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第十七章

 家に着くと、遠慮がちな坂口さんに風呂を勧め、その後、店で、いつもと同じように彼の髪を切り、髭を剃った。

 坂口さんは、いつもと変わらない笑顔を見せた。あんな大変なことがあった後だなんて、とても思えなかった。気を利かせてくれた望は、坂口さんのためにミルクがたっぷり入った温かいコーヒーを淹れてくれていた。


「さっぱりしましたか?」

 望が笑顔で坂口さんに訊ねた。

「ええ、望さん、葉山君、いろいろありがとう」

「坂口さん、どうか、今晩はここに泊まっていってください」

「いや、これ以上、そんなご迷惑は掛けられないよ……」

「迷惑だなんて思ってません。僕のお客さんはほとんどが女性で、若い人ならともかく、中年の男性のお客さんは坂口さんぐらいなんですよ。僕には父がいないから、勝手に坂口さんのことをお父さんのように思っていたんです。だから、僕にとって坂口さんは特別な人なんです」

 坂口さんは、僕の顔を呆然と見ていたが、やがて目を伏せて言った。

「君がそんな風に僕のことを思ってくれていたのに、醜態を見せてしまって申しわけない……」

 その後、この四ヶ月の間に何が彼に起こっていたのか話して聞かせてくれた。


 自殺をしようとしたきっかけは、リストラされたからではなく、妻を癌で失ったからだった。妻を亡くしたことで、生きる気力も仕事をする気力も失い、気が付けば家にも帰らず、街を放浪していたのだという。遠く離れたK市から僕の店に通ってくれていたのは、妻が入院していた病院がこの街にあったからだった。二年前に坂口さんは突然僕の前に現れ、そのまま固定客になってくれたが、それは妻の闘病生活が二年続いたということだった。

 彼は毎日のように妻の病室を訪れていたが、花が大好きな妻に、花束を渡したのは、一月に一度程度しかなかったそうである。


「どうしてですか?」

「むさくるしい恰好には、なんだか花束は似合わない気がしてね。一月に一度、髪を切り髭を剃って清々しい気分と恰好になったら、花屋で注文していた花束を持って、颯爽と妻に会いに行くというのが習慣になっていたんだよ」

「そうだったんですか!」

「妻はね、葉山君に切って貰った僕の髪型をいつも褒めてくれていたよ。前よりずっと若々しくなったって。退院したら、自分も是非、葉山さんの美容室へ行きたいと言っていたんだ」

 その言葉を聞いて、胸が苦しくなった。


 その晩、坂口さんと望と僕と三人で飲み明かした。泣いたり笑ったりいろんな話をしながら、坂口さんは「君たちの結婚式には是非出席したいなぁ」と言った。僕がびっくりした顔で望のほうを見ると、望は顔を赤らめて目を伏せた。


 翌朝、坂口さんは、何度も何度も僕と望に頭を下げ、礼を言うと、始発電車で帰っていった。

 坂口さんとの大変な騒ぎがあったにもかかわらず、予約が入っていたので、今朝もいつものように店を開けた。明け方まで三人で飲んでいたので、望は僕を心配してくれていたが、僕は「若いから大丈夫さ」と平気な顔をして見せた。望は優しい女性で、さっきも僕と坂口さんのために朝食を用意してくれたし、坂口さんを見送った後、「有給休暇を取って家で休むわ」と言い、笑顔で自宅へ帰って行った。





第十八章に続く

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