第二十六話
次の日の朝、僕は早起きをすると、小さな女の子たちの部屋で寝ていた望をそっと起こした。僕が子供の頃、大好きだった田舎道を望と一緒に散歩するためだった。初秋の早朝の外気は、冷たく身に染みた。僕は慌てて部屋の中へ戻ると、上着を取って来て望に渡した。
「奥さんが言っていたように、康平君は本当に優しいね」
と望は笑った。
ひかり園は山の麓にあって、僕が通っていた小学校は、そこから山に沿って続く道を一キロほど歩いたところにあった。途中、三百年は生きているだろう松の木の前を通る。松の木の幹は、子供三人が手を繋ないでやっと届くほど太かった。僕は子供の頃、よくその松を眺め、松の木の皮を剥いでは、大人に叱られていたと望に打ち明けた。
「松の木の皮は、まるでジクソーパズルみたいなんだよ。見ていると剥がして手にとって見たくなるんだ」
「あきれた」
その松の木を通り過ぎると、次に見えるのが神社の鳥居である。その鳥居をくぐり石段を二百五十二段上ると境内に辿り着く。神社の本殿の賽銭箱に小銭を放り込んで柏手を打つと、二人で目を閉じ無言で願い事をした。望は、僕の目的は果たされたと思ったのか、境内を横切り石段を降りようとしたが、僕は彼女の手を取ると「こっち、こっち」と本殿横の脇道へと引っ張って行った。林を抜けると芝生の植わった広場が現れる。そこからは僕の住んでいた小さな町全体が見渡せた。望は「うわー」と言うと景色をよく見ようと、広場の端まで駆けた。
「そこにあるのが小学校で、あそこが中学校。高校はあの電車に乗って十五分のところにあるんだけど、ここからは見えないなぁ。でも、僕は自転車で通ってたんだけどね」
「ここは田んぼばっかりで、凄く綺麗だね」
「金色の稲穂が眩しいだろ? もうすぐすると、稲が刈られて何にもなくなるんだけど」
「何もないほうがいいじゃない。空気が澄んでいて、とっても気持ちいいよ。私は都会育ちだから羨ましい」
「そうかなぁ。本当に田舎だよね。でも、望はそう言うだろうと思ってたよ。だから一緒に帰ろうって言ったんだよ」
小学校まで散歩し、僕が小学生のときにはなかった新しい校舎を羨望の眼差しで見ながら「いいなぁ」と呟き、すぐにひかり園へ取って返した。腕時計を見ると七時半だった。そろそろみんなが登校しはじめる時間である。
ひかり園の門の前で登校していく子供たちとすれ違うと、その中のいたずら小僧が「おにいちゃん、帰ってくるのが遅いから、朝ごはん、もうないよ」と言った。僕は「マジか!」と言ってその子を追い掛け回すと、その子はゲラゲラ笑いながら逃げて、そのまま学校へと向かった。
食堂には園長先生と奥さんしかいなかった。園長先生と奥さんは食後のコーヒーを飲みながら、僕と望が朝食をとるのを笑顔で見ていたが、僕たちが朝食を食べ終わると「後で応接室へ二人で来なさい」と言った。
第二十七話に続く




