⑩恋という世界
火曜日の夕方だ。5時からの待ち合わせなのに。4時には、ここに来ていた。とても楽しみだから。
ボウリング場の前は、人が結構多い。この時間帯は、少し混むみたいだ。
待つのも楽しい。そんなこと、今までにあっただろうか。たぶん、初めてだ。
4時半になった。そこで、パッと目がいった。オジサンらしき人に見える。あの髪型は、オジサンだ。
オジサンも、30分前行動をしていた。予想はしていた。極端に早くも、ちょうどにも、来られない人だと。だから、30分前くらいかと予想していた。
オジサンがいるのは、かなり遠く。正面にある、ゲームセンターの辺りだ。少し立ち止まり、スッと店内に入っていった。
追いかける。青になり、長い横断歩道を渡る。走りにも負けないスピードで。都会の空気を、じんじん感じた。
お店に入ると、入口すぐに。大きなクマのぬいぐるみを抱えた、オジサンがいた。オジサンの3倍くらい重い、ぬいぐるみに見えた。
「あれっ」
「あっ、ごめんなさい。楽しみで、早めに待っていたんですよ」
「ごめんなさい。ボウリング場に、目を向けるべきでしたね」
「いや、大丈夫ですよ」
少し元気がなかった。抱えている大きなクマのぬいぐるみの方が、笑顔だった。
「それ、ゲットしたんですか?」
「はい。1回だけやろう。そんな軽い気持ちでやってしまいました。そしたら、取れちゃいました。後のことは、考えていませんでした」
「可愛いですね」
「これ、あげましょうか?」
「本当ですか。はい」
渡された。これがオジサンからの、初めてのプレゼントとなった。
私の口角は、自然と持ち上がっていた。それと連動するように、オジサンの口角も、やや上がっていた。
一旦渡されたが、オジサンに、クマをずっと持ってもらうことにした。だからたまに、オジサンの顔が見えにくくなった。
「綺麗なワンピースですね」
「ありがとうございます」
面と向かって投げられた褒めは、やはり嬉しかった。私の心は、一直線に向かっていた。オジサンの方向へと。
ゆっくり、長い横断歩道を渡る。クマのぬいぐるみのお尻を少し支えながら。
「最初で最後のデートです。恋は、いつになっても出来ないと思うので」
ネガティブが、やや目立つようになってきた。それでも、好きは変わらない。
「未来のことはまだ、分からないと思います」
「統計学で言うと、僕みたいな人が恋をする確率は、1%未満ですから。分かってます」
追いかけてくれる人生だった。近寄ってきてくれる人生だった。でも、追いかける人生も、悪くない。
「ボウリングで、私が勝ったらお願いしたいことがあります」
「いいですよ。デートのことですか?」
「それは、私が勝ったら言います」
「あっ、はい」
手続きを済ませ、指定されたレーンに来た。ボールとシューズを置いて、腰を降ろした。目の前には、クマのぬいぐるみが人みたいに座っていた。
オジサンは、急いで履いていた。私の靴と、同じくらいの大きさの靴を。意外に、足が小さいみたいだ。
『オジサン』『ビヨウシ』その二つの名前が、上の画面に並ぶ。異様な光景だ。4文字のカタカナで、揃っている。センスがいい。記入を全て、オジサンに任せてよかった。
「またですよ」
「ドンマイです」
交互に何回か投げた。オジサンは、ほとんどスプリットだった。外側のピンが、それほど倒れない。スペアのチャンスに、背かれている。その運の無さも、好きだ。
「やったー」
「スゴいですね。うまいですね」
私は、ストライクを取りまくっていた。これで、4回目だ。
今、初めて構えていてくれた。初めてハイタッチのカタチを、用意していてくれた。私は、そこにパーを、ふたつ向かわせた。
「ごめんなさい」
「大丈夫ですよ」
「うまくいきませんね」
「あまり、ハイタッチをしたことがないので。手を引いてしまいました」
「私は、いつもハイタッチが下手って、言われるんです」
この時間に感じた幸福が、幸福感の平均になればいいなと思った。
オジサンが141。私が216。大差で勝った。こんなに高い点数は、初めてだ。ボウリングっぽい数字に、思えなかった。私の今の心拍数も、これくらいの数値かもしれない。200を越えたら、大変なのだが。でも、オジサンは、それほどドキドキしていなそうだ。これよりも、やや下かもしれない。
「負けました」
「私の勝ちですね」
「お願いを聞きますよ」
「はい」
「デートのことですか。僕も、変わらなくてはいけないので」
「いいえ、違いますよ」
「そうですか。楽しくないと、よく言われるので。もう、デートはしたくないですよね」
「それも違います」
「ああ」
オジサンは、黙ってしまった。呼吸を整えた。頭を整理した。静寂が流れた。
そして、意を決して放った。愛を正面から。
「お願いは、私と付き合うことです。恋人として」




