12歳 冬
王宮の窓の外では、びゅうびゅう冷たい風が吹いている。
もうじき初雪が降りそうだ。
前回の復習テストを丸つけし終わったマグヌス先生が、眼鏡を外して一つ頷いた。
「今日から古語の勉強に入りましょう」
「もう古語に入れるなんて、リリアン様凄い!私は十歳から始めたのに」
「私はお兄様の妹なのよ。当然よ!」
真面目に勉強をし始めて、リリアンの学力はみるみる上がった。
もともと頭の回転が速い子なのだ。
まぁ人生二回目の私ほどではないですが!
……今、凄くダサい張り合い方してしまった気がする。
「そういえば、またあなたにもお手紙がきていたわ」
上質な封筒を渡され、私はまたかと嬉しいような、ちょっと面倒なような複雑な心地になった。
リリアンが私のことを手紙に書いてから、なぜか私あてにもアレクシス王子から手紙が届くようになった。
最初は妹と仲良くしてくれてありがとう、くらいの短いものだったのだが、リリアンがアイリスがこんな失敗をした、こんな面白いことをしたと手紙に書くものだから、王子からの手紙もどんどん長くなっていった。
返事をしないわけにはいかないので、こう自然とやり取りが終わりそうなふわっとした感じを心がけて書くのだが、なぜか毎回返信がくる。
どうやったら文通って終わるんだ。
というか私は兄妹で文通をして欲しいのであって、私とまでやり取りしなくていいんですよと叫びたい。
王族への手紙とか、一字一句間違えられないし、冗談も品のいい上手い冗談じゃないといけないし、というか私は手紙を書くの苦手だ。
毎回何度も読み返しては書き直し、文章の頭を縦に読んだら「ばか」とかになってないかも確認しているのだ。
縦に読むと「ばか」になるぞ!不敬!死刑!
は考えすぎかもしれないけれど、気を付けておいて損はないはず!
マグヌス先生からは、アレクシス王子への手紙にはリリアン様の勉強中の様子や進み具合についても書くように言われてるし。
もう手紙なのか報告書なのかすらわからない。
古語の初授業はつつがなく終わり、自室に返ってきた私は王子からの手紙を開いた。
さすが王子というべきか、流れるような美しい筆致だ。
なんか良い匂いもする。
親愛なるアイリス嬢
先日はリリアンが我儘を言って、あなたに迷惑をかけてしまいすまない。しかしあなたに、はさみも使わずに紙を折るだけで花を作る特技があるなんて、思いもしなかった。妹もとても喜んでいた。ありがとう。折るだけであんな綺麗な花が作れるなんて、とても興味深い。リリアンが今度作り方を教えてくれると張り切っていたよ。そこでもし良ければなんだが、お茶会でもしないか?一度ぜひあなたと会って話してみたい。互いの好きな詩や物語の話でもしよう。もちろんリリアンも一緒に。
リリアンに何か面白い物を見せてと駄々をこねられ、苦肉の策で折り紙を折ったのだが、兄妹には大変珍しいものに見えたようだ。
とっさに使った名前がアイリスだったから、あやめの花を折ってあげたのだ。
しかしついに「会いたい」と来たか……。
「どうしよう」
ため息をついて私は机に突っ伏した。
帰ってきたばかりで暖炉にはまだ火が入っていない。
いつの間にか、私の身の回りを世話してくれる使用人のほとんどが、オデットの係になっていた。そのせいで、帰宅時間にあわせて部屋を暖かくしてくれる使用人すらいないのだ。
まぁ家を出たら暖炉に火を入れるのも自分でやらなきゃいけないわけだから、予行練習と思えばいいだけなんだけど。
ぶるりと身震いして、私はいそいそと暖炉に火を入れた。
薪に火が燃え移るまで見守りつつ、手紙の返事を考える。
別に王子に会いたくないわけじゃない。
でも私はアイリスという偽名を使っているし、なによりアルバイトのことがばれては困るのだ。
オデットは相変わらず、私をやってもないいじめ犯人に仕立て上げてくるし、兄は私のことが嫌いだと言ってはばからない。父はもとから無関心だったから、たいして変わりないけど。
アルバイトをしているとばれたら、何を言われるやら。
マグヌス先生にも絶対に迷惑はかけられない。
でも王子の誘いを断ったら、罪にとわれたりしないだろうか。
「どっちにしろ怖いよ~」
暖炉の前に座り込んで、ぐわんぐわん揺れる。
体を動かすと少しだけ寒さが和らぐ気がする。
リリアンも王子も折り紙が気に入っていたから、新しいのを作ってあげようかな。
マグヌス先生も興味深そうにしていたし、もっと見栄えのいいものを作りたい。
何が良いかな。
やっぱり鶴?脚が生えてるやつも作れるけど、ちょっとふざけすぎかな?
炎が薪を舐めて徐々に大きくなっていくのを見ながら、次の授業のことを考える。
王子との手紙のやり取りは少し面倒な気持ちもあるけど、家に居場所のない私にとって、リリアンやマグヌス先生との時間は自分らしくいられる唯一の時間だ。
そして私がアニエスだと知らず、オデットのことも知らない王子と、手紙で他愛のないやり取りをするのは、つかの間の自由になれる時間でもあった。
「アニエス!」
階下から兄が怒鳴る声が聞こえ、私はびくっと飛び跳ねた。
気が緩んで寝そうになっていたみたいだ。
「うげぇ」
またか。
今度はどんな理由で怒られるのやら。
面倒くさいなぁと思いつつ立ち上がる。
やっと暖炉の前だけでも暖かくなってきたというのに。
ショールを羽織ろうと思って、見覚えのないショールがあることに気が付く。
私にはあまり似合わなさそうな淡い色の可愛いショールだ。
まさかと思いつつ、半ば諦めて見覚えのないショールを持って下りる。
案の定、見覚えのないショールはオデットが父から買い与えられたもので、私がそれを奪ったということになっていた。
オデットに新しいショールを買うなら、私にも新しいのをおくれよと思いつつ兄の説教を聞き流していたら夕食の時間になったので、もう食べずに部屋に戻った。
結局、会いましょうと王子に返事をする勇気は出ず、お茶会をするならひばりが北から戻ってくるころがいいですね、なんて詩的な表現で誤魔化しておいた。
もう少し、この小さな幸せと、わずかな自由を感じていたかった。