四年生5
保健室の天井と、心配そうにのぞき込んでくるルネをぼんやりと視界におさめ、私は呻くように誤った。
「ごめんなさい、ルネ……」
「ううん、気にしないで。気分はどう?」
「……ちょっと良くなった」
安心したとほっと息を吐くルネの顔に少しの嘘もないことに、私もまたほっとしてしまう。
ルネもまた転生者で、ここが乙女ゲーム世界だと聞いたショックで、貧血を起こしてしまった私は、午後の授業を欠席して保健室で休んでいた。
ここまで付き添ってくれたルネまで授業を休ませるはめになってしまったのが少し申し訳ない。
昼休み明けの授業はリュイ先生の鉱物応用論だから、たぶん先生にも心配をかけてしまっているだろうな。
優しいロランは黙って私の分のノートも取ってくれているだろう。
うぅ、申し訳ない……。
処置室と休憩用のベッドがある場所は仕切られているので、ちょうど密談するのに向いている。
せめてルネとさっきの話の続きをしようと、私は体を起こした。
「だ、大丈夫なの?」
「うん。それよりさっきの続きを教えてもらってもいい?」
「でも……」
「教えてもらわないと、逆にもっと具合が悪くなりそうだから。お願い」
「……わかった」
ルネも本当はずっと話したかったのだろう。
彼女は私の知らない、この世界についてを語り始めた。
始まりは四百年前。
今では神聖視されている錬金術師の祖ハーメスは、森にすむ一人の娘だった。
太古から続く「森の意思」と人が交わって生まれた、半分森で半分人間という、唯一の存在であり、あらゆる元素を思うままに操ることができた。
ハーメスは魔女と呼ばれ、長い間、森の奥でひっそりと暮らしていた。
そんな彼女を見つけたのが、ローゼンクロイツ家のロアという一人の少年だった。
二人は心を通わせ、恋人となった。
ハーメスは森を離れ、ロアとともに人の中で生きることを選んだ。
彼女の起こす奇跡から、ロアは錬金術という人が起こせる奇跡を編み出し、自らをハーメスの弟子だと名乗った。
そしてロアを含めた六人の優秀な弟子がハーメスのもとに集い、学院のもととなる学び舎を作った。
ハーメスは人を愛し、人々の中で生きる喜びを知った。
けれど彼女は半分森だったから、老いることはなかった。
人々はそれを不老不死の秘術だと、錬金術のたどり着く境地だと信じ、さらにハーメスをあがめた。
一人を除いて。
ハーメスの恋人だったロアは、心の底から彼女を愛していた。
だから自分だけが死ぬことを受け入れることができなかった。
永遠に彼女を自分のものにしていたい。
永遠にそばにいたい。
彼だけは不老不死の秘術などないと知っていたからこそ、自らその術を探した。
そして魂を物質として保管し、移し替える術を見つけた。
しかし術を追い求めるあまり、彼は多くの罪を犯してしまった。
自分の幸福のために、何の関係もない人々の命と幸福を無造作に摘み取り、踏みつぶした。
ハーメスは賢人として、師として、恋人として、ロアを罰しなくてはならなかった。
結果として、ハーメスはロアを罰することはできた。
自らの命をロアに摘み取らせることによって。
ハーメスの魂はロアによって取り出され、「森の意思」として魂、「人」としての魂、そしてもう一つの三つに分かれて学院のどこで眠りにつくこととなった。
そのロアも力尽き、彼の崇拝者たちの手によって魂は保管されることとなる。
いつかロアとハーメスそれぞれにふさわしい肉体が用意されるまで。
そして月日は流れ、賢人ハーメスを失ったモリエヌスは人の手によって錬金術の国として発展し続ける。
ロア・ローゼンクロイツは名前と存在を消され、禁忌の「六番目の弟子」となり、彼の崇拝者たちは降霊科と名乗り、ロアとハーメスの復活のために隠れて研究を続けている。
「そしてハーメスの亡骸から作られたのが、私なの。私は……ヒロインのルネは、ハーメスのクローン。彼女の魂を集めて入れるための肉体なの」
「魂を入れられたら、あなたはどうなってしまうの?」
「たぶん、私の自我は消えちゃうんだと思う」
「設定が、お、重い……」
「プレイして遊ぶ分には暗めのストーリーで凄く好きだったんだけど、いざ我が身のことになると……ヘビーだよね……」
はぁと重たいため息をついたルネは、でもね!と打って変わって明るい調子で言った。
「実はハーメスの三つ目の魂はこの世界にはないの」
「どういうこと?」
「そのままの意味。「森の意思」「人」としての魂は、ヒロインの中に取り込めるんだけど、三つめの「記憶」としての魂は時とともに消えてしまって、もう存在しないの。だから私がハーメスになってしまうことは絶対にありえない。ロアもそのことには、まだ気づいていないはず」
「じゃあ何も問題ないんじゃないの?」
「そういうわけにもいかないよ。ロアは自分とハーメスの完全な復活のために、信者たちを使ってモリエヌス全体を巻き込んだ儀式を執り行うの。それを止めないとたくさんの人が死んでしまう。でもまだ私には、それを止めるための力がないの……」
「ひぇ……で、でも、わかっているなら必ずなんとかできるよ!ゲームの本編でも、ルネはその儀式をなんとかできたんじゃないの?」
我ながらなんと頭のいい返しだろうか。
拳を握りしめ励ます私に、しゅんと肩を落としたままルネは機嫌をうかがうように上目づかいにみた。
「ここから先はロランの話になるんだけど……その……」
「大丈夫。教えて」
「そうじゃなくてね、えっと……アニエスから見て、ロランってどんな感じ?危ない思想持ってそうとか感じたことある?」
「危ない思想?」
ないない、と首を激しく横に振る。
「私が編入した三年の時から、ずっと一緒にいるけど、ロランは優しい人だよ。むしろ……」
むしろ彼は自分の暗い過去に苦しんでいる。
「うーん……アニエスと付き合ってるんだよね?」
「え、あ、まぁ、うん」
ルネはしばらくの間、ぐーぱーぐーぱーと手のひらを何度も握ったり開いたりして何かを考えていた。
しかし考え続けることが嫌になったのか、とうとうわからないと叫んで、こう言った。
「私がハーメスの入れ物であるように、ロランはロアの入れ物なの。それでゲームが始まる四年生の段階で、もうロアはロランの体に乗り移ってるはずなの」
「な、なん……!?」
「アニエス。何か心当たりはない?ロランがもうロアなのか、それとも違うのか」
「……そんな、こと言われても」
ロランが六番目の弟子であるロアだなんて、そんなわけがない。
だってロランは私のことをとても大事にしてくれて、優しくて、過去に悩んでいて。
そうだ……ハルバート家の墓。
「夏休みに入る前に、ロランのお母さんの遺言にあった場所に行ったことがある。そこで地下の祭壇みたいなのを見つけて、変な水が入ったネックレスを……」
「ネックレス!」
飛び跳ねるように叫んでルネは、それでと先を促す。
「飲んだり触ったりした?」
「してない。でもロランは飲もうとしたから、それを止めて」
「よかった!その変な水が、ロアの魂だよ。そのネックレスはどうしたの?持ってる?」
またもや、さぁっと血の気が引く。
ネックレスの中に入っていた水をロランが飲もうとしたから、私は危ないと思って止めた。
そして近くにいたヒカリガエルに中身をかけて、カエルは人の言葉をしゃべるようになった。
ということは、ロアは……。
「ごめん、その水、カエルにかけちゃった……」
「カ……ッ!?」
本日二度目の、なんということだ。である。
いや、もう本当に、どうしよう。
え、どうしたらいい?
知らず知らずのうちに私は他の乙女ゲームの世界に飛び込んでいて、そしてラスボスっぽい立ち位置のキャラをカエルにしてしまっていた。
しかもそのカエルは、現在行方不明……。
……これって、責任取らないとまずいよね。
土下座……切腹…………打ち首獄門か…………。
タイミングよくぼわーんとした授業終了の鐘がなった。
いまだ絶句するルネを前に、ひとまずベッドの上で頭がめり込むくらい土下座する。
「アニエス!倒れたって聞い……なにしてるの?」
「あ、ロラン」
ベッドの上で土下座する私と、呆然としたままのルネに、ロランは思いっきり顔をしかめる。
「これには訳があってですね……」
「アニエス、具合はどう……え、なにしてるの?」
「あ、リュイ先生」
ベッドの上で土下座する私と、呆然としたままのルネに、リュイ先生は目を丸くする。
「これには訳があって……」
なんだこれ、デジャブか?
ルネと二人でどう説明したものか困り果てていると、リュイ先生が二人とも顔色が悪いとお菓子をくれた。
ルネはわかりやすく赤面し、見舞いにきたはずのロランもしれっとお菓子をもらって二口くらいで食べていた。
なんだか急に悪夢から覚めたような心地になって、手の中のお菓子を見つめてしまう。
「食べないの?食欲もないなんて、相当具合が悪いんじゃない?」
「あのね、ロラン。人を食いしん坊みたいに言わないでよ」
「一人でジャガイモ三個くらいのマッシュポテト食べるのに……?」
「アニエス、それは食べすぎだよ……」
「え、凄い!ジャガイモ三個ってどれくらいの量になるんだろう?」
みんな好き勝手に言いおって……。
でも、ロランがおちょくってくれたおかげで、いつもの調子を取り戻せた気がする。
考えなきゃいけないことや、頑張らなきゃいけないことがまた増えて、ゴールの見えない暗い道の上に突然一人放り出されたような心地だったけれど、今の私は一人じゃないから。
だから、きっと頑張れる。
今度こそ、ここで築いた絆を、大切な人たちを、大好きな人を、守ってみせる。