるけれど、すでに火が上がっていて使えない。助かるには、窓から飛び降りるしか手はなかった。僕は、希と洋平を窓際に立たせた。
「お兄ちゃんが先に飛び降りて、下で受け止めるから! 後からすぐに飛び降りるんだよ!」
僕はそう言って、後から飛び降りてくるだろう希と洋平を受け止めるつもりで、先に一階の庭の植え込みに向かって飛び降りた。足を少し挫いたが、擦り傷だけで大した怪我はしなかった。
僕は下から上を見上げた。希も洋平も窓のところで突っ立っている。
「飛び降りろ!」
そう僕は叫んだ。けれども、二人とも恐がって動けない。
「大丈夫だから!」
「嫌だ、恐いよう!」
希も洋平もそう言うばかりで足がすくんで動けないらしい。
「早くしろ!」
それなのに、二人はわぁわぁ泣くばかりだった。窓から出る煙の量はどんどん増えていく。僕は樋に掴まり、よじ登ろうとした。それなのに何度やっても滑り落ちてしまう。お終いには、近寄れないくらいの炎と熱気が家を覆った。そのうち二階の窓からも火が吹き出すようになった。炎が希や洋平の髪の毛に燃え移った。
「何をやってるんだーーーーーっ! 飛び降りろ! 今すぐ飛び降りろおおおおお!!!!」
僕は絶叫していた。僕は再び、雨樋にしがみつき、登ろうと藻掻いた。それなのに、雨樋はフニャフニャになって崩れ落ち、掌にこびりついた。僕の掌は火傷を負い、真っ赤になった。窓を見ると、希も洋平もフラフラと炎の中に飲み込まれてしまった。
「のぞみーーーっ!!! ようへいーーーっ!!!」
僕は泣き喚いていた。そのときには、近所の人が駆けつけてくれていたが、すでに手遅れだった。
「お願いですっ! 助けてくださいっ!」
僕は、近所のおじさんに何度も懇願し、叫んだ。
しかし、おじさんは目に涙を一杯溜めながら、僕が動けないように力一杯羽交い絞めにし、立ち尽くすことしか出来なかった。
家族が亡くなったのは全部僕のせいだった。
あの日、台所で宿題なんてやらなければ、
ストーブなんてつけなければ、
僕が先に飛び降りなければ、
こんなことにならなかったのだ!!!!!
火元で寝ていた父と母も助からなかった。
僕は、目の前で弟妹が炎の中で焼け死ぬのを目撃したのだった。
第三十四章に続く




