12歳 夏2
「リリアン様、どうか椅子にお座りになって……」
「嫌よ!絶対、嫌!」
「お願いですから、物を投げないで、いたっ!」
宙を舞うぬいぐるみが、ぽこぽこ頭に当たる。
「勉強なんてしない!リリーはお兄様と遊ぶの!」
「リリアン様ぁ……」
頑張るぞー!と張り切っていた数時間後がこの有様である。
今年八歳になられたリリアン様は、このとおりのお転婆、じゃじゃ馬、言葉を選ばずにいうと我儘放題のお姫様だった。実を言うと、このリリアンもゲーム内ではお邪魔キャラとして登場する。まぁ私ほどじゃないけどね!
マグヌス先生は部屋の隅で、優雅に本を読んでいて、助けてくれる気配はない。
まさかこうなることを予期して、私を助手として雇ったのか。
な、なるほど……。
そうなると逆に、先生見ていてください!私、必ず王女様を座らせて見せます!というやる気が湧いてくる。
ぬいぐるみを投げつくして肩で息をしているリリアンは、見た目だけならとても可愛らしい少女だ。
中身は全然可愛くないけど。
とりあえず、ぬいぐるみ攻撃がやんだので、対話を試みることにする。
床に座り目線を合わせた私に、リリアンは警戒した様子で首を竦めた。
「リリアン様はお兄様が大好きなのですね」
「当たり前でしょ!お兄様は完璧な王子様なのよ!」
「はい。存じております。同い年の令嬢は皆、アレクシス様に憧れていますもの」
「あなたも?」
うわ、難しい二択きた!
興味ないと言っても角が立つし。
「もちろんです」
「ふーん」
リリアンは私の上から下までじろじろと観察して、最後に鼻で笑った。
お前なんか敵じゃない、という種類の笑いだった。
このくそが……おっと!いけない、いけない。
「リリアン様はアレクシス様とどのような遊びをされるのですか?」
「お茶会や本を読んでくださるわ」
「まぁ、羨ましいです!」
そうでしょう、そうでしょうとリリアンは嬉しそうに笑う。そうしていると年相応の可愛い少女に見える。
しかしその笑みは、徐々に暗いものになり、最後にはすっかりうつむいてしまった。
「でも最近はあまり遊んでくれないの……お兄様も忙しいから」
リリアンの兄、アレクシスはこの国の王子だ。
そしてオデットが主人公のゲームのヒーローでもある。
確か私の二つ年上で、十四歳かな。
王子様ともなると、いろいろ忙しいんだろうなぁ。
それからしばらくの間、私はリリアンの話にじっと耳を傾けた。
彼女は時々言葉に詰まりながらも、一生懸命に話し続ける。
兄のアレクシスだけが自分に優しいこと。
両親である国王と王妃は少し怖いということ。
いままで何人もの家庭教師が来たが、みんな頭ごなしに叱ったり、間違えたら手を鞭で叩かれたりして、とても嫌だったこと。
本当は人形遊びよりも、馬に乗る方が好きなこと。
アレクシスは国王になるための勉強が本格的になってしまい、もうずっと一緒に過ごせていないこと。
とりとめのない、けれど小さな王女様の本音は、可愛らしくて少し可哀想だ。
「では、リリアン様がアレクシス様に詩を読んで差し上げるのはどうでしょう」
「詩を?」
「リリアン様が素敵な淑女になられたと、お喜びになります」
「……でも勉強は嫌よ。だって難しいのだもの」
「それは最初だけです」
上目遣いに見てくるリリアンに、私は拳をつくって力説した。
「私も最初はとても難しく感じましたが、リリアン様ならきっと私よりも早くできるようになります!わかるようになれば、楽しくなります!」
えぇとちょっと引いたみたいな顔をしたリリアンだったが、できないと言うわけにもいかずもじもじとしている。
「リリアン様はアレクシス様の好きな詩などはご存知ですか?」
「……ひばりの詩よ」
「では、ひばりの詩を書けるようになりましょう!そしてお手紙にして、文通をするんです」
「文通?」
「はい。忙しくても、文を通せば会話ができます」
手紙でやりとりをするという提案に、興味がひかれたらしい。
リリアンは悩みつつも、小さく頷いてくれた。
「私もリリアン様と一緒に勉強をいたしますので、まずは一緒に座りましょう?」
「……あなた名前は?」
「ア……」
アニエスですと正直に答えそうになって、慌てて口をつぐむ。
私がマグヌス先生の助手をしていることは秘密なんだった。
「アイリスです」
「いいわ、アイリス。一緒に勉強してあげる」
やったー!
聞きましたか、マグヌス先生!
私、やりましたよ!
喜び勇んで振り返ると、よくやりましたと頷いている先生と目があう。
そうしてやっと、リリアン王女を机に座らせることに成功した。
最初の数回は、渋るリリアンをその気にさせるところから始まったが、次第に楽しくなり始めたらしい。
今日はなんと授業が始まるや否や自主的に机に座ったのだ。
自力で難しい文章が読めるようになって、本人は認めないが楽しくなってきたようだ。
「今日はやっとひばりの詩に入れますね」
ひばりの詩を書けるようになろうと約束した手前、リリアンのやる気が続くうちに入れるか不安だったのだ。
よかった。
「アニエスは年下の扱いが上手ね」
「ありがとうございます」
「まるで十二歳じゃないみたい」
「そ、そんなことあるわけないじゃないですかぁ」
予想外のところから図星をつかれ、挙動不審になってしまう。
けれどマグヌス先生は私のごまかし笑いに突っ込むことはせず、穏やかに笑っていた。
実は先生には全部お見通しなんじゃないだろうか。
そんなわけないけど、ちょっと怖くなってしまった。
真剣に机に向かっていたリリアンが、できたと顔をあげる。
「見て!アイリス!マグヌス先生!」
掲げられた手紙には、丁寧な字でたくさんの言葉が書き連ねられている。
アレクシス王子への初めての手紙だ。
「わぁ、とても綺麗に書けています!」
中身をじっと目で追っていた先生も眼鏡を外して、ニッコリと微笑んだ。
「正しい敬語と表現で書けています。すばらしい出来です」
「これならお兄様に渡しても大丈夫かしら?」
「きっとお喜びになります」
ふふふ!と書き上がった手紙を抱きしめて、リリアンはその場でくるくると回った。
「ねぇ、アイリス」
「はい、リリアン様」
「次のお手紙にはあなたのことも書いてあげるわ」
「私のことを?」
「ええ。私のお友達だってお兄様に紹介するの」
「リリアン様……」
くそがきめと思った回数は数知れないが、ここまで信用してもらえるなんて。
感極まる私に、リリアンはさぁ感謝なさいとばかりにニコニコしていた。
この時私は、まさか王子が「リリアンの友達のアイリス」に興味を持つなんて、少しも考えていなかった。