四年生4
なるほど。
これは、あれかな。
ちょっと、こう別宇宙に生きているというか。
「あー…………急用を思い出したので、ごきげんよう」
「待って待って!変な子だと思わないでー!」
優雅に離脱しようとした私の腕を、ルネはテーブル越しにつかんで叫んだ。
周囲の視線が矢印になって突き刺さりそうなほど、目立っている。
残念ながら私だけでなく、ここにいる生徒のほとんどに変な子だと思われているだろう。
「お、おい、ルネ、落ち着けって」
「お願い、いかないでー!」
なだめるカルの努力もむなしく、ルネは親に置いて行かれそうになる子供みたいに泣きそうな顔をする。
ルネの奇行に集まっていた視線が、次第に私に集まるっているのを感じる。
やめろ!
もしかしていじめ?みたいな顔でこっちを見るな!
「わかった!わかったから!」
泣き落としにかかるとは、恐ろしい奴め。
そそくさと上げかけた腰を下ろすと、よかったぁとルネは綺麗な顔をくしゃりとさせてちょっと泣いた。
さきほどの慌てっぷりといい、この喜びようといい、もしかして何か事情があるのだろうか。
引き止められてしまったわけだし、こうなったらどっしり話を聞こうじゃないかと、真剣な心地になって私は彼女を見つめた。
「これだけ注目を集めるようなことをしてまで引き止めたんだから、ちゃんと変な子じゃないって説明できるわけ?」
「うっ、ごめんなさい。でも、たぶんアニエスじゃないとできない話があるの……」
そう言ってルネは隣のカルを見た。
彼女の視線の意味にすぐに気が付き、カルはぐるりと目を回す。
「わかった。二人で話したいんだな」
「ごめんね、カル」
「……構わないさ。いつも通り、次の授業も席を取っておくがいいな?」
「うん。ありがとう」
「じゃあ、あとで。アニエスも」
取ってつけたように私の名前を付けくわえて、カルはやれやれと立ち上がった。
「ちょっとかわいそうだったかな……」
心なしかしょんぼりとした背中を見せて去るカルに、ルネは悪そうに眉尻を下げる。
振り回すだけ振り回している自覚はあるらしかった。
「まぁ、大丈夫じゃない?」
たぶんカルはルネのことが好きみたいだし。
カルを見送ったルネは、そわそわと周囲を見回し、そっと身を乗り出してきた。
それに合わせて私も身を乗り出し、二人、顔を突き合わせる。
どこからどう見ても、密談をしている女子生徒の図が出来上がった。
ルネは小さく抑えた声で、しかし興奮を隠しきれない様子で唇を開く。
「アニエスなら馬鹿にしないで聞いてくれるって信じて話すね。実はこの世界は乙女ゲームで、私はヒロインなの」
一瞬何を言っているのかわからなくて、脳がフリーズした。
とても身近で重要だけど人の口からは絶対に聞くことはないだろうと思っていた言葉を、人の口から聞いてしまったような。
ポカンと間抜けな顔をさらす私に、ルネは不安げにこう付け加えた。
「異世界、しかも乙女ゲームに転生しちゃった、的な……」
「…………マジ?」
「マジ!」
ついマジなんて言葉が口をついて出る。
うわ、久しぶりに使った!
「悪役令嬢って言葉でピーンときたの。アニエスも、そう、なんだよね……?」
そう、とは、つまり、転生者であるということで、私がフレイム王国でここは恋愛アプリゲームの世界だと気が付いたように、ルネもここが乙女ゲームの世界だと気が付いているということで。
つまり?
つまり。
つまり……。
「ここも乙女ゲームの世界なの……?」
「ここも?」
不思議そうに首を傾けるルネの美しい白髪がさらりと揺れる。
可憐で、つい目で追ってしまうくらいに綺麗で、守ってあげなくちゃと思わせる儚さがあって。
ルネという少女はまさに乙女のためのヒロインという容姿をしていた。
でも、そんな可能性ちっとも考えたことがなかったから、言われるまで気づかなかった。
なんということだ。
私は悪役令嬢という運命から逃げるためにフレイム王国を飛び出して、モリエヌスにやってきたというのに、このモリエヌスもまた乙女ゲームの舞台だということになる。
私は乙女ゲーム世界から逃げ出したはずが、違う乙女ゲーム世界に飛び込んでいたのだ。
そして私は、一つの恐ろしい可能性に気がついてしまった。
ヒロインがいるということは、攻略対象がいるということ。
往々にして攻略対象というのには、暗い過去があったり、隠している秘密やトラウマがあったりすることが多い。
そしてルネと同学年の見た目が整っていて、人には言えない暗い過去がある男に、私は一人心当たりがある。
「もしかして、ロランは攻略対象……?」
さぁと血の気が引いて、具合が悪くなる。
「アニエス、大丈夫?」
「……だいじょうぶじゃないかも」
「え、え……!?」
今まできっちり封印していたフレイム王国での嫌なことが、脳裏で走馬灯のようによみがえる。
ヒロイン。
王子。
オデット。
家族。
マグヌス先生。
リリアン様。
悪役。
私は、悪役だった。
そうだ。
私は悪役のアニエス。
ヒロインはいつだってヒロインで、私は悪役で。
モリエヌスに逃げてきて、私はただのアニエスになったはずだった。
恋愛アプリとか乙女ゲームとかそういう、前世の記憶にあるものと世界が、嫌になるくらい類似していて私という人間が疎まれたとしても、ここでは関係ないって思っていた。
でもそうじゃなかった。
ここもそうなんだ。
じゃあ、今の私は?
私は何者なの?
私は何なの?