オデット13歳 夏の終わり
時は少しさかのぼって。
アニエスが家を飛び出し、北を目指して旅をしていたころ。
フレイム王国、モレル伯爵家次女のオデットは、アイリスとして王宮に初めて足を踏み入れた。
異母姉妹のアニエスが結んだアレクシス王子との縁を盗み取る形ではあったが、こうして王宮へ出向くまでには想像以上の苦労と嘘の上塗りが必要だった。
オデットには前世の記憶がある。
そしてこの世界が自分の知るゲームによく似ており、自分は主人公なのだと早くから気が付いていた。
オデットはこの世界によく似たゲームが好きだった。
フリルに刺繍、ビーズがふんだんにあしらわれた素敵なドレス。
キラキラと輝く宝石のアクセサリー。
華奢なヒールの美しい靴。
そして可憐で王子から愛される、私の代理としての主人公。
だから主人公の敵であるアニエスを悪者に仕立てても、何も思わなかった。
どうせそうなるのだから、そうしただけだ。
ストーリーの中盤で手に入る予定のレアなアクセサリーが早めに手に入ったときだって、どのみち手に入ると決まっていたものなのだからと大して喜びもしなかった。
そんな彼女もアニエスが隠していた王子からの手紙を見つけたときは、さすがに飛び上がって喜んだ。
面倒な婚約者争いに参加せずに、アレクシス王子に近づく絶好のチャンスを得ることができるのだ。
だから兄と父に告げ口をした。
アニエスから「アイリス」という名を奪った。
どんなレアアイテムよりも価値のあるものを手に入れた!
そう信じていた。
アニエスが家出したと判明した朝。
オデットたちは最初の嘘をつかなければならなかった。
多大な費用と人手を使って、アニエスが家庭教師のマグヌスとリリアン王女に送った手紙を回収し、彼女は落馬によってひどい怪我を負ったのだと周囲に説明して回るはめになったのだ。
娘が家出したなんて、モレル伯爵にとっては醜聞以外の何物でもない。
もちろんマグヌスとリリアン王女それぞれから、見舞いの申し込みがあったが、とても人に会わせられないと言って断った。リリアン王女からの手紙は毎日届き、モレル伯爵を辟易させたという。
その間、オデットはアニエスと王子の手紙を読み、アニエスの文字や文章の癖を来る日も来る日も練習することとなった。
それはオデットにとって少しばかり屈辱的なことだったが、これは必要な努力だと言い聞かせて彼女は「アイリス」に成り代わるための努力を重ねた。
そんな努力に、いったいどれほどの価値があるのかは置いておくとして。
「アイリス」として王子と会うための準備が整うまで、時間が必要だった。
そこでオデットはアニエスのふりをして王子に、勝手に家を抜け出していたことが父にばれて怒りを買ってしまったこと、そのうえ落馬してひどい怪我を負い、とてもお茶会に行ける状態ではないことを謝った。
心優しい王子は理解を示して、匿名で見舞いの花と小鳥を贈ってくれた。
もちろんそれらはオデットのものになった。
それからオデットは利き手を痛めたために文字が乱れていること、父にはまだこの文通を隠していること、彼の怒りをこれ以上買わないために特にマグヌスと接触を禁じられていること、などなど。とにかく嘘に嘘を重ねて、塗り固め、むしろ「アイリス」と王子は運命に引き裂かれかけているのだと自分で作った嘘に酔いしれた。
「アイリス」として王子と文通を続けるうちに、手紙はまるで恋文のようになっていった。
王子の求める言葉で、表現で、オデットは「アイリス」を作り上げていった。
そしてついに夏の終わり。
「アイリス」はやっと王子と会うこととなった。
もちろん王子に会うのは、オデット自身だ。
偽りがばれてしまう。
しかし彼女にはある考えがあった。
とんでもない賭けではあったが、主人公である自分ならばうまくいくと信じて。
そしてオデットは、王子の待つ中庭へと足を踏み入れた。
夏の終わり。
秋に向かって勢いをなくしつつある植物に囲まれ、オデットはその美しい人と向かい合っていた。
透き通るような白い肌に、ふわふわとした金色の髪。
深いブルーの瞳は、星の海のようにきらめいている。
アレクシス王子はまさに理想の王子様だった。
そして彼と向かい合うオデットもまた、ずば抜けて美しい可憐な少女であった。
「やっと会えたね、アイリス」
ふんわりと微笑む王子に、オデットは恐縮しきった様子で体を小さくする。
「殿下には私の事情に付き合わせてしまい、誠に申し訳ございませんでした……」
「いいんだ。こうして会えたんだから」
でも、と不思議そうな顔をして王子は続ける。
「聞いていたよりも髪の色が薄いみたいだ」
「……はい。実は殿下にもう一つ、謝らなければならないことがあるのです」
オデットは立ち上がり、彼の前に首を差し出し座り込んだ。
いかなる処罰も受け入れるという姿勢に、王子はブルーの瞳を瞬かせる。
「私は本物の「アイリス」ではありません。本物は姉のアニエスなのです」
「どういうことかな?」
「殿下から直々にお誘いの手紙を受け取ってすぐ、姉のアニエスは落馬により二度とベッドから起きあがれない体になってしまったのです。そして妹である私に自分のかわりに「アイリス」となって殿下と文通を続けてほしいと頼んだのです。自分はもう殿下にお目通りできる体ではなくなってしまったけれど、どうか「アイリス」という夢だけは引き継いでほし、と」
「……ではアニエスが落馬してから私と文通していたのは、君だったんだね」
「はい……殿下との手紙を通したやり取りは、私にとってもまるで夢のようでした。ですが、これ以上あなたを騙し続けるなんてこと、私にはできなくて……!」
わっと顔を覆い、オデットは泣き崩れた。
その姿はなんとも哀れで、人によっては庇護欲をそそられる。
王子はしばらくの間、目を伏せ、静かに彼女の白い首を見下ろしていた。
「君の本当の名前は?」
「……オデットです」
「そうか、オデット。罪を告白してくれてありがとう。さぁいつまでもそんなところに座っていては、綺麗なドレスがかわいそうだ」
「アレクシス様……」
来た!と心の中で快哉を叫びつつ、促されるままオデットは立ち上がる。
いくら偽物だったとはいえ、「アイリス」として恋文を送りあったのは自分なのだ。
ならば王子もきっとわかってくれる。
最初に惹かれたのがアニエスだったとしても、今の彼が求めているのは私なのだと。
ともに立ち上がった王子は春のような微笑みを浮かべ、オデットの手を柔らかく握る。
そして彼はこう言った。
「もちろん、すべて知っていたとも」
「え……?」
「「アイリス」がアニエス・モレルだということも。アニエスが失踪していることも。君が彼女の代わりに私と文通していたことも。すべて知っていたとも。そりゃ最初はショックだった。奇跡的に出会えた理想の女性が、私のもとから去ってしまったのだと知ったときはね。でも君が拙くも、私の理想の「アイリス」に近づこうと、彼女の知識、一分のすきもない文章、美しい言葉と文字を真似し、努力する姿に励まされた。そして思ったんだ。君ならば、私の理想になれるかもしれない、と」
「そ、それはどういう……」
「君は私が好きなのだろう?妻になりたいのだろう?ならば私の理想の「アイリス」にきっとなれるはずだ。彼女が持っていた知性と教養、師への尊敬、気難しいリリアンと友人になれるほどの優しさ、王子である私に媚びへつらわず、謙虚を突き通す芯の強さ。それらを君はこれから完璧に身に付けるんだ」
「あ、あ、あ……」
「まずは見た目から入ろうか。瞳は幸い同じ色だから、髪色をもっと赤くしよう」
そこでようやくオデットは自身の過ちに気が付いたのだ。
自分はアレクシスという人間を、何も知らなかったのだということを。
この世界がどんなに自分の知るゲームに似ていても、けっして自分に都合のいいことばかりの世界でもないということを。
「ね?アイリス」
予告通り、次話から四章に入ります。書き溜めている量があまりないので、不定期更新になってしまうかもしれませんが、ぼちぼち頑張りたいとおもいます。よろしくお願いします!