四年生2
新学期というのは、なにかと物事が立て込む時期である。
たとえば正体を問い詰めるつもりだったカエルが消える。
たとえば同室の子の蜘蛛も時を同じくして逃げ出す。
たとえば逃げてきた母国の王子と婚約者が、遊学でモリエヌスに冬の間滞在するという噂を耳にして慌てる。
たとえば新しい編入生がやってきて、編入生仲間として世話をすることになる。
などなどである。
たとえばと言っているが、すべて一気に起こったことである。
寝耳に水な情報ばかりを並びたててしまい、申し訳ない気持ちはあるが、私だっていったいどこから片付けて行けばいいのか、皆目見当がつかず途方に暮れている。
まずカエルが消えた件に関して。
カエルはロランがある人のもとに預けているらしい。
彼もカエルの中に誰かの魂が入っているのではないかと推測し、その危険性も十分に理解していたようで、自分の師に預かってもらうことにしたそうだ。
正直、一言相談してからにして欲しかったが、ちゃんと工房を持つ錬金術師に調べてもらえるならそれにこしたことはないだろう。
ちょっとだけ、釈然としないけれど。
次にクリスティーナさんがまたもや脱走した件だが、これは特に追記すべきことはない。
ニーカが帰省中にクリスティーナさんが脱走し、そのまま行方不明になってしまった。
大きな蜘蛛だが毒もなく、わりとありふれた種類らしいので、ただただクリスティーナさんのことが心配だとニーカは毎晩涙を流している。
そしてフレイム王国の王子と婚約者が、遊学でやってくるという噂だが、まだ少し先のことのようだ。
フレイム王国の王子で、遊学するような年頃といえば、アレクシスしか思いつかない。
しかし婚約者とは何者なのだろう。
ゲームの通りなら、まだ婚約者争いすら始まっていないはずなのに。
それともオデットがうまく取り入って、婚約者の座に収まったとか?
というか王子の遊学に婚約者までくっついてくるなんて、あまり聞かない話だ。
しかも極寒の冬に、モリエヌスに滞在するなんて……。
とにかく息をひそめて、目につかないように、静かに過ごすしかない。
相手は王族だから、今は庶民の私が会う機会なんてそうそうないだろうし、せっかく手に入れたここでの暮らしは絶対に手放したくない。
フレイム王国から逃げ出したときみたいに、また全部捨てて逃げるなんてまっぴらごめんだ。
何かトラブルになりそうなら、今度こそ全力で立ち向かおうと思う。
……本当は凄く、怖いけれど。
それで最後の編入生なのだが、驚いたことに三年生の終わりに街を散策したときにぶつかってしまったあの美少女だった。
白髪に赤い瞳もだし、一目見たら忘れないほどに整った顔も間違いない。
彼女はロランの父親という男と一緒にいた。
だから素性とかを聞けるなら聞きたいけど、まだ寮を案内したくらいで、全然話せていない。
というか、ちょっと避けられている感じがする。
なんでだろう……。
もしかして、見た目が怖いからか?
己の悪役令嬢然とした姿が憎らしい。
「これまで幸せだったつけが一気に来たって感じがする。どうしたらいいのか、何もわからないし、何もうまくいかない気がしてきた」
新学期早々に秘密の工房で毛布に包まり、私は冷たい石の天井を見上げていた。
どれくらいグロッキーな状態かというと、ロランが定位置のロッキングチェアを譲ってくれるくらいだ。
私を励まそうとしているのか、ロランはゆりかごみたいにチェアを揺らしてくる。
人のことを赤ちゃん扱いしおって、と思う反面、いまの私は十四歳の赤ちゃんみたいなものなので、大人しく揺れに身を任せていた。
「とりあえず、優先順位をつけよう」
「優先順位?」
「何からすればいいのかわかれば、きっと気が楽になる」
優先順位かぁ……。
一番低いのは、遊学で来るアレクシス王子と婚約者への対応だろう。
正直、この噂を聞いてから、思い出すたびに心臓がひんやりと寒くなる感じがして、一番ストレスでもあるのだが、いますべきことは特にない。
次はクリスティーナさんのことかな。
探すといっても今度の範囲はモリエヌス全体だ。
不安がるニーカを励ましてあげることくらいしか、自分にできることが思いつかない。
あ、カエル。
カエルのことも、ロランの師匠が何かわかるまで待つことになるから、私がしなくちゃいけないことは特にないか。
となると、今一番しなくちゃいけないことは、編入生と友好関係を築くことだ。
こう考えてみると、案外やらなくちゃいけないことって少ない。
ロランの言う通り、優先順位という視点で整理してみると少しだけ気が楽になった。
「ありがとう、ロラン」
ロッキングチェアの手すりに顎を置いて見上げてくる彼に礼を言う。
なんだその上目遣いは。
かわいいじゃないか。
「元気出た?」
「ちょっと」
よかったと微笑み、ロランは立ち上がる。
そのまま実験机に戻って勉強をしようとする彼の手を取り、呼び止める。
彼の手は冷たく、石のようにひんやりとしていた。
「ロランは私と一緒にいたいって思ってる?」
自分でも予想外に面倒くさい彼女みたいな質問が出てしまった。
違うんだ。
もっと、こう、自分がここにいてもいいか確認できるような、ロランにとって自分が必要かわかるような質問をしたかったというか、いや、やっぱり面倒くさい彼女みたいな質問しか出てこなかったわ。
内心の焦りが現れ、私は意味もなくキョロキョロと視線をさまよわせた。
そんな私に、ロランは少し怒ったように口をまげて答えた。
「当たり前だろ。僕は基本的にアニエス以外の人間は、基本嫌いなんだ」
「えっ、そんなに?」
「なに?文句あるの?」
「文句はないけど……」
そこまで言われると、愛が重いというか。
すねたような、じとっとした目つきで私を見下ろされたので、とりあえずヘヘッと笑ってごまかしておいた。
「アニエスは?」
「私?」
「僕と一緒にいたい?」
「そりゃ、思ってるよ。ロランやリュイ先生がいるここに、ずっといたいって思ってるよ」
「ここに、ね……」
少しだけ不服そうに反復して、ロランはため息をついた。
そして彼はおもむろにかがみこんだ。
顔の上に影が落ちる。
長い睫毛に縁どられた赤い瞳いっぱいに私が映っている。
なんか近くない?
そう言おうとした瞬間、唇に柔らかいものが触れた。
私の唇に彼が自分の唇を押し付けたのだ。
俗に言う、キスである。
触れるだけのキスを終え、ロランはあっさりと身を起こす。
そして毛布に包まり、目を丸くして固まる私に向けて、なぜか勝ち誇ったような顔をした。
「今日のところはこれで勘弁してあげる」
え、なにが?
今日のところとは?
その勝ち誇った顔はなんだ?かわいいな、おい。
「というか、ファーストキスだったんだけど」
「そうじゃなかったら、殺してやる」
「え、なんで!?」
「相手の男だよ」
「怖っ」
ファーストキスでよかった。
そうじゃなかったら、あやうくロランを殺人犯にするところだった。
などと安心して、たぶん気にするところはそこじゃないなと思った。
思ったけれど、とりあえず頭がパニックなので、一回昼寝することにした。