第五十三話part5
雨が強い。地面をたたく雨はその跳ね返りが数センチは飛ぶような……そんな勢いの雨だった。道の端の排水溝が苦しそうな音を出して、「もう限界」――といってるようだ。そんな中、野々野国人は走ってた。透明な傘を前に出して雨を防ぎながら国人は前に進む。足元はもうびちゃびちゃだ。けどそんなのを野々野国人は気にしてなかった。ただ彼女のもとへと急ぐ……それしか頭になかったんだ。
会社から駅まで走った。傘をたたんで改札を通って階段を下りる。地下鉄という地上から離れる場所へと進むと雨の音は遠ざかる。電車の発車する音……タイミング的には悪かったみたいだ。とりあえず次の電車を待つ。大丈夫だ。すぐに次の電車が来る。せいぜい数分だ。野々野国人は焦っている。けど、焦燥感はなかった。心配ではある。でも……彼女から電話してくれたことがうれしかった。
電話越しの彼女の声は元気ではなかった。悲しげだった……不安げだった。それはきっと気のせいじゃない。たった少しの会話だった。でも野々野国人はそれを確信してる。きっと彼女は傷ついてる。それは国人が婚約者だったからこそわかる。付き合いが長いからこそ、間違いないって思う。だから本当なら少しでも嬉しい……なんて思うのは間違いなんだろう。
それは国人だってわかってる。だって彼女は困ってるし、何か悲しい……怖いことがあったんだろう。それを喜ぶ? それはひどいことだ。間違いなくひどいことだ。恋人の……いや愛する人の悲しい姿をみて喜ぶのはひどいだろう。ちなみに野々野国人はSじゃない。SもMも別に意識したことはない。けど……野々野国人は今ある意味で喜んでた。
もちろん心配もしてる。けど自分に頼ってくれたことがうれしい。これはおかしなことだろうか? わからない。野々野国人もわかってない。焦る気持ちと心配する気持ち、その中に確実に彼女からの連絡に喜ぶ気持ちもあるんだ。自分はこんな人間だったのかと、野々野国人も思ってる。ちらちらとスマホを見て時間を確認する。たった数分……東京の電車のダイヤは詰まってるからすぐにくる。
そのなのはわかってる。わかってるのに、何回も確認して「まだかまだか?」と思ってしまう。線路の奥に視線を向けてしまう。その時だ。ホームの端のほうにいた女性と目が合った。
サッ――と野々野国人は目をそらす。けどバヂッと視線がぶつかったのを野々野国人は確認してる。そして国人がそう思ったということは……
その女性がこちらに歩いてくるように見える。思わず野々野国人は後ずさる。このタイミングでデキル女の彼女に会うなんて……と国人は思った。