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プロローグ~恋愛感情がない~


 笹島美由紀(ささじまみゆき)には恋愛感情がない。


 少なくとも、生まれてから三十二年間、誰かに恋愛感情を抱いた記憶はない。


 美由紀は小説家である。


 WEB小説サイト『小説家になるよ』にて多数の作品を執筆している。その中のひとつの作品が『ネット文学大賞』で大賞を受賞し、書籍化デビューを果たした。


 思えば、書籍化するまで長い道のりだった。


 演劇部に所属していた高校二年のとき。演劇の脚本執筆をキッカケに、小説を書き始めた。それから、小説に夢中になった。短大生のときに『小説家になるよ』に投稿を始めた。


 小説を書く時間を確保するため、周囲がしているような就職活動も行わなかった。小説優先の生活ができる仕事を探した。選んだ仕事は、コールセンターのオペレーターだった。ほぼ定時で帰宅できる、時給制の契約社員。


 誰にも恋心を抱くことができない美由紀にとって、小説執筆は、自分の人生の目的であり、生きる理由と言えた。


 自分の物語の中で、登場人物達に命が吹き込まれてゆく。様々な感情を抱く。ときに誰かを憎み。ときに誰かを妬み。ときに悲しみ。ときに喜び。


 無表情な自分とは違って、登場人物達は表情も豊かだ。眉に皺を寄せて怒り、口を横に広げて笑い、目を細めて涙を流す。


 そして、登場する男も女も、ときに誰かを好きになる。まるで、誰も好きになれない自分の代わりのように。


 そんな美由紀は、働いているコールセンターで、当時SV──スーパーバイザー──だった笹島祐二(ささじまゆうじ)に惚れられ、口説かれた。


 当初、美由紀は、祐二の誘いを受け流していた。彼のことは別に好きでもないし、恋愛感情を抱けるとも思えない。彼と付き合うのは、時間の無駄。小説を書く時間を削ってしまう、時間の無駄。


 けれど、あるとき、ふと思い直した。祐二と結婚して専業主婦になれば、今よりも小説を書く時間を得られるのではないか、と。


 祐二に対して恋愛感情などない。

 ただ、小説執筆のために利用したい。


 その目的を祐二には伝えず、結婚を前提するという条件で、美由紀は彼と付き合い始めた。


 付き合い始めて一年。祐二と結婚した。佐藤美由紀は、笹島美由紀となった。


 専業主婦生活は、思っていた通り、普通に働くよりも執筆に融通が利いた。労働時間は通常の会社勤めと変わらなくても、自分の気分ひとつで合間合間に執筆活動ができる。


 有意義な執筆ができたおかげで『ネット文学大賞』で大賞を受賞し、デビューもできた。


 ただし、全てが順風満帆だったわけではない。


 二年前に、祐二が不倫をした。体だけの不倫であれば、別にどうでもよかった。美由紀にとって祐二は、ただの生活基盤でしかないのだから。けれど、彼は、美由紀と離婚して不倫相手と結婚することまで考えていた。


 だから、祐二の気持ちをコントロールし、自分に引き戻した。彼の不倫を題材にした、自分の小説を読ませて。その作品に書かれた、美由紀の女としての魅力。それを彼に見せつけることで、付き合い始めの頃のように彼を夢中にさせた。


 興信所を雇って得た祐二の不倫の証拠は、今も、押し入れの奥にしまってある。もし、この先、自分の稼ぎだけで生活できるようになったら。そのときは、不倫を理由に祐二と離婚したい。彼の面倒など見ずに、生きていきたいから。


 美由紀にとって、祐二は、自分の小説家生活を支える金ヅルでしかない。

 

 美由紀が、自分の小説の稼ぎだけで一生生活できるのであれば。そうなれば、夫婦生活で祐二のためにしていることは、ただの時間の無駄に過ぎなくなる。彼の食事の用意をすることも、部屋の掃除をするこも、洗濯をすることも。


 惚れ直させてから、今でも週二回は求められるセックスも。


 全て、美由紀から執筆の時間を奪う、無駄でしかなくなる。


 美由紀の小説は、今のところ売れ行きは順調だった。新人作家としては異例と言えるほどに。二年前に書籍化デビューしてから出した作品は、八冊。


 そのうちの二作品はアニメ化や映画化もされた。美由紀の通帳の残高は八桁前半にまで達し、祐二の扶養からも抜けた。


 けれど、まだ、一生暮らせると断言できるほどの収入ではない。


 祐二はまだ必要だ。セックスの最中にお芝居の「大好き」を口にして、彼の気持ちをつなぎ止める必要がある。


 もっと売れてほしい。早く離婚して、時間を好きに使えるようになりたい。


 そんなことを思いつつ、美由紀は次回作の構想を練っていた。


 題材は、ボクシング。


 ここ最近は日本人ボクサーの活躍が目覚ましく、アマプロ共に話題になることが多い。それでいて、小説の題材として取り上げられることは少ない。


 話題になりながら扱う作品が少ないということは、それだけ、読者の注目を集める可能性がある、といいうことだ。


 ただし、問題がひとつ。美由紀は、ボクシングに関してまるで素人だ。ファンタジーのように、自分の想像で設定を作ることもできない。当然ながら、取材が必要になる。


 美由紀は自分のスマートフォンを取り出した。iPhone11。二年前に購入した機種。


 自分の住所の地名を入力。スペースを空けて「ボクシングジム」と入力。検索。


 割と近所に、アマチュア専門のジムがあった。ホームページを開いてみる。全国大会経験者が複数人いるジムのようだ。さらに、趣味や体力作り、ダイエット目的も歓迎と書いてある。


 早速、ジムに電話してみた。電話に出たのは、ジムの会長だった。


 美由紀は正直に、取材目的であることや、ボクシングの雰囲気を学ぶために何ヶ月か通いたいことを告げた。


 電話の向こうで、会長は、ややしゃがれた声で了承し「ぜひ一回、見学でもいいから来てみて」と言っていた。


 早速、明日にでも伺います。そう言って、十八時に行く約束をした。名乗り、年齢を伝えて、電話を切った。


 七月中旬。夏場に入っているが、これからますます暑くなる季節。


 まあ、運動不足解消にもなるし、取材にもなるし、一石二鳥かな。


 美由紀は、そんな軽い気持ちでいた。


 ──自分の感情が、これを起点に大きく変わってゆく。


 そんな未来など、見えるはずもなく。

 

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― 新着の感想 ―
[良い点] >美由紀にとって、祐二は、自分の小説家生活を支える金ヅルでしかない。 おぉぉ?! アナザーストーリー?! [一言] しかも、やはり完結してから投稿。 さすがです_| ̄|○ ボクシング!…
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