バカップルの、バカップルによる、バカップルのためのお話
「じゃあ、修学旅行は、一緒に色んなところに行こうね」
俺の目の前で、美佳が嬉しそうに笑っていた。
日曜の午前十時。
市街地にある、ファストフード。
映画の上映開始まで、あと一時間弱。
映画が始まるまでの時間潰しも兼ねて、俺と美佳は、ファストフードで朝食を食べていた。割安なセットメニュー。高校二年の俺達は、デートで大金を使えない。
八月の夏休み。付き合い始めて三ヶ月。秋の修学旅行が楽しみな時期。
俺達の高校の修学旅行は、自由行動のときも班単位で動かなければならない。男子は男子、女子は女子で編成された班。何年か前に、自由行動中にラブホに行って補導された生徒がいるからだ。
けれど、真面目に班行動を貫く生徒は半数程度だ。彼氏や彼女がいる生徒は、そんな規則など守らない。班行動をするフリをして、待ち合わせる場所を決めて、こっそりと二人で行動する。当然ながら、班の連中には口裏を合せてもらう。
俺と美佳は、修学旅行の予定を話し合っていた。自由行動の時に班から離れて、駅で待ち合わせて、時間ギリギリまで二人で過ごす。せっかくの旅行なんだから、二人きりで過ごしたい。
ポテトを頬張る美佳は、修学旅行が楽しみで仕方がないという顔をしている。俺に告白してきた彼女。小柄で可愛くて、胸が大きい。Fカップだ。背の高い俺は、彼女の胸の動きを見下ろせる。
笑っている彼女を見て、幸せだな、と思う。告白されたときは、単純に可愛いからOKした。制服の上からでも分かるほど、胸も大きかったし。
ただ、ひと月半位前に初体験を済ませてから、俺の方が美佳に夢中になっている。初めて寝たときの彼女の様子が、可愛くて可愛くてたまらなかった。緊張と怖さで震えながら、それでも俺を受け入れてくれた彼女。痛かったはずなのに、一回しか「痛い」と言わなかった。あとはずっと「大丈夫だから」と言い続けていた。
あの瞬間から、俺は美佳に夢中になった。かなりヤキモチ妬きだけど、そんなところすら可愛い。もちろん、ヤキモチが過ぎて理不尽なことをされたときは、俺も怒る。でも、必ず仲直りしていた。
仲直りの儀式は、ベッドの上でのお仕置き。恥ずかしがる美佳に萌えてしまう。
スマホの時刻が、十時四十分を表示していた。上映開始まであと二十分。
「そろそろ行くか」
「うん」
俺達は席を立ち、食べ終えた物を片付けて映画館に向かった。
大きな商業施設のビル。このファストフードと映画館は、同じビル内にある。
エスカレーターで、映画館がある最上階まで昇った。電子チケットを購入して、飲み物とホップコーンを買って映画館の中に入った。
館内はまだ明るかった。あと数分で証明が消えて、上映前の注意映像が流れるのだろう。映画をスマホで撮影するのは犯罪だ、という注意映像。あの映像が、俺は少し好きだったりする。
自席の番号を探した。館内の、丁度中央部にあった。俺達の隣りには、カップルが座っていた。二人とも、たぶん年上だろう。小声で話す距離が近い。女の子の大きな胸が、男の腕に触れている。
いや、本当に大きいな、この女性。背は小さいけど。美佳より大きいかも。しかも薄着だから、谷間が見える。
まあ、美佳の胸が最高なんだけどな。
俺達も席に座った。俺の左隣に美佳。右隣に、カップルの女の人。いやらしい見方をすれば、両手に花という絵面だ。
俺達が座ってすぐに、館内が暗くなった。スクリーンに映像が映し出された。カメラを模したキャラクターが、上映中の映画を撮影するシーン。続いて、そのキャラクターが犯罪者として逮捕されるシーン。
注意喚起映像は、なかなか凝っていた。端的に言えば、逮捕されたカメラのキャラクターが面白かった。どのくらい面白いかと言えば、右隣のお姉さんが笑って飲み物をこぼしてしまうほどだ。
こぼした飲み物が俺の方にも飛んできて、隣のお姉さんは慌てた様子になった。
「すみません! かかりませんでしたか!?」
小柄な隣りのお姉さんが、こちらに身を乗り出してきた。俺を見上げるような状態になった。おおう。谷間がくっきり見える。若くて元気な俺にとって、この光景は目の毒だ。映画なんて見ないで、このまま美佳とホテルに行きたくなる。
なんとか目を逸らそうと思ったが、できなかった。顔を逸らそうとしても、目だけは谷間を見てしまう。悲しい男の性だ。
「大丈夫ですよ。かかってないですから」
本当は少しかかったが、気になるほどでもない。それより、谷間を見せつける格好を早くやめてほしい。心臓と、心臓とは別のところが高鳴ってしまう。俺の理性が残っているうちに、乗り出した体を引っ込めて欲しい。
俺の願いが通じたのか、お姉さんは席に座り直した。「ごめんなさい」と再度謝っていた。いい人だ。
色んな意味での高鳴りを抑えるように、俺は深呼吸をした。今美佳を見たら、すぐに映画館から出てホテルに連れ込みたくなってしまう。自分の欲求を鎮めるため、俺は彼女を見ないようにした。
注意喚起の映像が終わって、他の映画の宣伝映像が始まった。話題のアクション映画や、人気のアニメ映画。一通りの宣伝が終わって、館内にブザーが鳴った。
映画が始まった。
心に染み入るようなバラードが、バックミュージックで流れている。映画の雰囲気に似合う、しっとりとした曲。今話題のラブロマンス。
舞台は、今から一五〇年ほど前。主人公の男性と、ヒロインの女性。身分の違う二人が出会い、短い時間で恋に落ちてゆく。ヒロインには婚約者がいて、二人の仲を妨害する。それでも二人は、愛を貫く。
王道にして典型的。だからこそ、いかにして魅せるかが問われる内容だ。
婚約者の妨害の中で、それ故に深まる二人の愛。いつの間にか、俺は引き込まれていた。興奮したし、心を打たれた。
主人公とヒロインの濡れ場もあって、別の意味でも興奮した。
映画は終幕を迎え、ラストシーンに入った。物語は、主人公の死と、それを見送るヒロインの泣き顔で終わりを告げる。それでも、バッドエンドではない。エピローグで、ヒロインは主人公との思い出を胸に生きる。家族を成し、老婆となって安らかな最後を迎える。
この世を去るヒロインを迎えに来るのは、主人公。若いままの姿の二人が、この世から旅立ってゆく。
そして、エンドロール。
壮大なラブロマンスを見て、なんだか気持ちが盛り上がってきた。美佳とホテルに行って、目一杯愛し合いたい。たぶん、隣りのカップルも同じ事を考えているだろう。
エンドロールが終わり、館内が明るくなった。
映画の余韻が心に残っている。この後ホテルに行くことを期待しつつ、俺は美佳に声をかけた。
「じゃあ、行くか」
「……うん」
美佳の表情は、どこか沈んでいた。
もしかして、映画が気に入らなかったのか? この映画を見たいって言ったの、美佳なんだけど。期待外れだったのか?
疑問を覚えながら、俺達は映画館から出た。ビル内には、次の上映を待っている人達がたくさんいた。
歩きながら、美佳は何も喋ろうとしなかった。ホテルに向かいながら映画の感想を話そうと思っていたので、拍子抜けだ。
エスカレーターに乗って、一階に降りる。
「なあ、美佳」
「何?」
「どうだった? 面白かったか?」
「うん。まあ」
気のない返事。俺と目を合せようともしない。
「これからどうする?」
「どこでもいい。帰ってもいい」
突き放したような、美佳の態度。
明らかに不機嫌だった。だが、それを直接言ったら、さらに機嫌が悪くなるだろう。俺は、言葉を濁して美佳に聞いた。
「もしかして、どこか調子悪いのか?」
「別に」
「……」
会話のラリーが続かない。一階まで降りる間、俺達は無言になってしまった。
美佳は相変わらず、目を合せようともしない。手を繋ごうともしない。
ビルから出た。
沈黙の雰囲気に少し苛立って、俺は直球で聞いた。
「もしかして、機嫌悪いのか?」
「……なんで?」
聞き返しながらも、やはり美佳は俺を見ない。
「さっきから、何も話そうとしないし。目も合わせないし。明らかに不機嫌そうだ」
「別に」
「機嫌、悪いだろ?」
「うるさいな」
美佳は溜め息をついた。
「そんなこと言うなら、もう帰ろう」
美佳は、シッシッと俺に向かって手を払った。
「はいはい。今日はもう解散」
さすがにイラッときた。
「分かった。帰るか」
美佳が不機嫌を隠さないように、俺も苛立ちを隠さなかった。
「俺といても楽しくないんだろ。不機嫌じゃないのにそんな感じなら、楽しくない以外に理由はないよな」
我ながら暴論だと思う。でも、こんな態度を取られたら、さすがに腹が立つ。こんな状況で穏やかでいられるほど、俺は大人じゃない。
美佳は少し泣きそうな顔になった。映画館から出て初めて、俺と目が合った。
けれど、泣きそうな顔を見ただけで優しくなれるほど、俺はお人好しでもない。
「じゃあな。バイバイ」
低く、冷たく言い放った。先ほどの美佳と同じように、俺は手を払って見せた。
直後、美佳の目からボロボロと涙がこぼれた。ギュッと、俺の服を掴んだ。不機嫌な顔から一変して、怒った顔になっていた。
泣きながら、怒っている。
「……ずっと、隣り座ってた人、意識してたでしょ?」
「はい?」
意味不明なことを言われて、俺の声は裏返った。
構わずに、美佳は続けた。
「隣りに座ってた人! 飲み物こぼした人! 美人だった! おっぱい大きかった!」
おい。ここは街中なんだ。それなりに人がいる。そんなところで「おっぱい」とか言うなよ。
「いや、声でかいから」
「私より、あんな感じの人の方がいいんでしょ!?」
「なんでだよ?」
「だって、話してるときに、ずっとあの人のおっぱい見てた!」
「……」
これについては否定できない。ついでに、周囲の視線も痛い。俺は咳払いをひとつすると、美佳に聞いた。
「もしかして、ヤキモチか?」
「……悪い?」
キッという効果音が出そうな目で、美佳は俺を睨んだ。
俺はゆっくりと息を吐いた。
うん。確かに俺にも悪いところがあった。悲しい男の性とはいえ、美佳の前で、他の女の胸に見とれた。確かにこれは、不機嫌になっても仕方がない。
「ごめん」
素直に俺は謝った。
「俺のせいでヤキモチ妬かせて、俺のせいで不機嫌になったなら、ごめん」
「……」
美佳の顔から、棘が消えてきた。目付きが変わった。
「ただ、それで機嫌が悪くなったなら、素直に言って欲しかった。じゃないと、不安になるから」
「……何が?」
「俺、ひどいことしたかな――って。美佳に何かしちゃったのかな、って。まあ、機嫌が悪くなって当然かも知れないけど。でも、それならそれで、最初から教えて欲しかった」
「……ごめん」
美佳は、少しバツが悪そうな顔になった。俺が素直に謝ったことで、怒りが冷めたのだろう。
こいつ、結構単純だよな。こういうところがまた、可愛いんだよな。
うん、可愛い。こいつ、メチャクチャ可愛い。
俺の心の中で、ある種の感情が沸き立ってきた。ムクムクと。隣のお姉さんの谷間を見たときや、映画の濡れ場を見たときに高鳴っていた気持ち。
ここぞとばかりに、俺は攻め込んだ。
「不安だったんだよ。このまま喧嘩になって、仲がこじれたらどうしよう、って」
「ごめん」
「せっかくの休みだし、楽しく過ごしたかったんだ」
「ごめんなさい」
美佳は、また泣きそうな顔になっていた。
でも、手加減なんてしない。
「でも、美佳、楽しくなさそうだし。解散なんて言うし」
「……ごめんなさい」
謝る美佳に、俺は顔を近付けた。おっぱいを連呼したんだ。今さら、人前でイチャつくくらいは恥ずかしくない。
「他の女に目がいったとしても、大事なのは美佳だから」
「うん」
美佳の耳元で、囁く。
「好きなのも美佳だから」
「うん」
「だから不安だった」
「ごめんなさい」
俺は口の端を上げた。もしかしたら、悪い顔になっているかも知れない。
「じゃあ、少し意地悪してもいい?」
「意地悪って、何?」
「俺の言う通りにしてほしい」
「……できることなら」
俺は美佳の手を取った。そのまま彼女の手を引いて、ホテルに向かった。
その日はメチャクチャ燃えた。
そして、萌えた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
後日談。
修学旅行の自由行動時。
俺達は、ホテルから出たところを先生に見つかってしまった。
二人仲良く停学になった。
三日間の停学中、懲りずに俺達は燃え上がった。
そしてやっぱり、萌えたのだった。
(おしまい)