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第三十二章

 希は持参した薄いピンクと白のチェック柄の大きな布を草原に広げ、僕の手を取り、僕をそこに座らせた。二人でそこに座り、暫らくの間、湖を言葉もなく眺めた。


「昔、こんな風に康平君と二人で座っていたのを覚えていない? そのときは父さんも母さんも洋君もいたんだけど」

「そうか、僕の夢の中の出来事は、本当にあったことなんだね」

「ええ。たった一度きりの楽しい家族旅行だった」

「あの頃は、毎日が本当に楽しかったな」

「うん。みんなとても仲が良くて、このままこの幸せがずっと続けばいいのに、と思ってた。私は母さんと二人の生活も嫌じゃなかったけれど、母さんはずっと淋しそうだったもの。私も父さんと兄弟が二人も出来て、すごく嬉しかった」

「君は望と違って随分お転婆だったよなぁ。僕がいくら好きだからって、虫かご一杯の蝉を見せられたときは、本当にびっくりしたよ!」

「もう! 変なことを覚えているのね」

「でも、未だに思い出せないことも沢山あるんだよ」

「……それが知りたいのね」

「うん……。でも君は、そのことを僕に話すのを躊躇っているんだろう?」

 希は黙ったまま頷いた。それでも、自分はそのことを話すために望と入れ替わったのだ、と言った。


 希はまず、父と母と洋平のことを話した。彼女は、彼らは「向こうの国」で幸せに暮らしているから、何も心配いらないと言った。けれども反対に三人とも、残してきた僕のことを、いつも心配していると言う。母はいけないことだと分かっているのに、僕の店が開店したときに、望を使って僕に花を贈ったのだという。母は僕の店が順調なことをとても喜んでいるそうである。それは父も洋平も同じだと希は語った。


「何故、君は僕に電話をくれるようになったの?」

「あなたが望に惹かれるようになったからよ」

「どういう意味?」

「望に惹かれるということは、否が応でも過去を思い出すことになるわ」

「僕が君と兄妹だったことだったり、みんなが火事で亡くなったりしたということ?」

「ええ」

「でも、僕は未だに火事の日のことを思い出せていない」

「思い出さないほうがいいこともあるわ」

「思い出さなければ前に進めないよ。いつまでも同じところに留まっているわけにいかないんだ」

「……そうかもしれない。私が康平君だったら、きっと同じことを考えると思うもの」

「僕の記憶の中に、繋がらない部分があるのが耐えられないんだ。不安で不安で仕方ない。しかも、たぶんそれは僕にとって、重要なことに違いないんだよ」

「……」

「僕の記憶を呼び戻すには、もう君に頼るしかない……」

「……わかったわ。じゃあ、いいのね」

「うん」

 希は意を決したかのように、僕の小学三年生の頃のことを話し始めた。そして、火事のあった日の前日まで話が及ぶと一言言った。

「目を閉じて」


 希は僕の額に手を当てた。僕はそっと目を閉じた。その瞬間、僕の意識は火事が起こる少し前に遡った。



第三十三章に続く

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