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三年生9


五月ともなると分厚い雪雲はすっかり見る影もなく、晴れの日が増えてきた。

休みの日が来るたびに、街へ遊びに行く生徒の姿を見かける。

だというのに私とロランは休みの日も秘密の工房にこもって、二人でじめじめ過ごすばかり。

「というわけで、街に遊びに行ってみたいんだけど」

「寝言は寝てから言ってくれる?」

「ぐっ……!」

直球すぎる正論をくらい、私はまだ半分しか終わっていない課題の上に突っ伏した。

「なんでロランはもう終わってるの?おかしくない?」

来月から期末試験ということもあり、各教科から大量の課題が出ているのだ。

中でも幾何学基礎の課題は中身も難解で、三年生の大半がゾンビのような顔色でうーうー唸るはめになっている。

「なんでって、解けば終わる」

「解けないから終わらないんだよ……」

突っ伏したままグスグス泣いていたら、ロランが立ち上がる気配がした。

彼はよいしょと隣に椅子を持ってきて、顔を覗き込んだ。

「なに?」

数学敗者の顔でも見に来たのか。

完全にいじけて、恨めしげに見上げる私の鼻を彼はつまんでくる。

「くるしい」

「ふふ、変な顔」

自分で変な顔にしておいて、何笑ってんだか。

とはいえ数学敗者ゆえ大人しくされるがままになっていると、ロランは眉尻を下げて子供をあやすみたいに言った。

「僕も街に遊びに行ってみたいから、早く終わらせよう」

「それって手伝ってくれるってこと?」

「まぁヒントくらいはあげるよ」

「よし!じゃあ、今日中に終わらせる!」

そうと決まればと勢いよく上体を起こし、ペンを握る。

ロランのヒントがあっても正直難しいんだけど、なんて言ったって、明日は休日だ。

二人で遊びにいくチャンスを逃す手はない。

次の問題は……。

ミスリーの円に表される五番目の円を公式を使わずに求めなさい。

「……すみません、ロラン先生。さっそくヒントもらっていいですか」





課題を終わらせた休日の朝とはなんと気持ちがいいのだろう。

もう朝っていうかお昼近いけど、終わるまで寝れませんをしていたからしかたない。

途中本気で泣きそうになったり、幼児退行しそうになったけど、なんとか正気を保ったまま解き終わった。

ロランにはものすごくかわいそうな生き物を見る目をされたけど、彼は大変粘り強く教えてくれた。ありがたや……。

あと五年生になったらそれぞれ専門の科を決めるのだが、絶対に数学科だけは選ばないであろうということだけはわかった。

どのみち私はリュイ先生の弟子だから鉱物科に行くんだけど。


久しぶりの私服の上から、誕生日にリュイ先生からもらった赤いコートに袖を通し、おかしいところがないか確認する。

「ニーカ、おかしくない?」

「それ聞かれるの百回目くらいなんだけど」

「ひゃ、百回も聞いてないよ」

たぶん五回目とかだ。

「初めてアニエスに会った時、赤いイザベラみたいな子が来たって思ったけど全然違った」

「それって見た目がいじめっ子っぽいって意味?」

ニーカはその通りと頷く。

最近すっかり忘れていたけどアニエスは悪役令嬢だから、確かに見た目はいじめっ子ぽいかも。

リリアン様がローズ色と言ってくれた髪に、金色の吊り目。

整っている方だが、黙っていたら不機嫌そうに見えるだろう。

別に自分のこの見た目が嫌だと思ったことはないけれど、初対面だとやっぱりそう感じるのかと納得していると、私が傷ついたと思ったらしいニーカが慌てて付け加える。

「その、私は、予想と違ってあなたがいい子でよかったって言いたかったの、だから……」

「大丈夫。ありがとう、ニーカ」

ほっと胸をなでおろす彼女の胸元で、クリスティーナさんがよかったねとでも言うかのようにゆっくり体を左右に揺らしていた。

「何回も言ったけど、コートもあなたも凄く素敵よ。楽しんできて」

「お土産買ってくるね」

「いってらっしゃい」

ニーカとクリスティーナさんに手を振り返し、私は約束の時間通りに寮の玄関へ下りて行った。


玄関にはもうロランがいて、私を待っていた。

シンプルな黒いコートを着て、所在なさげにぽつねんと立っている。

その姿が飼い主を待つ犬に似ている気がして、少し笑いそうになった。

「おはよう、ロラン!」

「……おはよう」

ロランは眩しいものを見たときみたいに目を細める。

「コート、似合ってる。かわいいよ」

「あ、ありがとう」

さすがに照れてしまってはにかむ私の手をつかんで、ロランは歩き出した。

吹き付ける風は強いが、ほんのりと温かい。

土と新芽のにおいがした。

「どこに行きたい?」

「とりあえず、ご飯食べよう」

どんなお店があるのかも知らないし。


ロランもあまり街に出向くことはないらしく、私たちはああでもないこうでもないと言いつつ、屋台で買った揚げパンを公園で食べた。

中にいろんな具が入っていて、一個でも結構な量がある。

見た目にそぐわず一口が大きいロランはさっさと食べ終えてしまい、公園に来ている人たちをぼんやりとみている。

彼の視線の先をたどると、そこにはいつも小さな子供連れの家族がいた。

新年の夜にひっそり打ち明けてくれた彼の過去を思うと、やっぱり家族には特別な思いがあるのだろう。

私はロランの端正な横顔を盗み見て、せめて今日は一緒に散策して楽しくなってもらおうと心に決めた。


それから公園を少し回って、私たちは道具通りへ向かった。

実験道具を専門に取り扱う店が並ぶ、狭い通りだ。

モリエヌス中の錬金術師が道具を買いにくるので、自然と実験材料や資料を取り扱う店も周辺に集まり、ちょっとした錬金術師のための市場を形成している。

旅の間に貯めたお金がまだ残っているから、少しくらい買い物をしてもいいんだけど、なかなか手が出ない金額のオンパレードで目が回りそうになる。

学院では何も知らずに使っていたけど、錬金術ってお金がかかるんだな。

一番大きな道具屋のショーウィンドウの前を通りかかった私は、そこに飾られた大きな実験道具が気になり足を止めた。

大人一人分くらいの高さがあり、中央のガラス球の中で赤い液体がポコポコと音を立てている。球とつながっている管をたどっていくと、また別のガラス球があって、その繰り返しの最後に透明な結晶の山がある。

「これはハーメスが発明した器具だよ。僕たちが授業で使う器具も、これをもとに改良していったらしい」

「本物?」

「いや、レプリカ」

「そうなんだ」

錬金術師の祖で、学院の創設者、ハーメス。

その偉業のうえに今の自分たちがいるのだと思うと、壮大な景色を前にしたみたいな不思議な感動があった。

周辺の店も珍しいものがたくさんあって、時間が飛ぶように過ぎていく。

かなり勉強したつもりだったけれど、実物はみたことがなかったものも多くて、あれは何?これはどれ?と質問ばかりする私に、ロランは一つ一つ丁寧に教えてくれた。

「た、楽しすぎる……」

「よかったね」

元気よく頷きそうになって、ロランを楽しませるという目的をすっかり忘れていたことに気が付いた。

しまった。好奇心が勝って、自分の楽しみばかり優先させてしまった。

「ロランは行きたいところないの?」

「僕は別に」

「……私ばっかりはしゃいでごめんね」

「どうして謝るの?」

本気で意味がわからないとロランは首をかしげる。

「せっかくついてきてもらったのに、私ばっかり楽しくて、ロランは楽しくないんじゃないかなって」

「そんなことないけど……」

急に元気をなくした私の手をロランが引っ張る。

「ほら、あそこ鉱物の店だよ。行こう」

え!鉱物!見たい!

でも……。

「夢中になって、ロランが暇になるかも」

ロランはなぜ私がそんなことを気にするのかやはりわからないという顔をしたが、じゃあと向かいの本屋を指さして言った。

「僕は本屋にいるから、ゆっくり見ておいで」

「いいの?」

「うん。僕も数学の本が欲しいから」

数学の本……。

昨日のトラウマで、数学と聞くだけで頭が痛くなる。

渋い顔をした私を見て、ロランはクスクスと笑った。

「じゃあ、後でね」

そして私たちは繋いでいた手をほどき、それぞれ鉱物店と本屋に分かれた。


ミズメノウ。

ビスマス。

ハーメストルマリン。

辰砂。

トルク塩鉱物。

紫藍銅石。

そして金脈石。


リュイ先生の授業で使ったことのあるものから、教科書でしか見たことのないものまで、店内には数千種類もの鉱物が揃っていた。

厳重に保管されたガラス戸の向こうを見て回るだけで、楽しいし頭がよくなった気がする。

結局無駄に店内を三周して、私は紫藍銅石を一欠片買った。

四年生が始まる前の夏休みに、リュイ先生が特別に花火づくりを教えてくれることになっているのだ。

この紫藍銅石を使って花火を作ってみよう。

完成したら夏の花火をみんなでするのだ。


などと夢想していた私はろくに確認もせずに店の外に出て、通りがかりの人とぶつかってしまった。

「きゃっ……」

私とぶつかった人が、か弱い悲鳴をあげてその場にしりもちをつく。

「ごめんなさい!大丈夫ですか!」

最初、白髪が目に入ったので、てっきりおばあさんとぶつかってしまったと思ったのだが、助け起こすために覗き込んだ顔は、世にも美しい少女のものであった。

穢れを知らない真っ白な髪と肌。

あどけない顔に華奢な体躯も相まって、守ってあげなくてはと思わせる魅力がある。

彼女は呆けたように私を見上げている。

そのイチゴジャムみたいな赤い瞳に、私の影が映り込んでいた。

「あなたは……」

少女が何か言いかけたが、その言葉の続きを聞くことはできなかった。

「大丈夫かい?ルネ」

低く渋い声とともに、少女の傍らに男性が片膝をついた。

彼は少女を立たせ、怪我がないかさっと鋭い視線で確認する。

灰色の髪と瞳の、寒気のする人だった。

「大丈夫です」

「ならば良い」

「あの……」

謝罪しようとする私を目だけで制して、男性は少女の手を引いて歩き出す。

そして振り向きざまにギロリと私を睨みつけ、では失礼すると言った。

「す、すみませんでした……!」

慌てて下げた頭をもとに戻したころには、もう二人の後姿は小さくなっていた。


なんだか怖い感じの人だったなぁ……。

ぶつかった私が悪いんだけども。

二の腕をさすりつつ本屋の方を向くと、ちょうど窓辺に立っているロランが見えた。

彼は目を見開き、あの二人組が去った方を石像にでもなってしまったかのように、微動だにせず見つめていた。

その顔は血の気がなく、驚愕に染まっている。

「ロラン……?」

彼は持っていた本を棚に戻したかと思うと、大股に店を出て私に近づく。

「行こう」

こわばった声でそう言って、彼は二人組とは反対方向へずんずん歩き始める。

「どうしたの、ロラン?」

ほとんど引きずられるように道具通りも抜けて、人の少ない道に出る。

どんどん知らないところへ行くので、私はあわてて彼の名を呼んだ。

「ロラン!」

呼びかけにロランは、はっと正気に返ったように急に立ち止まる。

「どうしたの?何かあったの?」

彼は蒼白な顔のまま、壁に背を預ける。

痛いくらいに私の手を握りしめている彼の手は、かすかに震えていた。

「あいつだった」

「え?」

「さっきの男、僕の父親だった」

それを聞いた瞬間、私の喉もヒュッとひきつった音を立てる。


ロランと彼の母親を地下に監禁して、実験という名の虐待を繰り返していた父親。

それがさっきの灰色の男だというのか。


私はロランの体を目いっぱい抱きしめた。

少年らしい骨ばった薄い体は、恐ろしくなるほどに冷たい。

彼の頭を抱えこみ、私は呪文のように繰り返した。

「大丈夫。大丈夫だよ」

何が大丈夫かなんてちっともわからないくせに、それ以外の言葉が見つからなくて、私はただただ彼を抱きしめ続けた。



いつも読んでくださりありがとうございます。三年生は12までで、もう少しロランの秘密についてのお話になります。そして三章の四年生が、アニエス、ロラン、それぞれの因縁と向き合う最終章になる予定です。ブクマ・評価ありがとうございます!

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