四年生6
「ハーメス祭?」
また知らない行事が出てきたと復唱する私に、ルネは生真面目な顔でハーメス祭と繰り返した。
「賢人ハーメスが亡くなった十一月に、錬金術のさらなる発展を願って学院内で催される行事だよ。こっちでいう文化祭みたいな感じかな。五年生以上はそれぞれが所属する科で出し物をして、下級生をもてなすの。合わせて研究発表会も学年問わず任意で参加できて、なんと優秀賞を取った生徒は、賞金とハーメスの塔に入ることができるの!」
なんだその安直な名前の楽しそうな行事は。
私が去年学院に来たのが十二月だったから、その時にはもう終わっていたということか。
一年分微妙に逃していたと思うと、普通に悔しい。
モリエヌスもまた乙女ゲームの世界で、ルネはヒロインであると判明した翌日。
私たちは放課後、ルネの部屋に集まり、作戦会議を開いていた。
私が編入するまではニーカが二人部屋を一人で使っていたように、ルネも一人で部屋を使っているのでありがたく使わせてもらっている。
ハーメスのクローンである彼女は、一年前にルネとして目覚めたらしく、前世のこともよく覚えていた。
だからすぐに自分がヒロインのルネになってしまったのだと気が付くことができたそうだ。
だからといって急に放り込まれた世界で、どうしたらいいのかわからないまま学院に編入させられ、普通にしていたら一番攻略が簡単なカルと仲良くなってしまい、一番怖いラスボスのロランは見たことのない悪役顔の女生徒と付き合ってるっぽいし、何がなんだかという状態だったらしい。
意図せずして私の存在で混乱させてしまい、少し申し訳ない。
しかしその謎の女生徒、つまり私も、自分と同じ転生者だとわかって、泣きそうになるほど嬉しかったというわけだ。
というわけで、改めてルネから協力を申し込まれた私は、第一回作戦会議にのぞんだというわけである。
そして最初の議題「ハーメスの魂集め」を話し始めてすぐ、ルネはハーメス祭という名を口にしたのだった。
「その行事がハーメスの魂を集めるのと、どう関係するの?」
「ハーメスの三つに別れた魂「大地の意思」「人」「記憶」のうち、「人」の魂が塔には封印されているの。そして塔に入る方法は、ハーメス祭で優秀賞を取る以外にない」
「それがシナリオの正規ルート?」
「うん。このイベントで手伝ってもらうキャラを選ぶんだけど、実質それがルート選択になってるの」
へぇ、ルート選択とか乙女ゲームみたい。
あ、乙女ゲームなんだった。
「そういえば攻略キャラって誰?一番ちょろいのがカルなのはもうわかったけど」
「ちょろいっていうか……うん、まぁ、一番簡単なんだけど……。攻略対象はカルと彼のお兄さんのジル。それとリュイ先生に」
「えっ!」
「な、なに!?」
「あ、ごめん。ちょっとびっくりして。なんか仲のいい親戚のお兄ちゃんが、アイドルデビューしてしまったみたいな気持ちになっちゃった」
「ちょっとよくわからないかな……」
「そっかぁ、リュイ先生が」
ということはヒロインに愛をささやくリュイ先生が存在するということか。きっと優しくて穏やかなリュイ先生のことだから、教師と生徒という関係に悩み恋心を隠しつつ、ヒロインを暖かく見守るんだろうな。鉱物への愛情を見るに、好きな人には一途でまっすぐに気持ちを伝えそうな気もする。えー!すっごい気になるー!……はっ!?まさかリュイ先生がこれまで結婚できなかったのも、このためだった?
まさかの可能性に行き当たり、私は思わずルネを凝視してしまった。
「どうしたの、アニエス……?」
この儚げ美少女が、我が師匠の奥さんになる可能性が……。
うーん……ありだな。
難しい顔で黙り込んだ私に、ルネは面白いくらいオロオロしている。
かわいそうなので、大丈夫だと謝って続きを促した。
「カルとお兄さんのジル?とリュイ先生だけ?」
ルネは歯切れ悪く、もう一人と答えて口をもにょもにょさせる。
なんとなくその様子から、最後の一人が誰か察しがついた。
「ロランでしょ」
「……うん。ロランというか、彼の中にいるロアが最後の攻略対象」
「そっか。本当なら今頃ロランはロアに体を乗っ取られているもんね」
あくまで前回聞いた事実として口に出してから、ずんと気分が重くなった。
ロアが攻略対象ということは、シナリオにおいてロランという存在が戻ってこないことを示しているのだと気が付いてしまったからだ。
ハーメスの魂が揃えばルネが消えてしまうように、ロアに体を乗っ取られたロランはその時点で消えてしまったのだろう。
あの時、地下の祭壇で、ロランがネックレスの水を飲むのを阻止しなかったら、私は二度とロランに会えなくなっていたのかもしれない。
そう思うと、ゾッとした。
「私がハーメスのクローンであるように、ロランもロアの器として作られたの。私を作ったファウスト伯が実験で女の人にクローンを産ませたんだって言ってた。信じられないよね……」
「女の人……」
たぶんその人がロランのお母さんなのだろう。
彼女がどうしてそんな人生を辿ることになったのかはわからないけれど、ロランを逃がし、器になる未来から救おうとしたことだけは確かだ。
「ファウスト伯って、街でルネと一緒にいた男の人?」
「うん。ロアの熱狂的な信者。ロアが復活したら、褒美として自分も不老不死にしてもらえるって信じているみたい」
「不老不死は存在しないはずでしょ?」
「その通り。だからロアに利用されるだけされて殺されちゃうの。ロアのルートではいろいろあって、代わりのラスボスとして倒すことになるんだけど」
典型的な小悪党って感じだろうか。
でもこれでロランが父親だと思っている男の名前が、ファウスト伯だということがわかった。しかも本当の父親ではないことも。
伝えるべきだろうか?
後でちょっと探ってみよう。
ロランにはカエルがどこにいるのか、預けた師匠という人は信用できるのか、しっかり聞かなきゃいけないわけだし。
ルネには余計な心労をかけてしまって申し訳ない。
でももしも同じ場面に出くわしても、私はロランを守るために同じことをするだろう。
この世に彼以上に大切なものはないのだから。
「とにかくハーメスの魂を集めてしまえば、なんとかなると思う!」
またもや難しい顔で考え込む私に、気を利かせてかルネは力強く言った。
「なんとかって、具体的には?」
「えっと、私がハーメスの魂を二個吸収すると、ハーメスの力が使えるチート系ヒロインになるから、なんでもできるようになるよ」
「すさまじく大雑把な説明なのに、妙に説得力がある」
チート系ヒロインかぁ。
そりゃなんとかなるよな。
私もチート系悪役令嬢とかになりたかったなぁ。
「だから今度のハーメス祭で優秀賞を取って「人」の魂を回収すれば、「大地の意思」の魂の場所もわかってるし、シナリオ通りに進めなくてもすぐにチートになれるはず!あとはファウスト伯とかロアとか降霊科の錬金術師たちをやっつけちゃえば終わり!」
ルネが言っていることはわかるのだが、ざっくり計画すぎてなんだか心配になってしまう。
でもチートだったら、なんとかなる、のかな?
知っておかなければならないことはだいたいわかったし、あとはとにかく行動あるのみだろう。
私たちは拳を握りしめ、掛け声とともに上へ突き上げた。
「ハーメス祭で優秀賞取るぞー!」
「取るぞー!」
第一回作戦会議が終了したころには、とっくに夕食の時間を過ぎていた。
二人でとぼとぼ食堂から戻ってくると、談話室でカルに捕まった。
カルはルネのためにパイをとっていたらしい。
なんだよぉ、私の分はないのかよぉとダル絡みしたら、凄く嫌がられた。
まぁ私も同級生の恋路を邪魔するほど空気の読めない奴ではないので、隠しているお菓子でも食べると言って、二人っきりにしてあげることにした。
一番攻略しやすいから、気が付いたら仲良くなっていたという経緯があったとしても、カルのルネへの気持ちは作りものじゃないと思うから。
それに隠しているお菓子は本当にある。
今日さんざん話題にあがったハーメスの塔の地下。
ロランの秘密の工房は、私の秘密基地でもあるのだ。
まだ雪こそ降っていないが、地下はもう冬なみに冷えている。
寒い寒い言いながら勝手知ったる手つきで柱にしか見えない扉を開けると、地下らしくない暖かな空気が頬を撫でた。
暖炉の中で、燃焼石が赤々と燃えている。
こちらに背を向けて書き物をしていたロランが、扉が開いた音に俊敏な動きで振り返った。
「今日はもう来ないかと思った」
「ルネと話し込んでたら夕食を食べ損ねちゃって」
彼は書いていたものを隠すように、わざわざ上に本を積んで立ち上がった。
なんの勉強をしていたんだろう。
「パンとチーズもあるけど」
「やった!」
お菓子もいいけど、それだけではちょっと少ないと思っていたので飛び上がって喜んでしまう。
そんな私にロランは苦笑して、温かい紅茶を淹れてくれた。
戸棚からパンとチーズを取り出し、いそいそと切り分けていく。
自分も紅茶の入ったカップを手にしたロランが、当たり前のように隣にやってきた。
「ロランもちょっと食べる?」
「じゃあ、ちょっと食べる」
なんだかんだ言って、ロランも育ちざかりの男の子だもんね。
チーズをのせた二人分のパンを網に乗せて、暖炉の火の上に置く。
暖炉の前に膝を抱えて座り込み、徐々に溶けていくチーズを見守っていると、ついついルネの話を思い出してしまう。
私が知らないロランという少年の人生。
器になるために生まれてきて、ひどい扱いを受けて、それでもなんとか逃げのびて。
でも結局ロアに乗っ取られて、永遠に消えてしまうのだ。
そんなのあんまりだ。
あんまりじゃないか。
目の奥がツーンと痛くなって、涙が出そうになった。
鼻をすすると、どうしたのと尋ねられる。
私はなんとなくロランの方を見れないまま、膝をきつく抱きなおした。
「ロランはもし父親に会えたらどうする?」
復讐したいって彼が答えたら私はどうするのだろう。
止めるのが正しいのだということはわかっている。
けれど彼が心からそうしたいと言ったら、私は手伝うと答えてしまう気もしていた。
ロランはしばらく黙っていたが、おもむろに腕を回して私の頭を抱き込むようにした。
彼の肩は骨ばっていて硬いけれど、じんわりと温かい。
「僕には何もなかった。家族も、帰る家も、大切な人も、将来の夢も。でも今は、君が大切だ。君だけが、大切なんだ。……だからもう父親に会っても、殺してやるなんて思ってないよ」
「もうってことは、やっぱり前までは思ってたんだね」
「うん。でも今は、もっと大事なことがあるから」
そっと腕をほどいて、ロランはおでこをコツンと合わせた。
そして親指のはらで、泣きだしそうな私の目の下を優しくなでる。
「泣かないで、アニエス。君が泣くと、どうしたらいいのかわからなくなる」
「そばにいてくれればいいよ」
ロランは返事のかわりにキスした。
そして私は、ルネから聞いたファウスト伯の話とか、降霊科のこと、乙女ゲームが関わらない範囲で話せるところまで彼に打ち明け、ルネを一緒に助けてほしいと頼んだ。
ロランもカエルの正体についてそれとなく察しがついていたこと。だからこそ、信用している師匠に預けたことを教えてくれた。その師匠も、都合がつけばちゃんと紹介してくれると約束してくれた。
そうして夏休み明けからあったもやもやをすっかり解消して、私たちは焦げたパンを仲良く食べた。
その晩、ルネも知らない新たな事件が起こることなんて知らずに。