第三十章
ある日、僕は望に言った。
「叔母を訪ねてみたいんだ」
望は黙って頷き、こう言った。
「私も一緒に会いに行きたい」
日曜日に僕は珍しく休暇を取り、僕と望は園長先生に貰ったメモを見ながら、叔母の家を捜し歩いた。叔母の家は、僕の家から電車一本で行けるところにあった。どうか引越していませんように、と祈りながら歩き続けた。
叔母の住所と思われる家に辿り着くと、制服を着た高校生くらいの男の子が家の中から飛び出してきた。今からクラブ活動に出掛けるらしい。彼は僕らの顔をチラと見ると、右肩に掛けていたスポーツバックを斜めに掛け直し、自転車に跨るとすぐに通りの向こうに姿を消してしまった。彼が消えた後すぐに、その家の玄関に「お弁当、忘れてるわよ!」と言いながら、彼の母親と思われる女性が現れた。そして誰もいない通りを見つめると、「仕様がない子ね……」とため息を吐いた。
僕たちはその様子を近くで眺めていたが、彼女に話しかけるべく思い切って近付いた。
「あの、失礼ですが、もしかして、水野美佐子さんではありませんか?」
「そうですけど……水野は私の旧姓です。よくご存知ですね?」
「あの、すみません。僕、葉山康平です。覚えてらっしゃいませんか?」
「……」
彼女は言葉を失い、僕を呆然と見続けていた。そしてやっと口を開くと、「あの康平君なの?」と言った。
「はい」
「……そうなの」
「突然、訪ねて来てすみません」
「いいえ、いいえ。あの康平君が、大きくなって……」
と言ったきり、叔母は泣き出し、僕にしがみ付いて僕の背中を擦り続けた。
叔母に勧められるまま、家の中に入ると、彼女のご主人と思われる男性がいて、彼は「進一郎に弁当を届けてくるよ」と言い残し、出掛けていった。彼は、泣き顔の叔母と僕らとのことを察してくれたらしく、話がしやすいようにしてくれたのだった。
叔母はいつまで経っても「ごめんね、ごめんね」としか言わなかった。僕はといえば、「あんなにお世話になっていたのに忘れていたのだから、僕のほうこそ申しわけないです」と言った。三十分ほどそんな会話を続けていたが、僕は思い切って叔母に訊きたかったことを訊ねた。それは同時に一番訊きたくないことでもあった。
「僕の家族は火事で亡くなったんですよね」
「ええ」
「母も亡くなったんですか?」
「……そうね」
「そうですか……」
「私が遺体を確認したから間違いないわ。遺体の指には、確かに葉山さんに頂いた結婚指輪があったの。でも、どうして今になってそんなことを訊くの?」
「いえ、とくに理由があるわけじゃ……」
「あなたたち家族は本当に仲が良かったわ。血が繋がっていなかったのに……」
「そうですね。僕は母も妹も大好きでした」
「私も姉があなたのお父さんと結婚したことをすごく喜んでいたの。だって、葉山さんは本当にいい方だったもの。今度こそ、姉は幸せになれるんだと思って疑わなかったわ」
「母も再婚だったんですよね」
「いいえ、本当は一度も結婚していないのよ。姉は未婚の母だったの」
「そうだったんですか」
「昔、姉には結婚を約束した人がいてね。それはそれは、本当に幸せそうだったわ。それなのに彼は、結婚式直前に自動車事故で亡くなってしまったの。姉は身籠っていたのに……」
「……」
「可哀相で見ていられなかったわ。一時は、自分も死ぬんだって言ってきかなかったの。でも、お腹に子供がいてくれたおかげで、彼女は生きることを選ぶことが出来たんだと思うわ」
「それが妹の希だったんですね」
「ええ。でも子供は一人じゃなかったの。双子だったのよ。姉は自分で育てるつもりだったのに、父は姉の子供たちを隠してしまったわ。一人は乳児院へ行き、一人はある夫婦と養子縁組したらしいの」
「……」
その後の叔母との会話で僕が何を言ったのかよく覚えていないのだが、叔母の話によるとその子供たちには母のたっての願いで、希望の字を分け、「希」と「望」と名前が付けられたそうである。その話を聞いていたとき、望が急に泣き始めた。叔母はびっくりしてその様子を見ていたが、僕が望の代わりに口を開いた。
「叔母さん、彼女がもう一人の望なんですよ。この写真の顔に見覚えありませんか?」
僕は、星空通りの鞄屋で撮影した望の子供の頃のポスターの写真を見せた。
「確かに! 希ちゃんにそっくりだわ!」
叔母は望にゆっくり近付き、望の顔を覗き込んだ。そして「若い頃の姉に良く似ているわ……」と言って、震える手で望を抱きしめた。
叔母によると、母は祖父の反対を押し切り、あちこちの乳児院を訪ね歩いて、希を捜し出し引き取ったそうである。一方、もう一人の望は養子縁組したことを突き止めたが、きちんとした両親が揃って大切にしてくれているのなら、自分が育てるよりも幸せになるだろう、と引き取ることを諦めたそうだ。僕たちは三時間近く話し込んでいたが、その後、叔母に僕たちの連絡先を教え、叔母の家を後にした。
帰る間際に叔母に訊いた。
「叔母さんは、僕がどこで働いていたか知らないんですよね?」
「ええ、ごめんなさい」
「あの、実は僕は美容師をやっていて、この間、独立して店を開いたんですよ。その開店祝いに水野聡子という名前でお花を頂いたんです。もしかしたら、叔母さんが贈ってくれたのではないかと思っていたんです」
「いいえ、違うわ。大人になった康平君が元気でやっているって、今知ったんだもの、情けないことに……」
「そうですか……」
「でも、一体誰が?」
「分かりません……。あの、もう一つだけ訊いていいですか?」
「ええ」
「何故、僕だけ生き残ったんでしょうか?」
「……分からないわ」
望の素性が分かって嬉しかったのに、またしても糸が途切れてしまった。ひかり園で分からなかったことのすべてが、叔母に会えば分かるような気がしていたのに。望のことも知りたかったに違いないが、本当は、何故一人ぼっちになってしまったのかということを、僕は一番知りたいのかも知れない。過去に何が起こったのかを突き止められずにはいられないのである。
望はといえば、血の繋がった自分の肉親に逢えたことが随分嬉しいようだった。それは当然のことだろう。そして、僕に向かって何度も「康平君とやっぱり兄妹じゃなかった」と言って喜んだ。
その晩、僕は午前二時二十分に目を覚ました。今日に限らず、最近では毎晩午前二時二十分になると目が覚めた。そしてかかって来なくなった携帯を見つめた。それと同時に夢も見なくなった。それでも、僕は希からの電話を待ち続けた。彼女には訊かなければならないことが山ほどある。それなのに待てども待てども、一向に携帯は鳴らなかった。
望とは同棲するようになっていた。望は僕が毎晩真夜中に一人で起きているのを見て、「身体を壊すわ」と心配した。
第三十一章に続く




