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第十話


 笹島祐二は、ホテルの前で女と別れた。


 金曜の夜。


 仕事終わりに、ホテルに来た。「休憩」で入ったけれど、もちろん、体を休めるためではない。地下鉄駅の近くのラブホテルに入り、すぐにセックスをした。


 欲求を満たして、「休憩」の時間が終わって、外に出た。


 季節は、冬──十二月。


 雲一つない快晴で、街中の明るい空でも星がよく見える。風は緩やかだが冷たく、思わず体を縮こまらせた。


 少し前まで一緒にホテルにいたのは、会社の部下だ。阿部真由美(あべまゆみ)。祐二が働いているコールセンターのSV。彼女に何度か業務の相談をされているうちに、なぜかこんな関係になった。


 祐二は四十歳。もういい年齢である。だが、若い頃から強かった性欲は、この歳になっても落ち着く様子はない。


 真由美は三十三歳。祐二の妻である美由紀より、ひとつ年上。美由紀と違い、胸が大きく、女盛りを感じさせる匂いがあった。


 真由美とは、利害の一致があってセックスしている。彼女は既婚者だが、結婚して五年になる夫とは、もうすっかりセックスレスだという。子供もおらず、夫婦関係は冷え込んでいく一方らしい。


 祐二は美由紀とセックスレスではないが、正直なところ、物足りない。


 とはいえそれは、美由紀に魅力がない、という意味ではない。祐二は、美由紀を心から愛していた。今でも毎日、「好き」と伝える。毎日キスをする。週に二回はセックスをする。


 祐二は、二年ほど前にも不倫をしていた。その時は、本気で美由紀との離婚を考えた。不倫相手は美由紀より七歳も若く、胸が大きく、男好きのする体をしていた。祐二の持ち前の性欲が、不倫相手の体を求めていた。


 けれど、不倫の最中で、美由紀の魅力に気付いてしまった。彼女が、自分にとってどれだけ掛け替えのない女か、思い知った。


 その気持ちは、今でも変わらない。愛している。美由紀と別れるなんて、考えられない。絶対に失いたくない。


 しかし、だ。男の生理現象と愛情は、まったく別物だ。たまには、美由紀のような小柄で胸の小さい女ではなく、色気に満ちた女を抱きたい。真由美はまさに、そんな祐二の欲求にピッタリな女だった。


 真由美とは、互いに割り切った関係。

 彼女は、セックスレスも含めて夫との夫婦関係に不満を感じてる。

 祐二は、妻以外の、妻とはまったく違う女とセックスがしたい。


 利害の一致から、二週間に一度くらいの頻度で、こうしてホテルに来ている。


 もちろん、浮気を美由紀に知られてはいけない。そんなことは理解している。


「男の性欲と愛情は、まったく別物なんだ」


 こんな言い訳が通じるほど、世の中は甘くない。

 まして美由紀とは、セックスレスではないのだから。


 だから今回は、巧妙に隠していた。会う頻度は二週間に一度と多くはない。チャットやメールでの連絡もしていない。電話でやり取りするときは、ホテルに行くことを「ミーティング」という隠語で話している。


 その成果だろう。今のところ、美由紀にバレている様子はない。


 ホテルから出て少し歩き、祐二は、帰りの地下鉄に乗った。


 時刻は、午後九時半だった。


 地下鉄に揺られながら、祐二はスマートフォンの画面を開いた。インターネットにアクセス。美由紀のアカウントで、彼女が執筆しているWEB小説サイト『小説家になるよ』にログインした。


 祐二は、美由紀の小説のファンだった。『小説家になるよ』で投稿されていない商品化された作品は、全て購入していた。


 商品化されずに『小説家になるよ』だけで読める作品は、こうしてアクセスして読んでいる。現在は商品化が確定している作品を執筆中だからか、あまり投稿されていないが。


 美由紀の投稿作品一覧を見てみた。

 祐二が読んだことのない作品はなかった。


 やっぱり、今は、出版が決まっている作品の執筆で忙しいんだろうな。


 そんなことを思いつつ、少しガッカリした。


 美由紀の小説は面白い。登場人物達の感情の動きが、見事に表現されている。読んでいる自分が、その作品の登場人物になったような気分にすらなれる。没入感が凄いのだ。


 どうやったら、ここまで見事に人の心を(えが)けるのか。


 そんな感心をしてしまうほど、祐二は、美由紀の能力に敬意を払っている。


 自分の妻ながら、凄いと思う。家事は完璧。見た目も可愛らしい。ベッドの中で漏らす声は過度な興奮をもたらすものではないが、胸に刺さる。さらに、こんなに面白い小説を書く。


 愛しているのだ、美由紀のことを。誰よりも。何よりも。別れることなんて、考えられない。決して失いたくない。肉体的な欲求を他の女で満たしていることに、他意はないのだ。


 愛しているのは、美由紀だけ。


 その気持ちには、嘘偽りなど微塵もない。


 美由紀の新規投稿作品がないことに少しガッカリしつつ、祐二は『小説家になるよ』のページを閉じようとした。


 その直前に、ふいに目についた。ページ内にある『執筆中作品』の文字。


 これは、作品の下書きのようなものなのだろうか。


 祐二は『小説家になるよ』のシステムを、詳しく知らない。


 もしかしたら、投稿前の新作を読めるかも知れない。


 期待を抱いて、祐二は『執筆中作品』の文字をタップした。画面が移り変わる。


『まだ未投稿です』の文字の下に、ひとつだけ、作品があった。


 その作品をタップしてみた。


「初恋」


 その、文字を。


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