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第十九章

 冬になり店の経営のほうも安定してきていた。もう少し広い店舗にしてもよかったかなと後悔するくらい店は繁盛していた。望との交際も順調で、何の心配もないはずだった。それなのに、僕はわけの分からない不安を抱えるようになっていた。それは僕が見る夢に起因していた。映画「シチリアの猫」を見てからというもの、僕の夢にサンシャインが度々現れるようになっていた。


 昨日の夢にも、いつものようにサンシャインが現れた。サンシャインはいつもの草原で、いつも同じ服装でいつものマーマレード入りの紅茶を飲んでいた。僕も彼といつも同じテーブルに座り、彼と同じマーマレードの入りの紅茶を飲んでいる。見渡せば草原にはいつも春風が吹いていて、風船に掴まった妖精たちが、まるでスカイダイビングでもするように風に流されるのを楽しんでいる。足元を見れば、いつもと同じ野花が咲いていた。彼と話していることと言えば、これもまたいつも同じ話題で、サンシャインの好きな近所のメス猫のことや生まれたばかりのパン屋の子猫のこと、気がかりな病気がちの人間のおばあさんのこと、街の洋服屋で彼が気に入った洋服を見かけたことなどだった。それなのに彼はいつも同じ服装で現れ、結局、今着ているこの服が一番好きなのだと言った。


 しばらくすると、草原の向こうから、またいつものように白い帽子と白いワンピースのノゾミが現れるのだが、昨日の夢はいつもと少し違っていた。ノゾミは風に飛ばされそうになっている帽子を手で押さえながら、僕たちに「こんにちは」と言った。それと同時に、ノゾミの身体がスルスルと縮み、小さな女の子に変わってしまったのである! 

 僕はびっくり仰天してその様子を見ていた。その女の子は僕に言った。

「私をさがして」

 彼女はそう一言言い残すと、どこへともなく消えてしまった。


 いくら顔を見ようと思っていてもノゾミの顔はいっこうに見えないのに、ノゾミと違ってその小さな女の子の顔を僕ははっきり見ることが出来た。夢が覚めても女の子の顔をありありと思い出すことが出来る。忘れようにも忘れられない顔だった。その女の子の顔は、あの鞄屋に貼られてあるランドセルのポスターの少女だったのである。

 女の子は「私をさがして」と言った。けれども、僕は彼女にそう言われて少し戸惑った。僕はすでに彼女を見つけているではないか。ポスターの中ではあるけれど。それとも彼女は現実に存在していて、その女の子をさがせということなのだろうか?


 夢から目覚めると僕は汗びっしょりになっていて、手にはいつものように携帯を握り締めていた。後で気付いたのだが、真夜中に携帯が鳴ると僕は無意識にその携帯に出て、そこからサンシャインの夢を見ているようだった。白昼夢でも見ているかのように、半分起きて半分寝ているような状態で、その夢の中に飛び込んでいるような感じなのだろう。そしていつも最後に「お休みなさい」と希の声が聞こえると同時に携帯が切れ、はっと我に返り、夢から目覚めた。僕はいつも、「待って! 訊きたいことがあるんだ!」と叫んだが、いつも時すでに遅しだった。




 そんな夢を何度か繰り返し見た。何度も見ているとサンシャインとの会話も面倒になってきて、僕がいつになく無愛想でいると、彼はそんな僕の様子を見て「どうしたの?」と訊いてきた。びっくりした。サンシャインと違う会話が出来るなんて思いも寄らないことだったからである。

 僕はサンシャインに希のことを恐る恐る訊いてみた。サンシャインは「ノゾミは『向こうの国』の人だよ」と言った。向こうの国? なんだ、それ?


「サンシャイン、君と希は友達だって言ってたよね?」

「ああ、うん」

「だから、希から電話が掛かってくると、君が現れるんだ」

「まあ、そうだね」

「希はどうして僕に電話をくれるの?」

「そりゃあ、君のことを心配しているからに決まっているからじゃないか」

「でも、僕は彼女のことを何も知らないんだよ」

「そんなはずないよ。君はノゾミのことをよく知っているはずだよ」

「どうしてそんなことを言うんだよ。本人が言っているんだから信じてくれよ」

 サンシャインは僕のほうに向き直り、自分の顔を僕の顔に近づけ、僕の目の中心にある瞳孔と虹彩の模様までも確かめるかのようにじっと覗き込むと、「本当に何も覚えていないんだね」と呆れ顔で言った。そして「ノゾミに直接訊いてみたら?」と言った。

「希はこの後、ここに来るかな?」

 サンシャインは懐から懐中時計を取り出して時間を確かめながら、「もうすぐ、三時だから、ノゾミはきっとやって来るよ。お茶の時間だからね」と言った。そして草原を見回すと「ほらね」と言った。


 丘の向こうに、白い帽子と白いワンピースの女性が現れるのが見えた。希に違いない。僕は希がこちらにやって来るのを待ちきれず、気付けば彼女のほうに向かって駆け出していた。僕は彼女のいるところに辿り着くと、ぜいぜい言いながら「こんにちは」と言った。希は「どうかしたの? いつもと様子が違うわ」と笑い、顔にかかった髪の毛を掻き分けながら言った。

 初めて間近に見る彼女の顔を見て驚いた。その顔はよく知っている顔だった。希の顔は宮崎望とそっくりだったのである。


「ど、どうして!? 一体どうなっているんだ!?」

 僕がこんなに動揺しているのに、希は涼しい顔をして笑っていた。

「君は宮崎望? それとも携帯の希?」

「どっちでもあるし、どっちでもないとも言えるわ」

「どういうこと? ちゃんと答えて!」

「私は葉山希よ」


 希はそう言うと、希の言葉を理解出来ないで混乱している僕をよそに「今日はあなたに会わせたい人がいるの」と僕の手を取り歩き出した。僕はサンシャインがいるほうを振り返った。サンシャインは遠くのほうで相変わらず紅茶を啜りながら、風船に掴まって空中を漂っている妖精たちと楽しそうに会話している。そして、僕の視線に気付くと、「行ってらっしゃい」とでもいうように、僕に向かって絹のハンカチーフをひらひらと振った。彼のその仕草は、まるでこれから起ころうとしていることを、すでに何もかも知っているかのような落ち着き払ったものだった。


 希は何も言わずに、僕の手を取りどこまでも草原を歩き続けた。途中、僕は「どこまで行けばいいの?」と何度も訊いたが、希は「湖までよ」としか答えてくれなかった。

 何時間も歩いて、太陽が西に傾きかけたと思ったら、突然、目の前にだだっ広い湖が現れた。湖は夕陽を浴びて金色に輝いている。その湖の前でピクニックをしている家族がいた。その人たちは僕たちに気付くと笑顔になり、その家族の中の小さな男の子が「遅かったね。お兄ちゃん、お帰り!」と僕に飛びついてきた。希はいつの間にか、あのポスターの小さな女の子になっていた。


第二十章に続く

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