第二十七話
応接室に入ると懐かしい写真が所狭しと飾られていた。僕が中学時代、県大会二位になったときの卓球部の記念写真も飾られている。ソファーに僕と望と二人で腰掛けて、園長先生が口を開くのを待った。
「どうして君がここに入ることになったかを訊きたいんだね?」
「そうです」
園長は望の顔をチラと見た。僕はその様子を見て「彼女には聞いてもらってもかまいません」と言った。
「ここに初めて君が来たときのことを、今でもはっきり覚えているよ。君は全然笑わない子でね。何も君だけじゃなく、みんながみんなそうなんだけどね。でも、一つだけみんなと違うところがあったんだよ。君は笑わないだけじゃなく、泣きもしない子だったんだ。僕たちは本当に君の事を心配したよ」
園長先生は奥さんのほうを見やると、奥さんもその通りだというように頷いた。それから、「やはりここを出て行くときに、君にちゃんと話をするべきだった」と先生はため息を吐いた。僕は、「僕が拒否したのだから、どうかお気になさらずに」と言った。
「僕がここに入ったってことは、親と離れ離れになったってことですよね」
「そうだね」
「両親が亡くなったってことですか?」
「そうだ」
「妹や弟も?」
「そうだと聞いているよ」
「どうして亡くなったのですか?」
「火事だったそうだ」
想像はしていたものの、改めてはっきり先生の口から聞くとショックだった。
「その中で、生き残ったのが僕だけだったってことですか?」
「君をここに連れてきたお母さんの妹だという人が、そうだと言っていたよ」
「叔母が僕をここに連れてきたんですか? 叔母と僕は血が繋がっていないんです。僕の父と母は再婚で、母は僕の保育園の先生だった人なんです」
「そうだったのか……」
「どうして火事なんかになったのだろう?」
「そのへんのところは、よく分からないんだよ。叔母さんもよく分からないと言っていたよ。でも、本当は何か知っていたんじゃないのかな。彼女はしばらく君を引き取って一緒に暮らしていたらしいんだが、君が一言も口をきかず様子がおかしいので、自分と一緒にいるよりも病院に入院させたほうがいいと思ったらしく、ここに入る前は慈恵病院の精神科に君を入れていたと言っていたよ」
「そうなんですか……。僕、その頃のことを何も覚えていないんです」
「そうだろうね。君は家族のことを僕たちに喋ったことがなかったもの。あの後、彼女は何度もここを訪れたんだけど、それも覚えていないの?」
「……ええ」
「彼女は本当にいい方でね。遠方にお嫁に行くことになって、君を引き取れなくて申しわけないって泣いていたよ」
「そうなんですか。そんな風に思ってくれていたのに、何一つ覚えていないなんて……」
「仕方がないことだわ。一度に家族みんなを失ったのだもの」
奥さんが悲しそうな顔で言った。
「叔母は、今どこにいるんですか?」
「お嫁に行ったのは、たしかT県だったと思うけどな」
「T県って、今、僕の住んでいるところと目と鼻の先じゃないですか! そんな近くに住んでいたなんて!」
僕がそう言うと、先生は戸棚の中から僕の資料を取り出し、資料に書かれてある叔母の住所を教えてくれた。そのときに見た叔母の名前を見て少し驚いた。「水野美佐子」と書かれてあった。水野? 母の旧姓は水野だったのか。確か店を開店したとき、贈ってくれた大きな花の中に水野という名前があった。でも待てよ、美佐子という名前ではなかったはずだ。僕は慌てて先生に訊いた。
「母の名前は『聡子』ですよね!」
「そうだよ」
奥さんは何を今更というような訝る顔をし、そして涙ぐんだ。お母さんの名前も覚えていられないくらい、心に傷を負っていたのね、というように。
僕は溢れる涙を押さえること出来なくなり、思わず応接室を飛び出した。望も僕の後を追ったが、園庭の隅で肩を震わせている僕を遠目で眺めるだけで、僕の気持ちを慮ってか一人にしておいてくれた。
僕は母の名前を思い出すと同時に、父と弟の名前も思い出した。葉山継雄、葉山洋平が父と弟の名前だった。妹の名前は、確かに葉山希だったことも思い出した。明日から新しく通う彼女の保育園の真新しい上履きに、父が「はやまのぞみ」と書いているところを僕は覗き込んでいた記憶があるのだ。僕が保育園に通っていたとき、母のことを「水野先生! 水野先生!」と呼び、母をいつも追い回していた自分の姿も同時に思い出していた。
「もう一晩、泊まっていきなさい」という奥さんの親切な言葉に後ろ髪を引かれつつも、僕と望はひかり園を後にした。お土産を沢山用意してはいたものの、苦しい園の財政状況を考えるとそんなに長く泊まっていけるはずもなかった。
望は僕に何も訊かなかった。何も訊かずにただ僕の横を黙って歩いた。気が付けば、行きはバスに乗っていた行程を全部歩いていて、いつの間にか駅に辿り着いていた。駅に辿り着いたのはいいとして、今から列車に乗るには遅すぎる。駅の時計は午後九時を回っていた。列車に乗るより今夜泊まるところをさがしたほうがいい。駅前を見渡すと、ビジネスホテルが目に入り、慌てて飛び込んだ。幸いツインの部屋が空いていたので、どうにか今晩の塒は確保出来た。
何も言わずにベッドに横たわっていると、隣からぐぅとお腹が鳴る音がして、僕たちは顔を見合わせて笑った。望は「ごめんね、こんなときに」と言ったが、僕は思わず望を抱きしめた。「ごめん、僕こそごめん。僕がちゃんとするべきだった」と望に謝った。
第二十八話に続く




