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四年生8


ポルフィリンフィンチが学院内にいるのではという噂は瞬く間に広まったが、同時に馬鹿馬鹿しいとすぐに忘れ去られていくかのように思われた。

しかし一週間経った今も、噂はそこかしこでささやかれている。

むしろ激化して、捕獲しようという動きもあるくらいだ。

というのも、廊下で三年の女生徒が襲われた一昨日の晩、再び生徒が襲われたからである。


朝からその話題でもちきりの食堂には一種異様な熱気が漂っていた。

みんな朝ごはんなんてそっちのけで、一昨日襲われた生徒の話をしている。

なんでも再び廊下で倒れているところを発見されたらしく、ひどい貧血のためにいまだ寝込んでいるらしい。

首に傷があったとか、いやあれは噛み痕だったとか、実は動物じゃなくて血に飢えたゴーストの仕業とか、根も葉もないうわさが飛び交っている。

「まさか本当にポルフィリンフィンチがいるわけないよね?」

つい不安になって小声で尋ねると、いるわけないじゃんとロランはあっさり言い放った。

「襲われた生徒はひどい貧血だけど生きている。ポルフィリンフィンチだったら死んでる」

「じゃあやっぱりほかの吸血動物?」

学院内で飼育している動物に被害が出たとも聞かないから、わざわざ人間を狙って血を吸っているということになる。鳥とか哺乳類から吸うのなら聞いたことがあるけど、人間だけを狙う吸血動物は正直聞いたことがない。

しかしほかに考えられる可能性もないというのが現状だ。

「動物といえば動物だろうね……」

ロランはそう呟いて、目玉焼きの黄身をつつく。

まるでこの事件の犯人がわかっているみたいな口ぶりだ。

追及しようと私が口を開いたのと、怒声が食堂に響くのは同時だった。


「あんたがやったんでしょ!この蜘蛛女!」

椅子が倒れるけたたましい音が続き、食堂は水を打ったように静まりかえる。

何事かと声のしたほうを見ると、少し離れたテーブルで私たちの一つ上、五年生を表すモスグリーンのローブを着た女生徒が、ボルドーのローブを着た小柄な子の胸倉をつかんでいた。

クリスティーナさんがいなくなってしまったので、もう虫かごは下げていないが、その胸倉をつかまれているほうがニーカだということはすぐにわかった。

「なにしてるの!」

矢も楯もたまらず私は立ち上がり、五年生を止めに入る。

「関係ないやつはすっこんでてよ!それともあんたも共犯なわけ?」

「共犯って何の話をしてるの?」

「吸血事件よ!一昨日、私の妹を襲ったのはこの蜘蛛女なのよ!」

「そんなわけないでしょ!言いがかりはやめて!」

というかニーカを離してほしい。

ぐいぐい押しやってみるが、五年生は見た目にそぐわずなかなか胸倉から手をはなしてくれない。

「この女のお友達の蜘蛛がいなくなったのはみんな知ってるのよ!きっとこの学園のどこかで隠れて飼ってるんだわ。一昨日だって妹が倒れていた廊下で、こいつがウロウロしていたって目撃者もいるのよ。最低!人の妹を蜘蛛の餌代わりにするなんて!」

「クリスティーナはそんなことしない!彼女は血なんて吸わないわ!」

「しらばっくれないで!」

ニーカの言葉に逆上した五年生は手を振り上げた。

待って待って!そのまま振り下ろしたら私まで当たっちゃうんですけど!こ、こうなれば私がニーカの盾に……!

私が覚悟を決めるのと、五年生の振り上げた腕が掴まれるのは同時だった。

「な、なにするのよ!」

「ロラン……!」

よかった。

助けに来てくれたんだ。

ロランはわざとあたりを見回しながら、諭すように静かに言う。

「こんな下級生もいるところで、上級生として一方的に相手を責める姿を見せるべきではないと思います。どうか一度落ち着いて」

「落ち着けですって?また被害者がでるかもしれないじゃない。違うっていうなら、この子こそ今ここで自身の潔白を証明すべきよ」

彼女が誰にともなく同意を求めると、数秒の沈黙の後、徐々にそうだという声が上がり始める。

「ニーカ、大丈夫?」

彼女はこくこくと頷き、きっと五年生の方へ顔をあげた。

「あなたの妹が襲われたのは本当に気の毒だけど、誓ってクリスティーナは吸血動物じゃない!」

「なら、今ここに連れてきなさいよ」

「それはできない」

「この……!」

ロランに掴まれた腕を力任せに振りほどこうと暴れる五年生へ向かって、人垣からツカツカと歩み寄る影があった。

豊かな金髪をなびかせ突然現れたイザベラは、ためらいも見せずに五年生の頬に平手打ちをした。

皮膚同士がぶつかる破裂音に似た痛そうな音が響く。

「落ち着きないって言われたでしょ。先生を呼んできたから、好きなだけ訴えを聞いてもらいなさい」

「イ、イザベラ……?」

「あとこの子が一昨日の晩、廊下をウロウロしていたのは私の落とし物を探してくれていたからよ。蜘蛛だってどうせ死んだから連れていないんでしょ」

イザベラがそう言い終わると、駆けつけてきた先生が何をしている!と怒鳴るのが聞こえた。

私たちは指導室に連れていかれ、それぞれ話を聞かれた。

ニーカの蜘蛛、クリスティーナさんが夏休みの間にいなくなったことと今回の吸血事件には何の関係もないと先生たちが言ってくれたので、彼女に対する疑いは晴れた。

あの五年生は騒ぎを起こした罰として、しばらく食堂などの公共の場は使用できないことになったらしい。


先生たちの事情聴取が終わったニーカを迎えに行くと、彼女はこれは先生には言わなかったんだけどと小さい声で教えてくれた。

「一昨日の晩、廊下にいたのは、もしかしたらクリスティーナがいるかもしれないと思って探していたからなの……」

「じゃあイザベラが言った落とし物って」

「私を庇ってくれたんだと思う」

どうしてイザベラが?

私たちは同じ疑問を抱えて唸ったが、答えはわからずじまいだった。





放課後、いろいろあって遅れ気味の花火の作業を進めるために、私たちは実習室に集まっていた。

乳鉢と乳棒でゴリゴリと粒を細かくする作業は好きだ。

ひたすら手を動かすと雑念とか不安とかが一時的になくなる。

今朝の食堂での騒動のせいで、一日中気が重くて仕方なかったのだ。

助けに入ってくれたロランも事情聴取されて迷惑かけちゃったし。

まるまる一限目つぶれて、二限目も始まっているから、堂々とさぼれるねって本気か冗談かわからないことを言ってはいたけど。

「ねぇ、カル」

机の向かい側でカルと一緒に火薬の試作をしていたルネが口を開いた。

「吸血事件のこと、カルのお兄さんに相談したほうがいいんじゃないかな」

兄という言葉に、カルの体が瞬時に固まる。

彼はその緊張をごまかすように、ひどく平坦な声で返事をする。

「……なんで兄貴の名前が出てくるんだ」

「だって六年生の首席だし、在学中に初めて審問官の資格をとった人だし……」

「そうだな、兄貴は立派だよ」

「そういうことを言いたいんじゃなくて」

「なんだよ。そういうことだろ」

カルはルネの方を見ずに火薬を詰める前の筒を乱暴にたたきつけ、立ち上がった。

「優秀な兄貴のことだから、俺らが相談なんかしなくたって勝手に調査してるさ。そんなに兄貴と話したいなら勝手にすればいい。でも俺は絶対に紹介しない」

「カル!」

ルネの呼びかけを振り切るように、カルは足早に実習室を出て行ったしまった。

「ルネ……」

「ごめんなさい。カルにお兄さんの話はしちゃいけないってわかっていたんだけど、学院のみんなが怖がってピリピリしてるのをなんとかできないかなって」

「ルネは悪くないよ」

そう慰めたが、彼女は力なく首を横に振る。

そしておもむろに道具を片付け、立ち上がった。

「……私、やっぱり謝ってくる」

小走りにカルを追いかけてルネがいなくなるのを確認してから、私はロランを肘でつついた。

「ロランは吸血事件の犯人、わかってるんじゃないの?」

彼は赤い瞳をちらりとこちらに向けてから、小さくため息をつく。

「何なのかはわかっているけど、犯人はまだわからない」

「それってどういう意味?」

「吸血している犯人の正体は教えられるけど、誰なのかはまだわからないってこと」

「誰なのかわからないって、まさか人間が犯人なの?」

「たぶん」

たぶんってそんな驚愕の事実を軽く認めないでほしい。

だって動物じゃなくて、人間がやってるってことは、それは本当に事件だ。

動物が犯人なら、血を吸うのは生きるためだ。

だから仕方ないとは言えないけれど、理解はできる。

「でも人間が人間の血を吸うなんて異常だよ。どうしてそんなこと……」

「ロアが魂の情報を物質として保管する方法を見つけたのに、降霊科の錬金術師がみんなそうしないのはなんでだと思う?」

「方法が失われたからだってリュイ先生からは聞いたけど」

「方法はある。かなり精度が下がったものが」

「じゃあ、どうして……」

「人間の魂は情報量が多すぎるんだ。だから完全に変換することができない。二度三度と繰り返せばコップを移し替えるたびに水が減るように情報も失われてしまう。一度の移し替えでも耐えられるかは運だ」

乳鉢の中身を移し替え、ロランはこの通りと底にこびりついたものを見せた。

「そして魂の足りない容量を補うために、他者の霊素を欲するようになる。霊素は魂の本質だから」

「まさかそのために血を」

「でも血を媒介にして霊素を奪っても、すぐに足りなくなる。一瞬満たされても、自我の崩壊は続き、苦痛はもっと激しくなる。一度他人の霊素を奪えば、あとは坂道を転がり落ちるように化け物への道を進んでいく。それでも体を乗り換え生き続ける存在のことをウィスプというんだ。だからたぶん今回の事件はウィスプが犯人だし、これからも被害者は増え続ける」

「じゃあ、早く捕まえなきゃ!」

「それは先生たちの仕事で、僕たちは自分の身を守るべきだ」

「そうだけど……」

正論を出されて言葉に詰まった私は、はたと大事なことに気が付いた。


「どうしてロランはそんなに詳しいの?」

「カエルのことを師匠に相談したときに、自衛のためにいろいろと教わったんだ。どういうわけか僕は降霊科に縁が深いみたいだから」

「本当に自衛のためなんだよね」

なんだか怖くなって念を押す私に、ロランは苦笑する。

「本当に自衛のためだよ。そんなに僕は降霊科に入りそう?」

「向いてそうだなとは正直思ってるかも」

「じゃあアニエスも向いてるかも」

「もう!お願いだから、絶対にロランは降霊科に近寄らないでね」

ロランはまだ自分がロアのクローンだと知らないはずだ。

でも今の降霊科は、彼の父親だったファウスト伯が率いている。

きっとファウスト伯はロランとロアの魂を狙ってくる。

もし本当に今回の吸血事件の犯人がそのウィスプという存在なら、もしかしたらこれは降霊科が仕組んだことなのかもしれない。

なんてことだ……。

知らないうちに敵がすぐそこまで忍び寄っているかもしれないとは……。

「絶対、私が守るからね!」

「えっ、僕が守られる方なの?」

「そうだよ!ロランは私が守るからね!」

きょとんとしている顔もかわいいロランを抱きしめ、守るぞー!と気合をみなぎらせていると実習室のドアがあいた。

ルネが戻ってきたのだ。

「あぶなっ!」

「ちょ、アニエス……!」

抱き合っているところを人に見られるのは問題なので、とっさにロランを突き飛ばしてしまった。

急に突き飛ばされた彼は椅子ごと後ろにひっくり返り、床に腰を打ち付けてウッとうめき声をあげる。

「ロランー!」

慌てて助け起こし、謝り倒す。

守るといったり、突き飛ばしたり、謝り倒したり、自分でも何やってるんだって感じだ。

床座り込んでわちゃわちゃしている私たちが視界に入っていないのか、ルネはとぼとぼと椅子に座った。

「あ、あのね、ルネ、これは……ルネ?」

その顔はひどく暗く、まるで悪い夢でも見た後のようだ。

彼女はじっと机の上を見つめていたかと思うと、その美しい赤い目からぽろりと一粒の涙が零れ落ちた。



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