第十三章
午後六時になり、僕は宮崎さんとの待ち合わせ場所であるスバル座の前で彼女を待った。宮崎さんはたった二分遅れただけなのに、しかもヒールを履いているにもかかわらず通りの向こうから息せき切って走って来て、僕に「遅れてごめんなさい」と言った。僕は「いいえ、全然、待ってませんよ」と笑顔で言った。
チケットを買いに中に入ると、島田さんがニコニコしながら、「今日は一人じゃないんだね」と僕に言った。僕は照れくさくて自分の顔が真っ赤になるのが分かったが、上映時間が午後七時になっていることに気付き、「しまった」と言ってしまった。するとそれに気がついた島田さんが、「いいよ、いいよ」といい、映画館の入り口のシャッターをガラガラと閉めると「他にお客さんがいないし、今日は貸切だね」と言って、自分が見ていた上映中の映画のフィルムを止めて、「シチリアの猫」の上映時間を一時間も早めてくれた。
「シチリアの猫」を見終わった宮崎さんは、心なしか目も鼻もうっすらと赤かった。スバル座を出て、通りを駅に向かって十分ほど歩き、僕たちは予約してあった駅前のグランドホテルの最上階のレストランに辿り着いた。窓際に設けられていた予約席に着くと、宮崎さんは外の夜景を見て「きれい……」と呟いた。
「本当に綺麗ですね」
「ええ」
「実は僕、この店に来たのは初めてなんですよ。だから、申しわけないけど、料理の味が美味しいかどうか保証出来ません。すみません、リサーチ不足で」
「あら、いいですよ、そんなこと。実は今日、会社の友達にここのレストランの評判を訊いてみたんですよ。友達曰く、凄くおいしいそうですよ。ごめんなさい、はしたないことして」
「いや、それを聞いて安心しました。僕、この界隈に八年も住んでいるんですけど、ここみたいな本格的なレストランに初めて来たんですよ。スタッフとの慰労会は、いつも居酒屋ですから」
「あら、私もですよ」
「えーっ、宮崎さんが居酒屋ですか?」
「ええ、そうですけど、変ですか?」
「いや、僕は、宮崎さんはイタ飯とかカフェとかによく行ってそうだなって、勝手に想像してました」
「私、焼酎割りが好きなんですよ」
「そうなんですか! 僕もですよ」
と二人で顔を見合わせて笑った。
初めて食べる本格的なフランス料理のナイフとフォークの使い方を宮崎さんに教わりながら、映画「シチリアの猫」やダニエル・キイスの本について二人であれやこれや感想を言い合った。
料理に舌鼓を打ちながら、最後のデザートとコーヒーになったとき、躊躇いがあって話したくても話せなかったことを、僕は思い切って話すことにした。
「宮崎さんは、僕の店に来てくれたときに、いつも本を持って来て読んでいるじゃないですか?」
「ええ、そうですね」
「しょっちゅう、本を読んでいるんですか?」
「うーん、そう言われればそうですね。ほとんど毎日本を読んでいますね」
「どんな本が好みなんですか?」
「ノンフィクションかな? でも、結構、ジャンルはバラバラですよ。そのときの気分次第っていうか……」
「じゃあ、何か意図があって読んでいるってことはないんですよね」
「ええ、そうですけど、それが何か?」
「いや、あの、その……」
「?」
「あのぉ……」
「どうしたんですか? 遠慮せずに何でも訊いてください」
「あの、変な奴だと思わないで下さいね」
「ええ」
宮崎さんは、びっくりしたような目をして僕の瞳をまっすぐに見つめ、僕の次の言葉を待った。
「宮崎さんが僕の店に来られたときに読んでいる本って、実はいつも僕も読んでいる本なんです」
「は?」
「いや、その、偶然なんだと思うんですけど、宮崎さんとほぼ同時に僕はいつも同じ本を読んでいるんです」
「……」
「本当に偶然なんですよ。気が付いたのは三カ月前なんですけど、僕もまさかって思ってたんです。でも、昨日、はっきり確認しました。やっぱり、同じ本でした」
「本当なんですか、その話……」
びっくりした顔をして、穴が開くかと思うほど僕の顔を見つめている宮崎さんの顔を見ながら、僕は「はい」と答えた。
それから、僕は、自分は霊能者や超能力者じゃないし、ましてや覗き趣味なんてないし、と考えられるだけの言いわけを言って、本当にこれは恐るべき偶然の一致なのだということを強調して、宮崎さんに説明した。
宮崎さんは僕の説明をいちいち頷きながら熱心に聞き手に徹してくれていたが、「そう言えば……」と急に何かを思い出して、口を開いた。
「双子霊って聞いたこと、あります?」
「あ、聞いたことあります。もう一人の自分みたいな人のことでしょう?」
「私、ハリウッドスターのシャーリー・マクレーンさんの本にはまっていたときがあって、えっと本の題名、なんて言ったかしら……」
「『アウト・オン・ア・リム』。読んでいたのは半年前、でしょう?」
「ええーっ! そ、そうなんです。その本に書いてあったんです。双子っていうくらいだから、きっと趣味や嗜好も似ているんだと思いますよ。だから好きな本だって、きっと……」
「僕達はその双子霊なんですかね」
「そうかもしれませんね」
僕は、宮崎さんが僕のことを変な奴だと思いはしないかと心配したが、シャーリー・マクレーンの本を読んでいるだけあって、世の中に不思議なことはあるものだという考えを普通に持っている人だったので、ほっと胸を撫で下ろした。
彼女は別れ際に「これは、吉兆かもしれませんよ」と言ってニッコリし、反対に僕を気遣ってくれた。宮崎さんは、やっぱりいい人だなぁと余計に彼女のことが好きになった。
第十四章に続く




