三年生7
冬休みが終わった。
リュイ家と新年の市に行ったり、ロランと雪合戦したりして過ごしていたら、最終的になぜかリュイ家とロランが合流して全員でサーカスを見に行くことになったりした。
ミニマンモスたちの曲芸や、空中に浮いた大きな水球の中で人魚の格好をした女性たちが踊る演目、一瞬で成長して幻のように消える大木など、夢か現実かわからなくなる光景に、子供みたいにはしゃいでしまった。
来年も皆で行けたらいいな。
休み明けの校内は、どこか浮ついた感じがする。
皆家で過ごした緩い空気をそのままくっつけて戻ってきたみたいだ。
授業中も集中していないと植物学基礎のアデラード先生はカンカンだった。
その騒がしさは女子トイレも例外ではないらしい。
放課後、自然の摂理に従って個室で用を済ませ、出ようとしていた時にそれは聞こえてきた。
「さっきのほんとに笑える」
「ね。あの蜘蛛女、今頃泣きながら探し回ってるんじゃない?」
なんだか嫌な予感がして、静かに聞き耳を立てる。
「蜘蛛に話しかけるとか、気味悪いよね」
蜘蛛女ってニーカのこと?
「虫かご叩き落したら、顔真っ赤にしてさ」
私は思いっきり扉を開けて、鏡の前で嫌な笑い方をしている彼女たちに詰め寄った。
モスグリーンのローブ。
四年生だ。
個室から肩を怒らせ現れた私に、彼女たちはギョッと目をむいた。
「その話、詳しく聞かせてくれるかしら」
四年生の女子を問い詰め、何があったのかを聞き出した私は、寮の裏手の森へ走った。
「ニーカ!」
三年生のボルドーのローブは、緑の中では目立つ。
すぐに植え込みを覗き込んでいる小さな背中が見えた。
「ニーカ!」
「アニエス……どうして……」
普段は目元を隠している前髪が乱れ、泣きそうな目がこちらを見上げる。
「トイレで四年生の子たちが話しているのを聞いて」
言い終わらないうちに、ニーカの目からぼろぼろ涙があふれだす。
「クリスティーナがいなくなっちゃったの……!」
なんとあの四年生たちはクリスティーナさんが入った虫かごを叩き落して、彼女を逃がしてしまったのだ。
ただ単に気持ち悪いというだけの理由で。
事情を聴いてすぐに飛び出してきたけど、ビンタの一つや二つくらいしてやればよかった。
そりゃ私だって最初はびっくりしたし、クリスティーナさんに話しかけている姿を怖いと思ったけど、ニーカにとってクリスティーナさんは大事な友達だ。それに挨拶すれば脚を持ち上げて返事をしてくれるチャーミングなところだってあるのだ。
いや確かにすっごい近くで見ると、やっぱり怖いけど。
「どこで虫かごを落とされたの?」
「寮の正面……。近くにいた他の子に踏まれそうになって、彼女びっくりして逃げてしまったの」
ニーカの背をさすって、少し落ち着かせてから私は尋ねた。
「彼女が行きそうなところに心当たりはある?ほら、好きな食べ物とか、木とか」
「……ハーメスの塔」
ロランの工房が真下にある場所だ。
ハーメスの塔へ向かいがてら、ニーカはクリスティーナさんとのことをぽつぽつと話し始めた。
「彼女とはハーメスの塔の下で出会ったの。入学したばかりで知り合いもいなくて、面白い子はいないかなって歩いていたら、彼女がトネコの木にはった巣の上で踊っているのを見つけたの」
「ダンスしていたの?」
「そうよ。特別な子だってすぐにわかって、仲良くなった。……これは内緒なんだけど、彼女とは文字盤を使って会話もできるのよ」
「そうなの!?」
「クリスティーナはもとは人間で、降霊科の錬金術師だったの」
真実盛りだくさんすぎないか?
でも確かにクリスティーナさんに知性を感じることは多々あったから、納得と言えば納得かも。
「降霊科なんて初めて聞いた」
「私もよく知らないけれど、リュイ先生に聞いたらそのことは誰にも言っちゃいけないって言われたわ。先生があんな怖い顔するくらいだから、たぶん子供の私たちが知っちゃいけないことなのかもしれない」
「知っちゃいけないこと……」
「クリスティーナは魂の研究をする科だって言ってた。それで実験に失敗して、蜘蛛に魂が入っちゃったんだって」
怖っ!
実験に失敗したら蜘蛛になってるとか、怖すぎる。
「それからたくさんお話しして、私たちは友達になった。みんな気味悪がったけど、彼女がいるから平気だった」
「そっか……じゃあクリスティーナさんも不安だよね。早く見つけてあげないと」
弾かれたように顔をあげ、ニーカは口をもごもごさせながらありがとうと呟いた。
塔の目と鼻の先まで来たときだった。
「うわぁああああ!」
男子生徒の叫び声が聞こえた。
なんだなんだと駆けつけてみると、ボルドーのローブを来た銀髪の少年が頭上を手で払いながら暴れていた。
さながら三倍速阿波踊りだ。
「と、取って!これ!」
「何!?」
「蜘蛛だよ!」
「クリスティーナ!」
「あ、本当だ!」
少年の頭に黒い飾りがついていると思ったら、クリスティーナさんだった。
私は彼を羽交い絞めにして動きを止め、そのすきにニーカがクリスティーナさんを回収する。
「暴れないでよ……!」
「クリスティーナ……!」
「早く取ってくれよぉ!」
泣きわめく同級生男子を羽交い絞めにする女子という、軽い地獄絵図みたいになった。
ニーカが虫かごにクリスティーナさんを戻し、やっと少年も落ちつく。
地面に手足をついてハァハァ言っている姿を見下ろし、ようやく彼がカル・ラヴォジエだと気が付いた。
「次席の人だ」
「次席って言うな!」
薬学科の名門ラヴォジエ家の次男で、入学試験から今までずっとロランに勝てないことを根に持っている次席の人だ。
家柄もよく、容姿端麗、紳士でキザなふるまいから別学年にまでファンがいるらしい。
まぁロランに成績もファンの数も負けてるけど。
カルは銀色の短い髪を神経質に何度も手で払って、四つん這いのまま私たちを睨みつけた。
「お前ら……このことは誰にも言うなよ……」
「ラヴォジエ家の坊ちゃんが、蜘蛛が怖くて泣きわめいていたって?」
「言うなって言っただろうが!」
「うわ、うるさ」
己の無様な姿を思い出したのか、カルは顔を真っ赤にして私の肩をつかんでぐわんぐわん揺らした。
「絶対言うなよ!」
「わかった!わかったって……!」
どさりと重たいものが地面に落ちる音がした。
なんだろうと思ってみると、黒い土と雪のまばらな地面に教科書が数冊ちらばっている。
ロランは落とした教科書も拾わず、取っ組み合う私とカルを交互に見て低い声で言った。
「は?なに?浮気?」
いや、付き合ってないんだが。
その後、ロラン発案のえげつない仕返しを四年生にきっちりしてさしあげた。
彼女たちは大勢がいる廊下で緑の発光スライムまみれになり、丸一日ほんのり緑色に発光し続けることとなった。
なぜか三年生のカル・ラヴォジエも同じ被害にあい、愉快犯の仕業ということになっている。
私とニーカがお腹を抱えて笑ったのは言うまでもない。