第二十二章
八月の終わり、つまり巷では学校に通う子供たちの夏休み最後の日、僕と望は「スバル座、最終上映会」に招待され、スバル座に足を運んだ。島田さんは、奥さんが足を骨折して入院したことをきっかけに、ついにスバル座を閉める決心をしたと言っていた。スバル座最後の日、館内は商店街の人や近所のお客さんたちで賑わっていた。商店街は全店臨時休業になっていて、どの店ももぬけの空で、営業しているのはたった一軒、スバル座だけだった。
映画は二本立てで、「明日に向かって撃て」と「ローマの休日」だった。どちらの映画も有名で、僕もすでに見ていた映画だったが、ラストシーンではやはり泣けた。何度見ても、名画は名画なんだなぁと思った。
とくに、「ローマの休日」は三回も見ていて、最初は子供の頃、次は望と付き合う少し前と今回だった。三回とも全然印象が違った。子供の頃に見たとき、主人公の男性の心情が全然理解出来ていなかったのだと二回目のときに思って驚いたものだが、恋人が出来てから見る三回目の今日、主人公に自分を投影してその切なさが一層身に染みた。ふと、僕の隣に座っている望の顔を見ると、彼女もラストシーンでは泣いていたのか、ハンカチを何度も目に押し当てていた。
上映会が終わった後、門脇のおばちゃんは、大きな花束を島田さんに渡し、島田さんに抱きついてオイオイ泣いていた。島田さんは嬉しいやら悲しいやら複雑な表情をしていたが、門脇のおばちゃんの手を両手で握り締め「ありがとう、ありがとう」と何度もお礼を言っていた。それをきっかけに、島田さんはみんなから次々に言葉を掛けられ、贈り物を渡されたり背中を叩かれたり、大勢の人たちに囲まれ揉まれていた。僕も島田さんが、何度も映画館を僕と望のために貸切状態にしてくれたことを思い浮かべ、「僕たちにして下さったご親切は忘れません」と島田さんの手を握り締めて言った。
最終上映会の後、隣町の中華料理店にみんなでなだれ込み、スバル座お別れ会が開かれた。その後、二次会が居酒屋で開かれたが、三次会ともなると島田さんの幼馴染や古い知り合いの人ばかり数人になってしまったので、僕たちは島田さんに別れの挨拶をし、帰宅の途についた。
空はよく晴れ、星がいたるところで瞬いていた。僕と望は、昼間とは全く違う真夜中の心地よい夏の夜風を肌で感じ、上を見上げながら星空通りを二人で歩いた。あれが牽牛星、あれが織女星と二人で言い合いながら歩いた。
僕と望は付き合い始めた頃よりも、どんどん相手のことが分かるようになっていて、初めは僕たちの奇妙な共通点に戸惑いがあったものの、時が経つにつれそれが当たり前になり、次には心地良いものになっていった。望は、僕が喉が渇いたと思った瞬間に、コーヒーの入ったカップを差し出してくれたり、砂糖や洗剤や買い足さなくてはと思っていた日常の雑多なものまで、僕の家を訪れる度に「はい、これ」と当たり前のように渡してくれたりした。望に「どうしていつも僕の欲しいものが分かるの?」と訊くと「お店で買い物をしていると、どうしてだか、これも買わなくちゃと思ってしまって、ただ無意識に買っているだけなのよ」と言った。そういえば、僕も望と同じようなことをしていて、買い物した後、僕は必要ないのになんでこんなものを買ってしまったのだろう、ということがしょっちゅうで、それを望に見せると望は当たり前のように「ありがとう」と言い、彼女も「なんで私が欲しいものが分かるの?」と僕と同じことを言った。
本は今までと違って、同じ本を二冊買う必要がなくなった。僕と望のどちらかが本を買おうと思い立つと、「今日、この本を買おうと思うんだけど」と必ず事前に相手に報告するようにした。そうしなければ、相手の部屋を訪ねたとき、「これ、うちにもあるのに勿体ないことをした」と後悔することになりかねないからだった。
望と深く付き合えば付き合うほど、僕の望への愛しさは増し、一方で不安が頭を擡げた。早いうちにはっきりさせなければならないと思っているのに、それを突き止めることに逡巡している自分がいる。けれども、望を伴侶として生涯を共に過ごそうとするなら、真相を突き止めることは、どうあっても避けて通れないことなのである。
望と星空を見上げながら歩き、ふと立ち止まるとそこは鞄屋の前だった。鞄屋のショーウィンドウの中を僕は凝視した。ポスターの中のランドセルの少女が愛らしい笑顔でこちらを見ている。
「君は、誰? 今、どこにいるの?」
そう心の中で呟いた。少女の顔をじっと眺めていると、その様子に気付いた望が僕の視線の先にあるポスターを見て、「あっ」と小さく叫んだ。僕は望に「どうかした?」と訊ねた。
「どうしてこんな古いものがここにあるの?」
望はびっくりしながら僕に訊いた。
「え?」
「これ、もう二十年くらい前のものでしょう?」
「そうらしいね。鞄屋の奥さんが、この女の子が可愛いから剥がすのが惜しいって言ってたよ」
「そうなんだ……」
「僕もどうしてだか、この子に凄く惹かれちゃっててね。ここを通るたびに、このポスターをじっと見入ってしまうんだよ」
「当たり前だわ」
「……?」
「だって、これ私だもの」
第二十三章に続く




