三年生6
「やってしまった……」
学院前の停留所で頭を抱えている不審者がいたとすれば、それは私で間違いないだろう。
年始に鉄馬車がいつも通り運行しているわけがなかった。
この雪道を歩いて帰るのは、どう考えても正気の沙汰じゃない。
とぼとぼと戻ってきた私に、管理人のおばさんはあらぁとのんきな声をあげた。
「迎えが来るものだとばかり思っていたけど」
「すみません、一晩泊めてください……」
「それがねぇ。あなたが帰ってすぐ、暖房が壊れちゃって」
「えー!」
どうりで室内なのにうすら寒いわけである。
「談話室なら暖炉があるから、ロランにも今晩はそこで過ごすように伝えてくれる?あとで毛布を持っていくわね」
「ありがとうございます」
ロランを呼びに行く前に、リュイ先生に連絡をした方がいいだろう。
寮の鉄鳩を一羽借りて、帰れなくなった経緯と謝罪を書いた手紙を脚に巻き付けた。
鳩を模した機械の背中に、燃料となる鉱石を投入する。鉄でできているけれど飛ぶために極限まで軽くされた体は、片手でも持ち上げられるほどに軽い。
番地を入力し、開け放した窓の外へと促してやると鉄鳩は私の手を離れ、雪の降る街へと飛び立っていった。
鳩というよりカラスに似た黒く光る姿が小さくなるまで見送り、窓を閉める。
「さむ……」
ぶるりと身を震わせ、ロランを探しに行こうとしたら、なぜかその本人が扉を開けたらいた。
「うわ、びっくりした!なんでいるの?」
「さっきマダムとすれ違って、年始なのに通常通り鉄馬車が動いていると思っていた哀れな宿泊者がいるって聞いたから」
「探しに来てくれたの?」
そう尋ねると、ロランはついっと視線をそらした。
「鉄鳩の使い方がわからなくて困っていたら、笑ってやろうと思って」
「ふーん」
心配してきたって素直に言えばいいのに。
ニヤニヤしていたらデコピンされた。
夕食もお風呂も済ませ、あとは寝るだけだ。
暖房が壊れた影響は談話室にももちろん出ていて、暖炉の火では追い出せない夜の冷たさがしんと満ちている。
私たちは毛布にくるまって、行儀が悪いけれど暖炉前の床に直接座っていた。
「学院は早く寮を建て替えるべきだ。毎年この時期になると暖房が壊れる」
「もしかして去年も?」
「そう、去年も」
ということは、ロランは去年も寮で一人過ごしたということだろうか。
暖炉の前で一人毛布に包まり過ごす彼の姿を思い浮かべると、自分でもびっくりするくらい悲しい気持ちになった。
黙り込んでしまった私に、彼は気まずそうに眼を伏せる。
長く黒い睫毛がためらうように震えて、それから彼の赤い目がまっすぐに暖炉の火へそそがれる。
「僕は孤児なんだ」
私は何と返事をしたらいいのかわからず、彼の横顔を黙って見つめた。
一度話始めると気持ちが定まったのか、彼は無表情に自身の生い立ちを語り始める。
「正しく言うと、母親と父親が誰かはわかってる。父親にいたっては顔だけは知っているっていう程度だけどね」
その父親が目の前にいるかのように、ロランは憎しみのこもったまなざしを炎へ向けた。
「僕と母さんの居場所は地下の牢屋みたいな部屋だった。そこで父親だとかいう男にいろんな実験に付き合わされたよ」
ロランはシャツをまくって、自らの手首を見せた。
そこには茶色く変色した複数の傷痕があった。
「これのせいで迂闊に腕まくりもできない」
「……痛くない?」
よっぽど私が情けない顔をしていたからだろうか。
ロランはふっと眉尻を下げて、もう痛くないとだけ答えた。
「触ってみる?」
ほら、と差し出され、恐る恐る指先で触れてみる。
ひきつれ、変色した皮膚は、少しザラザラとしていて硬い。
「ある日、母さんがどうやって手に入れたのか部屋の鍵を開けて、逃げるよって言ったんだ。でも母さんはもうかなり体が弱っていて、少しも走らないうちに動けなくなった。そしてそのまま二度と動かなくなった。……僕は母さんを見捨てて、逃げ出した」
深く息を吸い込み、彼は言葉を切った。
そしてとても苦いものを飲み込んだ後のように、ゆっくりと細い息を吐きだす。
「ゴライアスの丘にあるハルバート家の墓に行って、ネックレスを壊しなさい。それが母さんの最期の言葉だった。意味はわからなかったけれど、何度も繰り返したらちゃんと覚えている。それから僕は野良犬みたいにさまよって、孤児として保護されて、まともな暮らしを知らないまま学院に入った。ここで学んで錬金術師になれば、暮らしには困らないから。……そんな僕がここじゃハーメスの子孫だとか言われているんだから、おかしいよね」
はっと鼻で笑って、ロランはようやくこちらを見た。
その顔には悲壮感なんて少しもなくて、むしろつまらない話だよねとでも言いたげな皮肉な表情が浮かんでいる。
「おかしくなんかないよ。だってロランは他の誰よりも賢くて、大人で、素直じゃないけど本当は優しい凄い人だもの」
「そんなこと思ってないくせに」
「思ってるよ!」
思わず彼の手を握りしめ、私は叫んだ。
「ロランは凄いよ。何もわからない編入生の私の世話だって嫌がらずに見てくれているじゃない」
「先生に頼まれたから仕方なくしているだけだよ」
「嘘つき」
本当に嫌だったら、うまくやっているふりをする人間だってことくらい、私が知らないとでも思っているのだろうか。
握りしめたロランの手は、石のようにひんやりと冷たい。
その指先が少しでも温まるようにと私は両手で握りしめた。
「ロランがどんな生まれでも、私はあなたのことを凄いと思っているし、ロランがいるからどんなに寒い部屋でも、ここが私のいたい場所だって言うよ」
言葉にして初めて、自分のなかで彼が特別な存在になっていたことに気づいた。
一緒に勉強して、ご飯を食べて、花火を見て、無邪気に笑ってくれるロランが私は大切だ。
素直じゃなくて、すぐに意地悪なことを言うところも。
私が嫌な思いをしないように気にかけてくれているところも。
自分のつらい過去を笑い話みたいに言ってしまうところも。
リュイ先生のことを家族みたいに大切に思うように。
フレイム王国に置いてきた、こんな私に優しくしてくれた人たちを愛おしく思うように。
もしかしたら、それ以上に。
ロランが大切だ。
「……馬鹿じゃないの」
握りしめた手が、握り返される。
「僕なんかといたって、何もいいことないだろ」
「そんなことない」
「僕といるから、自分に友達ができないし、ヒソヒソ言われてるって気づいてないわけ?」
「気づいてるけど、それが何か問題ある?」
いじめてもいない妹をいじめるなとしかられ、家族に憎まれてきたことに比べればなんてことない。
それにこれからも友達ができないって決まったわけじゃないし。
まぁロランに憧れている女子と仲良くなるのは、かなり先の話になるだろうけど。
「それに私がいないと、ロランも寂しいでしょ?」
冗談のつもりでそう言って微笑むと、ロランはポカンと口を開けて固まってしまった。
そういう反応されると、恥ずかしいというか、純粋につらいというか……。
ちょっと調子に乗りすぎたかもと内心焦っていると、弾けるような笑い声があがった。
ロランは見たことないくらい大きな口で、心底楽しそうに笑う。
これはどういう種類の笑いなんだろう。
戸惑い、困り果てる私を、ロランは何の前触れもなく抱きしめた。
「本当は今日、君が来てくれて嬉しかったんだ。君の言う通り、アニエスがいなくて寂しかった」
「冬休みも夏休みも、ずっと一人で過ごしていたって平気だった。なのにこの冬は妙に一人がつまらなくて、寒くて……僕はたぶん、アニエスがいなくて寂しかったんだ」
肩に彼の頭の重みを感じる。
かぁっと顔に血が集まって、一気に熱くなった。
ロランは機嫌よさそうにふふふと笑っているし、なんだこの状況は。
「ドウイタシマシテ」
動揺しすぎて、ぎこちない発音になってしまった。
「照れてるの?」
「照れてないし!」
からかうなと暴れる私を彼はぎゅうぎゅうと抱きしめた。
そのまま二人床に倒れこんで、自然と見つめあう体勢になる。
私だけじゃなくて、ロランの頬も赤い。
さっきまで寒くて毛布に包まっていたのに、今はちっとも寒くない。
「夏になったら、どこかに遊びに行こう。アニエスが行きたいところなら、どこにでもついていってあげる」
連れていくじゃなくて、ついていくってところがなんかロランっぽいなと思いつつ、私は約束ねとつぶやいた。
今年はきっと、今までで一番素敵な一年になるだろうという確信を抱いて。