③ドキリという世界
変態かと思った。オジサンは、唇のカタチを褒めてくれた。どんな目立たない部分でも、褒めてきた。
くるぶしまで、褒められた。くるぶしを褒められたのは、人生初だった。
身体の部位別で、細かく褒めてくれる。新鮮で染みてゆく。喜びが顔を出す
自信がないように見える。でも、自信がある人の褒め方をしてくる。オジサンが分からない。
掴めない人。それがオジサンに対する、印象の大半だった。
人間は、人との間に距離を作りすぎると、こうなるのだろうか。褒めは、最大の防御なのかもしれない。褒めで、距離を保っているのかもしれない。
昔から、恋愛体質だった。そんなわけはない。でも、昔から恋愛体質だったかのように、振る舞っていた。
私は、恋がそこまで、好きじゃなかったのかもしれない。でも、今は恋に少し近くなったと思う。
自分でも、不思議だった。オジサンの肩を、抱くように触ったりしていた。甘えるようなしゃべり方も、してしまっていた。
「すみません。切っていただいて、ありがとうございます」
「いえ」
ずっと、この調子だ。真っ直ぐな、控えめの心で接してくる。
髪もまっすぐだ。しかも毛量は、今まで対応した男性の中で、最多だ。心が澄みすぎて、生える髪も元気なのだろう。
こんなに、ハサミと手が喜んでいるのは、久々かもしれない。
「本当ですか?」
「はい。好きになったこともないので」
「そうですか」
オジサンは、ノンセクシャルみたいだ。女性にも男性にも、恋心を抱けない。誰も好きになれない人らしい。
それが、逆に心を沸き立たせた。私の心は、もう決まっている。好きなんだ。これから、オジサンを追いかけてみようと思う。
「ありがとうございました。ありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとうございました」
カットが終わった。オジサンは、爽やかさに包まれていた。かっこよさが、溢れていた。
「満足いく、出来映えなんですね。いい笑顔をしているので」
「えっ?」
「あっ、すみません。彼氏さんに見せるような、笑顔だったので。満足しているのかと思っただけです。あっ、変な意味ではなく」
「ありがとうございます」
そこから、オジサンがお店を出るまで。何も覚えていない。気が付いたら、お客さんは、誰もいなくなっていた。
「どうしたの。ボーッとしてるけど」
「すみません。かんばります」
「もう営業時間は、終わったけど」
「はい。そうですよね」
変だった。ずっとずっと。オジサンがずっと脳にいた。
繋がりを残せずに、見送ってしまったこと。それが、悔やまれる。
もう会えない確率は、遥かに高いのに。変な自信が、ここにはあった。




