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三年生10


街で父親らしき男を見かけてから、ロランは時折怖い顔で物思いにふける時間が増えた。

赤い瞳は暗い色をしていて、目を離すとどこに行ってしまいそうな危うさがある。

だから彼がそういう状態になるたびに、私は彼の隣にぴったりくついて過ごすことにしていた。そうすると触れ合ったところから徐々に体温が移って、ロランも現実に帰ってきてくれるのだ。

けれど彼が何を思って、何を考えているのかを私はまだ聞けていない。

彼の脆い部分に粗雑に手を突っ込むほど、私もデリカシーがない人間ではない。

それに期末試験が始まってしまって、お互いゆっくり話す時間もなかったというのもある。


最後の試験は、思い出深い植物学基礎だった。

編入初日にアデラード先生にあてられて答えられず、正直つらいスタートだった。

順調に解答欄を埋めつつ、頭の片隅では編入してからの半年が走馬灯のように走り抜けていった。

そのほとんどがロランとの思いでばかりで、きっと彼がいなかったら私の学院生活は全く違ったものになったのだろうと思う。

試験の終了を告げる鐘が鳴った。

答案用紙が回収された瞬間、ワッと後列の生徒が試験からの解放に快哉をあげる。

「こら、まだ授業は終わってないぞ!」

試験監督のリュイ先生がたしなめるが、全然迫力がない。

生徒たちが静まるのを待って、先生は学期の終了日を告げた。

「それから今年もサマーパーティーがある。終了日の翌日だから、間違ってすぐ帰省しないように」

クスクスと密かな笑いが起こる。

「参加は自由だが、必ずパートナー同伴で来ること。ドレスコードは守れよ。個人的に質問がある場合はアデラード先生か僕のところに来るように」

錬金術師の学校にもパーティーなんてあるんだ。

なんとなくロランのほうを見たが、彼は例の怖い顔で何かを考えこんでいるようだった。

授業が終わり、みんないっせいに立ち上がる。

女子のほとんどは、終了日前の休日にパーティーの買い物に行こうという話でもりあがっていた。

「あなたはサマーパーティーに出るのかしら?」

突然話しかけられ顔をあげると、イザベラが腕組をしてこちらを見下ろしていた。

「えっと……たぶん行かないと思う」

「そうなの?てっきりロラン様と行くのかと思っていたわ」

そのロランはまだ席を立たずに考え事をしている。

「質問なんだけど、パートナーってどっちから誘うとか決まってる?」

「決まってないわ」

「じゃあ、あなたからロランを誘ってみればいい」

少しイライラしていたからか、自分で思うよりもきつい口調になってしまった。

イザベラは拍子抜けしたふうに肩をすくめて、好きにするわと背を向ける。

しかしロランに話しかけに行かずに、そのまま教室を出て行ってしまった。

もしかしたら彼女も最近のロランの様子がおかしいことに気づいて、遠回しに私にちょっかいをかけているのかもしれない。

なんとなく、難儀な子だなと思った。


イザベラのおかげかはわからないけれど、ようやく気持ちが定まって私は立ち上がった。

無言でロランの隣に腰かけ、周囲を見回す。

教室にはもう私たち以外誰も残っていない。

数分前までとは別世界のように静まり返った教室で、私たちはしばらく黙りこくっていた。

遠い廊下のざわめきに耳を澄ませていると、ロランがゆっくりと息を吸い込むのがわかった。

机の下できつく握りしめられていた彼の拳が解け、上向きにひっくり返される。

その手のひらに自分のを重ねた。

「ずっと自分は何者なのか考えないようにしていた。どうしてあんなことをされなきゃならなかったのか、どうして自分が生まれたのか、知りたくもなかったし知ったところでどうにもならないと思っていた。自分は使い捨ての部品と同じなんだと、心のどこかで理解していたんだ。……あいつを街で見かけて、何もかもがよみがえった。苦しみや痛みや恐怖。それとずっと忘れていた母さんの顔も」

「お母さんはロランに優しかった?」

「……わからない。でも僕を逃がすために自分の命を懸けてくれた」

悲しみを紛らわすように、重ねた手が握りしめられる。

ロランはまっすぐな黒髪の隙間からちらりと私を見て、すぐに視線を逸らす。

「次の休日、母さんが最期に言っていたゴライアスの丘に行ってみようと思う」

そこでロランは言葉を切ったけれど、言葉の続きを信じて私は静かに待った。

「一緒に来てくれる?」

「行くよ」

即答すると、彼は気が抜けたようにふっと笑った。

「アニエスはいつも即答だ。本当に考えてる?」

「考えたって答えは同じだから、即答してるだけだよ」

私の肩にこてんと頭を乗せ、ロランは真っ赤な瞳を閉じる。

こんなに弱った姿を見るのは初めてだ。

だというのに、そんな姿を自分に見せてくれたことがどうしようもなく嬉しい。

「ありがとう。アニエス」

サラサラとした髪の毛を撫でて、私はどういたしましてと呟いた。


そしてその週末。

私とロランは、彼のお母さんが言い残したゴライアスの丘へと向かった。



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