四年生10
舞台袖から少しだけ顔を出し、私は思わず悲鳴を上げそうになった。
研究発表会というから、審査員の前で粛々と発表する感じかと思っていたのだが、想像の五倍くらい人が多い。
一番前の列に審査員である先生たちが座っており、その後ろには生徒や卒業生、学院外からきたお客さんなどなど。もう、とにかく人が多い。中庭に設けられたステージを囲って、半円状に広がる椅子だけでは足らず、立ち見の観客もいる。
こっちからは見えないけれど、校舎の中から偉い人たちが見学しているらしいし。
「こんなたくさんの人がくるなんて聞いてないよ~」
緊張からじっとしていられなくて、その場で足踏みしてしまう。
なんだか足元がふわふわして、血が逆流しているみたいだ。
「うぅ、アニエスー!」
小声で叫びながらルネが抱き着いてきて、二人してその場でどうしようどうしようと変なダンスを踊っているみたいになった。
落ち着きのない私たちに、カルはやれやれと肩を竦めて言う。
「アニエスは立ってるだけだろ」
「実演の時に、お前も一緒に打ち上げてやろうか?」
そりゃ研究内容を説明したり、質疑応答をしたりする係に比べたら、実験の実演係は楽そうに見えるだろうけども!
ちなみに説明役がカルで、質疑応答はルネが担当することになっている。
ロランはステージに立ちたくないと断固拒否したので、袖で待機だ。
「もう、カル!花火の扱いが一番上手なのはアニエスだって自分で言ったじゃない」
「怒るなって、ルネ」
ルネに肩を軽く殴られ、カルは愉快そうに笑った。
一時期険悪というか、ルネがカルを避けていたようだったが、いつの間にかいつも通りに戻っている。
よかったと思う反面、相談してもらえなかったことを少し悔しく思う気持ちはある。
ルネがお兄さんの話をしてカルを怒らせた日。
謝りに行ったはずの彼女が一人で戻ってきて、涙を流した理由を私はいまだに教えてもらっていない。
というかイザベラが吸血事件の三人目の被害者ではなく、ウィスプに乗っ取られていたのだとわかってから、花火の準備と並行してウィスプの行方を捜しつつ、いろいろな準備もしていたからすごく忙しかったというのもある。ちょっと言い訳くさいけど。
忙しかったおかげというか、先生たちが対策を強化したおかげで、この一週間新しいウィスプの被害者はでていないのが幸いだろう。
「もうすぐ出番だ」
ロランの声はとても小さかったけれど、わちゃわちゃしていた私たちはいっせいに静かになった。
前の組が質疑応答に入ったのだ。
「マンドラゴラの鳴き声を小さくするために品種を改良するのではなく、一緒に声枯らしを植えるという発想は大変興味深いです。しかし声が枯れた状態が続けば、マンドラゴラにストレスがかかる可能性もありますね。その点はどうですか?検証していますか?」
「いえ、まだです。今後取り組んでいきます」
「そうですか。一つの成功例のみでは、再現性の点において評価できません」
「はい……」
植物科の五年生の先輩たちは、審査員の厳しい意見にしょんぼりと肩を落とした。
「ですが生育地のまったく異なる植物を共生させるという点においては、大変面白いものでした。素晴らしい発表でした。皆さん、拍手を」
励ましをもらい、ほっとした顔で五年生たちは、波の音に似た大勢の拍手に見送られて反対側の舞台袖へ消えていった。
「では次の発表です。今年は唯一の四年生です」
「出番だ!」
口の前で祈るように組んだルネの両手が震えている。
彼女を守るようにカルが先頭に立った。
花火と使った材料が乗った台車の持ち手に手を添えた私のそばに、そっとロランが寄り添う。
彼は熱心に私の髪や制服の襟を整えてくれる。
「頑張って」
応援の言葉とともにこめかみにキスされ、気持ち一センチくらい飛び上がってしまった。
舞台袖が暗いからいいものを。
すぐこういうことするんだから。
クスクスと低く笑うロランをにらみつけ、私は何事もなかったかのように姿勢を正す。ように見せかけて、頬にキスをし返してやった。
「な……」
目を見開いて固まるロランに笑いかけて、私は先に行ったルネ達を追いかけてステージへ踏み出した。
「ちゃんと、見ててね」
キスされた頬を手で押さえ、彼は子供みたいにこくこくと頷いた。
発表会に推薦してくれたリュイ先生から簡単な紹介がなされ、私たちはそれぞれ審査員に一礼した。
普段の生意気な態度とは打って変わって、名門出なだけあってカルは大勢の前でも堂々としている。私も礼儀作法は骨の髄までしみ込んでいるけれどモリエヌスでの作法は洗礼されているとはいいがたいので、カルの振る舞いを横目で見つつ真似させてもらった。
マイクみたいに音を増幅するブローチをつけたルネが一歩前に出た。
興奮からか赤く染まった頬が生き生きとしている。
本当に綺麗な子だと、自分がステージ上にいるのも忘れて呆けてしまった。
「この花火はリュイ先生の鉱物学応用の実習で作ったものです。まずは実物を見てください」
はっ、あぶないあぶない。
我を取り戻した私は、発射筒に花火をセットした。
客席や校舎に花火が突っ込んでしまわないように、慎重に角度を調整する。
筒先が何もない空に向かっていることを指さし確認。
発射筒の固定確認。
よし!
水を少量、筒内に流し込み、急いで後退した。
火薬に火が付くまでの数秒間。
たくさんの視線が静かに、その暗い筒先へと注がれた。
ジュッと発火する音。
筒先が甲高い音とともに爆ぜた。
ヒューッ、白煙を上げて花火が空へと飛んでいく。
パンッと軽い爆発音がして、空に赤い花が咲いた。
目も覚めるような赤い光の粒は同心円状に広がり、溶けるように光を失っていく。
ここまでは普通の花火だ。
しかし光の粒はそのまま消滅せず、白く変色し、ひらひらと落下し始めた。
まるで桜の花が散っているようだ。
前世で何度も見た懐かしい光景に似たそれに、自分たちが作ったものだということも忘れて私は見入ってしまった。
明らかに光が違うものに変化したことに気が付いた人々から、どよめきのようなものがあがる。
ちらほらと伸ばされた手が、白いそれを掴んだ。
「触れるぞ」
「すごい、本物の花みたいだ!」
「見て!真珠みたいに光るわ!」
わぁっと想像以上の歓声に、思わず笑みがこぼれた。
遠目では桜の花に似ているけれど、もちろん本物ではない。
火薬に混ぜた成分が空中で急速に冷えることで結晶化しできた鉱物の一種だ。
「本来なら空中で消えてしまう花火の光が、触れることのできるものに変化したらおもしろいなと思って作りました。思い出も花火も一瞬のものですが、この花びらは消えることはありません。この花びらを見るたびに、幸せな思い出もよみがえるのではないかと思います」
真珠を薄く削ったような、美しい光沢のある花びらが、人々のうえにはらはらと舞い散り続ける。
青空に舞う白い花びらなんて、もう二度とみられないと思っていた。
モリエヌスはこれから長い冬に入る。
人々はにわかに訪れた春を掴もうと手を伸ばし、空を見上げる。
まるで夢のような光景だった。
「優秀賞を祝して、かんぱーい!」
「乾杯!」
ルネの掛け声に合わせて、四つのカップが打ち合わされる。
独創性、発想力、作成期間の短さも考慮したうえで、私たちは三位に滑り込み、なんと目標通り優秀賞をもらうことができた。
研究発表後、軽食ができるスペースに早変わりした中庭で、私たちはお疲れ会を兼ねた祝杯をあげることにした。
優秀賞金と正式な表彰のためにハーメスの塔へ入るのは祭りが終わった後、夜なので、まだしばらく暇だ。
「みんながいるから絶対にうまくいくと思っていたけど、本当に優秀賞がもらえるなんて……!本当にありがとう!」
「礼を言うのはこっちだろ。そもそもルネの発想がなきゃ、ただの花火を作って終わりだったんだ」
「そんなことないよ。実際の調合はアニエスがやってくれたし、私たちでは難しい計算はロランが、カルも……私はただ、ちょっと思いつくきっかけがあったというか……」
ルネは気まずそうに目を伏せ、カップをきつく握りこむ。
彼女が言わんとしていることがわかり、私はカップごと包み込むように彼女の手を握った。
「ルネがルネだから私たちは協力したんだよ」
「アニエス……」
「来年も四人で出ようよ!二連覇とか格好よくない?」
「来年って五年生になったら、科が分かれるだろ」
「科を超えた友情ってやつよ」
「……まぁ悪くはないな」
「ロランは?」
「アニエスがやるなら僕はもちろん手伝うよ。あとステージに立たなくていいなら」
人前に出るのは嫌いなんだと付け加えたロランに、カルは胡乱げな視線を向けた。
「ずっとお前のことをいけ好かない奴だと思っていたが、今は正直呆れてる」
「僕がアニエスに甘すぎるって?」
「わかってるのかよ」
「自分でも知らなかったけど、僕は君と違って好きな子のことは甘やかすタイプなんだ」
ね?とロランが私に溶けるような笑みを向けると、なぜか後方のテーブルから女生徒の歓声があがった。
いつの間にか下級生を中心に、ロランのファンクラブが私とロランを見守る会に変化してしまったらしい。
滅多に表情を変えないロランが、私といればこんなふうにしょっちゅう微笑むから、目の保養になるのだろう。
「この通り、甘やかされてのびのび育っております」
今日は気が大きくなっているので、ロランのときめき攻撃にも余裕をもって対応できている。
愛されていると堂々と胸を張れるのって、すごくいい気分だ。
やんややんや言ってくるカルとテーブルの下で蹴りあいをしていると、ロランがそういえばと耳打ちをしてきた。
「発表の時、貴賓席に君によく似た人がいた」
思わず貴賓席があった方、校舎の二階を見上げたが、もちろんもう誰もいない。
「私に?」
「うん。髪色もだけど、顔も似ていた」
ロランがそういうくらいなのだから、かなり似ていたのだろう。
心当たりがあるとすればフレイム王国にいるはずのオデットくらいだけど、彼女の髪は私よりも薄いピンクだし、顔も私のほうがいくぶんかきついはずだ。
なんとなく全体の雰囲気は似ていたとはおもうけれど、ロランがよく似ているというとは思えなかった。
「他人の空似ってやつかな?」
世の中そっくりな人間が三人はいるらしいし。
呑気に答える私とは対照的に、ロランはわずかに眉をひそめる。
「それに君にそっくりな人の隣の奴が、ステージに立っている君のことを食い入るように見てた」
「それは思い過ごしでしょ」
私の赤い毛先を指にくるくる巻き付けながら、面白くなさそうに彼はこう続けた。
「学院の奴は僕らが付き合ってるって知っているけど、来賓は知らないだろ。アニエスは目立つから……」
「もしかして嫉妬してくれたの?」
赤い目を覗き込んでからかうと、むっとした顔で彼は答えた。
「してるよ」
「おぁ……」
こうも即答されるとさすがに照れるというか、圧が強いというか……いやでもやっぱり嬉しいから、ニコニコしてしまう。
だから、こんなふうに彼の眼差しを一身に受けることができるのが、今日で最後になるなんてちっとも考えつかなかったのだ。




