三年目12
「というわけで、しゃべるヒカリガエルを見つけたんだよね」
へぇと好奇心あふれる相槌とともに、自分のベッドから身を乗り出してニーカは尋ねた。
「そのカエルどうしたの?」
「責任とれっていうから、とりあえず連れて帰ってきて、いまはロランが世話してる」
本当はニーカが詳しそうだから私の部屋に持って帰ろうかと思ったのだが、このカエルはオスだから女子寮は駄目だとロランが勝手に持って行ってしまった。
変なところでルールを守る男である。
「それでカエルが自分のことをなかなか教えてくれないから、クリスティーナさんなら何かわかるかと思って」
なぜしゃべれるようになったのか、あの水はなんだったのか、いくら聞いてもカエルは答えなかった。あまりの強情ぶりに、私が止めなければカエルはロランの手によってランプの材料にされていたことだろう。
「クリスティーナさんが実験に失敗して魂だけが蜘蛛に入ってしまったみたいに、カエルにも誰かの魂が入ってしまった可能性は十分にあるでしょう?」
それにあの水をロランが飲むのをとめていなかったら、今頃ロランの体が乗っ取られていた可能性もあるのだ。
どうしてロランのお母さんは、あの水が入っていたネックレスを壊すように言い残したのか。
百年前に途絶えたハルバート家と、ロランと、そしてカエル。
突拍子もないこの組み合わせに、どんな繋がりがあるのだろう。
「クリスティーナに聞いてみよう」
さっそくニーカは海外版こっくりさんみたいな文字盤を取り出し、クリスティーナさんをその上に放った。
「カエルの中身は人間だと思う?」
ニーカが尋ねると、クリスティーナさんはゆらゆらと体を左右に揺らす。
しかしその場から一歩も動く様子がない。
結局、私たちがいくら質問しても、彼女はただの蜘蛛に戻ってしまったかのように何も答えてはくれなかった。
ハルバート家の墓から連れ帰った正体不明のカエルは、夜中に光って眩しいという理由から、そうそうにロランの秘密の工房へ住処を移された。
「世話を怠って死なせたら呪ってやるからな」
などと脅すので、夏休みの間は私が持って帰ることになっている。
カエルのことは特に好きではないが、ひと夏もの間、ロランのそばにカエルをおいておくことは正直不安だったのだ。
終了日の翌日。
ほとんどの生徒はサマーパーティーの用意で忙しい中、すっかり荷物をまとめた私はカエルを迎えに工房へ来ていた。
飼育用の水槽の中、小さな体で尊大にふんぞり返っているカエルに指をさして、私は言った。
「言っておくけど、夏休み中は普通のカエルのふりをしてよね」
カエルは鼻で笑う代わりに、ゲコッとひと鳴きした。
「せいぜい普通のヒカリガエルらしく、夜光ってやるさ」
こ、こいつ……。
ガラス越しに意味のないにらみ合いを繰り広げていると、隠し扉が開いて、ロランが入ってきた。
いつものローブ姿ではなく、なぜかパーティーに行くみたいな黒いドレスジャケットを着ている。
いつもは無造作に跳ねるがままの髪も、綺麗にセットされていた。
もとが美少年だから、とんでもない美少年になっている。
「王子様の登場だな」
小馬鹿にした調子でカエルは言ったが、私からすれば本物の王子様以上に今のロランは素敵に映った。
彼は思わず見とれてしまった私につかつかと歩み寄り、無言で外へ連れ出した。
「えっ、えっ」
どこに行くのだと尋ねても、不機嫌そうに黙りこくって彼はずんずん進んでいく。
なにがなんだかわからないまま、着飾った生徒たちの間をかき分け、初めて入る部屋に連れていかれた。
なぜか部屋の前には正装したリュイ先生が待っていて、私たちを見つけるなりニコニコと孫を見るお爺ちゃんみたいな笑みを浮かべる。
「衣装室?」
扉の上に掲げられた文字は、そう読める。
何の衣装だと聞く前に、寮の管理人のおばさんが現れ中に引っ張りこまれた。
「やっと来た!急いで用意するわよ!」
「え、これ、なんなんですか!?」
「さ、早く服を脱いで!」
「ちょ……!」
あっという間に身ぐるみ剥がされ、コルセットを締め上げられる。
うっ!この内臓がこみあげてくる感じ、久しぶりだ……!
部屋の中には、私の他にも着替えを手伝ってもらっている生徒が何人もいた。
「あらー!腰が細くて、ドレス映えするスタイルしてるじゃないの!」
「おばさん、締めすぎ……!」
「はい、両手をあげてー!」
言われるまま万歳をすると、布地のたっぷりとしたドレスを被せられた。
そのままヘアメイクも軽くしてもらって、あっという間に私はいつもの制服姿からパーティー仕様へ変身した。
全身鏡の前に立たされ、私は赤いドレスを着た少女と向かい合った。
私の髪よりも濃い赤のドレスには、たっぷりとレースが使われていて、少女らしい可憐なフォルムを描いている。
金色の瞳が赤い色彩の中、アクセサリーのように輝いていて、我ながら綺麗だと思った。
フレイム王国にいたときは、もっと華美なドレスやアクセサリーを身に着けていたけれど、こんなふうに自分を綺麗だと思ったことはなかった気がする。
私はいつだって余裕がなくて、立っているだけで息苦しくて仕方なかったから。
ただドレスは新品ではないようで、生地が少しくったりしていた。
「もっと時間があったら髪の毛も結ってあげたかったんだけど、ごめんなさいね。せっかく綺麗な髪なのに」
髪の毛を肩にきれいに流し、寮母さんは悔しそうに眉を下げる。
「えっと、大丈夫です。ありがとうございます?」
お礼を言う場面であっているはずなのに、ついつい言葉尻が疑問形になってしまった。
だって、どうしてドレスを着せられているのかわからないのだ。
「よし、完成!楽しんでらっしゃい!」
「いってきます!」
よくわからないなりに元気よく返事だけはして、もときた廊下へ送り出された。
まるで嵐の中に放り込まれたみたいだったなと思いつつ、壁際に寄りかかって待ってくれていたらしいロランとリュイ先生のもとに近寄る。
「ロラン、これって……」
二人は私を見て、そろって目を大きくした。
「驚いた。どこのご令嬢かと思ったら」
口を手で覆い、リュイ先生は目をぱちくりさせる。
彼は誉め言葉として言ったつもりなのだろうが、一年前までは本当に令嬢だっただけに、苦笑いしてしまった。
先生はいつまでも固まっているロランを肘でつつく。
「ほら、ロラン。ちゃんと説明してあげなさい。どうせ無言で連れてきたんだろう?」
さすがリュイ先生。よくわかっている。
ロランは珍しく視線をうろつかせた後、渋々といったふうに口を開く。
「この間まで自分のことでいっぱいで、アニエスをサマーパーティーにちゃんと誘えなかったから、リュイ先生と寮母さんに頼んで衣装を用意してもらったんだ。急ぎだったから、貸衣装しか用意できなかったんだけど……アニエスさえよければ、僕のパートナーとしてパーティーに一緒に出てほしい」
「私のために用意してくれたの?」
みるみるうちに顔を赤くして、ロランはこくりと頷いた。
「ありがとう、ロラン!大好き!」
愛おしさが爆発して、私は彼に飛びついた。
「ウッ……!」
そんなに強い力で抱きしめたつもりはなかったのだが、ロランは重たい一撃を食らったみたいな声を出して硬直する。
しかしすぐに回復したのか、そろそろと私の腰に腕を回し、僕も、と呟いた。
「僕も君が好きだ」
抱き合う私たちを前にして、リュイ先生は弟子にすら先をこされちゃったなぁと冗談と本気が半々くらいの遠い目をして微笑んだ。
こうしてほのかな不安を残しつつも、私の逃亡生活は完璧に幸福なこの瞬間をもって一年目を終えたのだった。