13歳 秋1
「アニス!まだこっちに飲み物来てないぞ!」
「ごめんなさーい!すぐ持っていきます!」
空いた皿を手早く片付け、洗い場に持っていく。
まだ宵の口だが、店内はほぼ満席だ。
ここらでまともな料理と酒を出す店はここしかないから、必然客も多くなる。
私は酒がたっぷり入ったグラスを持てるだけ持って、常連のおじさん軍団が待つテーブルへと急いだ。
私がいまいるのは、故国フレイム王国から遠く離れた、東の国のとある街だ。
本当はすぐに北のモリエヌス皇国へ行きたかったのだが、フレイム王国から行くにはあまりに交通の便が悪すぎると気が付き、あらゆる国へ街道が繋がっている東の国へ来たのだ。
途中行商の一団に混ぜてもらって、服の繕いをしたり、商人の子供に勉強を教えたりしつつ、北へ北へと旅をした。
北上するごとに空気は乾き、気温は低くなっていく。
それでも家を出た喜びで、旅の辛さは微塵も感じなかった。
カァーーーッ!空気がおいしい!
堅苦しいマナーも敬語もない生活最高!
動きづらいドレスとも、悪意のある目線や言葉ともおさらばだ!
なんなら道端の石すら輝いて見える。
世界ってこんなに美しかったんだな……。
とにかく新しい土地で、初めての人と触れ合うのが楽しくて、詐欺にあいそうになったり、物取りにあいそうになったり、少女趣味の変態に追いかけられたりもしたけれど、なんかもう全部振り返ればいい思い出だ。
まぁ私が生粋のお嬢様だったら、今頃身ぐるみはがされて死んでいただろうけどね。
前世がたくましいオタクで本当によかった。
オタクという生き物は推しができるたびに、知識をどん欲に取り込み、思いがけない行動力を発揮する生き物である。
少なくとも私はそうだった。
ありがとう、ジョ〇ョ。
ありがとう、〇太郎。
エジプト旅行の経験が私を強くしてくれたよ。
話を戻して。
夏が終わる頃には、私はモリエヌス皇国へ続く街道沿いの街にたどり着いた。
目的地は山の向こう。
いざゆかん!
と行きたいところだったのだが、残念ながらそう簡単には行かなかった。
なんでもモリエヌスとの交易は春から夏にかけてが中心で、メインの時期はもう終わったというのだ。
これから寒さはどんどん厳しくなるし、雪も降り始める。
屈強な男ならいいが、私のような子供は春まで待った方がいいと真剣に止められてしまった。
現地の人たちがそう言うなら、従うべきだろう。
ということで、悪役令嬢アニエスは、ただの町娘アニスとなり、親切にいろいろ教えてくれたこの酒場で給仕の仕事をしているという次第である。
部屋は二階の物置をタダで貸してもらっているし、お金もたまるし、まかないは美味しいし、一石三鳥とはこのことだ。
ここに来て、一気に運に恵まれているのを感じる。
酔っ払いに絡まれることもあるけど、みんな自分の子供を可愛がるみたいに接してくれるから本当に困ったことはまだない。
おーいと奥のテーブルから声がかかる。
きたばかりの旅の一団のようで、初めてみる顔ばかりだ。
「ご注文ですか?」
「お嬢ちゃん、可愛いね」
「ありがとうございます!」
「珍しい髪色だなぁ。ここの子かい?」
近くのテーブルで飲んでいた常連客が、おいおいと声をあげる。
「ここの店主の顔をちゃんと見てないのか?」
「誰が不細工だって!?」
カウンターで酒を注いでいた店主が大声で言いかえし、店内がどっと沸く。
「その子は首都から来た親戚の子だよ」
店主には私の事情はちょっとぼかして伝えている。
だから、こうして親戚の子だと嘘をついてくれるのだ。
「いやな、俺たちはフレイム王国の近くを寄ってきたんだが、この子みたいな髪色の女の子を探している奴らがいたんだよ」
えっ!?と大声をあげそうになって、頑張って飲み込む。
危なかったー!
「どんな人たちでした?」
「どんなだったけなぁ。どっかのお貴族様の使いだって言ってたかなぁ」
人に出身を聞いたわりに、あいまいな!
やだ、こわぁいと猫を被って、何も知らない町娘を装っておいた。
「きっと赤毛好きの変態趣味の貴族ですよ!」
ここぞとばかりに言った悪口に、常連客たちがそうだそうだ!と軽率にのっかってくる。
「アニスが連れていかれそうになったら、俺たちみんなで助けてやるからな!」
「よし!もう一杯!」
「かんぱーい!」
とにかく乾杯ができればいいおじさんたちが、グラスを打ちあわせ歓声をあげる。
まさかこんな辺境にまでは探しに来るまい。
そうは思いつつも、心臓は早鐘を打ち、指先はどんどん冷たくなっていく。
私を探しているのだろうか。
どうか違いますように!
それかせめてモリエヌスに行くまで、見つかりませんように!
その晩から私は、前世今世含めて知っているあらゆる神様に祈りをささげて眠るようになった。
不穏な噂を教えてくれた旅人たちは、もう次の街へと旅立った。
冬の気配は色濃くなり、街とモリエヌスを隔てる山の中腹では雪が降り始めたと聞く。
こりゃ本格的に今年中の越境は無理そうだ。
酒場とはいえ、まともな料理を出せる店はここしかないから昼ももちろん営業している。
味にこだわりがないのであれば、他にも店はいくつかあるが。
夜に比べて昼はのんびりしている。
冬に向けて訪れる旅人も減って来た。
忙しいのが好きなわけではないけれど、あの耳が痛くなるくらいの喧騒が減るのは少し寂しい。
店内では去年息子に店を譲った鍛冶屋のお爺ちゃんと、同じく引退した仲間たちが覇気のないカードゲームを繰り広げているばかりだ。
壁際のテーブルで勉強をしていると、新しい客がきた。
初めて見る顔だ。
優しげな面立ちで、ヒョロヒョロと縦長い。
「いらっしゃいませ」
勉強道具を脇にどけ、空いているテーブルを示す。
彼は私が勉強していたテーブルの近くに腰かけ、ふぅと大きく息を吐いた。栗色の髪は、無造作にぴょんぴょん跳ねている。
「お食事ですか?」
「何か暖かいものはもらえますか?」
今まで見た中で一番美形のアレクシス王子に比べれば劣るけれど、この人もなかなかに整った顔立ちをしている。
格好良いというより、ちょっとかわいい感じで、たぶん童顔なのかなと勝手に想像する。
「塩漬けにした豚肉のスープがあります」
「じゃあ、それと水を」
店主に注文を伝え、水を持って戻ると、彼は私の本の背表紙を興味深げに覗き込んでいた。
「勉強していたのかい?」
「はい。春になったらモリエヌスに行こうと思っていて」
家を出る時に服と一緒に持ってきた、錬金術に関する本だ。
もう本当に基礎の基礎しか書いてないけど、何も知らずに行くよりはましかと思って持ってきたのだ。
「もしかして、錬金術を学びたいの?」
「できたらいいなって。私、手に職をつけたいんです」
「それはいい心構えだ。それはそうと、君、読み書きができるの?」
「一通りは」
本当は古語も計算もかなりできるけれど、自慢してもなと思って謙虚に答えておく。
「お客さんは、錬金術知ってるの?」
「僕はモリエヌス出身だからね」
モリエヌス出身!
いいなぁと目を輝かせる私に、彼は苦笑する。
「あの本は理解できた?」
「はい。でも全然難しいことが書いてなくて、もっと詳しい本も手に入らないし、困っているんです」
見たことも聞いたこともない不思議な植物や鉱物がいっぱい乗っていて面白かったけれど、元素とかの項目は前世でなんか勉強したなぁみたいな感じだった。
「おーい、アニス」
カードゲームをしていたお爺ちゃんズから声がかかる。
「どうしたの?」
鍛冶屋のおじいちゃんが自分の手札をこっそりと私に見せて、悪い顔で尋ねる。
「わしは勝てるかね?」
「おい、ずるいぞ!負けが込んでるからってアニスに聞くのは反則じゃろうが!」
「うるせぇ!早いもの勝ちだ!」
あ、Aのスリーペアがある。
残りは10と4か……。
お爺ちゃんズはみんなポーカーが好きなくせに弱いから、このままでも十分勝てる見込みはあるけど。
場は三周したところで、親は隣の口元が髭に埋もれた靴屋のお爺ちゃん。
場に捨てられたカードとまだ残っている山札をちらっと見て、私は鍛冶屋のお爺ちゃんにこっそり耳打ちした。
「もし勝てたら、新しいペン先を作ってね」
「おう、任せろ」
「アニス、スープを運んでくれ」
「はーい」
若いお客さんにスープを運び、私はまた本を開いた。
日本ではありえないけど、この世界の店員は案外自由気ままに過ごしていいのがとても楽でいい。
しばらくして、お爺ちゃんズのテーブルでわっと声があがった。
鍛冶屋のお爺ちゃんが、無事フォーカードで勝てたらしい。
私も新しいペン先がただで貰えるのでニコニコしていると、若いお客さんが妙に輝く目で私を見ていた。
「君、あのお爺さんが何のカードを引くかわかっていたの?」
あいまいに笑って、ちょいちょいと手招きする。
お爺ちゃんズに聞こえないように、私は小声で種明かしをしてあげることにした。
「あのポーカーはね、ジョーカーありのポーカーなんです。お爺さんの手札はAのスリーカードと10と4だったから、A以外を交換するといいって教えてあげたの」
「確かに二枚変えれば、もっと良い役ができる可能性は高いね」
「実はあのトランプ、ジョーカーの淵に小さな傷がついているんです。山札の二番目に傷のあるカードがあったから、そうアドバイスしたんです」
「でも前の人にジョーカーを引かれてしまう可能性もあっただろう?」
その通りだと頷き、私は続けた。
「お爺さんの手札はAのスリーカードと10と4でした。そして捨て札にAはなく、場が三周して山札は半分以下でしたから、ジョーカーが引けなくてもフォーカードかフルハウスになる確率は低くありませんでした。でも一番は、お爺さんの前に番が回ってくるあのお髭のお爺さん、すっごい天邪鬼なんです。すぐブラフを使うんですよ」
ブラフ、つまり手札が弱いのに、交換せずに強い振りをすること。
髭のお爺ちゃんは勝ち負け関係なく、すぐブラフを使ってみんなを疑心暗鬼にすることが好きな困ったちゃんなことを知っていたというだけなのだ。
「あの一瞬でそこまで考えたのか」
「いつもあそこでやってるから」
褒められるのは慣れていないから照れてしまう。
トレーを抱きしめて照れる私に、彼は妙にキラキラ輝く目を向けた。
「アニス、でいいかな?」
「はい」
「アニスは錬金術を学びたいと言ったね」
それはもう、凄く。
何度も頷いて本気度を伝えると、彼はにわかに姿勢を正す。
そしてとても真摯にこう言ったのだ。
「僕の弟子になってみる気はあるかい?」