三年生3
「僕の言うことを聞いてくれたら、勉強する場所を貸してあげてもいいよ」
「え!?やる!」
即答した私に、ロランはきょとんと瞬きをして、しばし固まった。そして次第に堪えきれなくなったとばかりに笑い始める。
ロランの笑い声が冷えた石の階段にぶつかって、密やかに響く。
自分でもちょっとがっつきすぎたという自覚はあるので、じわじわと顔が赤くなるのがわかった。
いつまでもロランが笑っているので、咳ばらいをして仕切りなおす。
「私はなにをすればいいの?」
「はぁ、面白かった。ついてきて」
面白いは余計だ。
ロランの目的地は私が座っていた階段をずっと、ずっと下りたところ。地下二階にあった。
「本当にこんなところ入っていいの?」
明らかに入ってはいけなさそうな配管がむき出しの廊下をロランは進んでいく。
「入っちゃいけないところには、ちゃんと鍵がかけてある」
「なるほど」
地下空間は想像以上に広く、終わりが見えない。
「この真上がハーメスの塔」
学院の創始者ハーメスの研究室があるという塔がこの真上にあるのだという。
錬金術師の卵と名乗っていいのかすら怪しいが、それでもちょっと感動のようなものを覚える。
「そういえばロランってハーメスの子孫なの?」
なにげなく尋ねた質問だったのだが、ロランはわかりやすくうんざりという顔をした。
「それ誰から聞いたの?」
「名前なんだったっけ……なんかトウモロコシのひげみたいな髪の毛の子」
「イザベラか」
舌打ちでもしそうな調子だ。
しかしすぐに無表情に戻ったロランは、とある柱の前で立ち止まった。
彼は白い指を柱のくぼみに引っ掛け、ぐっと手前に引く。
石がこすれる重たい音とともに、柱の一部が開いた。
「えー!」
「うるさい……」
「あ、ごめん」
耳元で大声を出したから、すごくいやそうな顔をされてしまった。
柱に紛れていた扉の向こうは、こぎれいな小部屋だった。
大きなテーブルの上には実験道具や本がたくさん置かれていて、部屋の隅にはロッキングチェアまである。
ロランが壁のスイッチを入れると、暖炉に勝手に火がともる。
まるで魔法みたいだと思い近寄ってみると、薪ではなく石が燃えていた。
石炭に似ているが、においが違う。
「これ、燃焼石?」
「うん。そこに器具があるから、足りなさそうだったら作って」
燃焼石は可燃性の気体を圧縮して作る石だ。
すぐに火がつくし、煤もでないのが特徴だ。
「自分で作ってるの?」
「買ったら高いからね」
私もリュイ先生と一緒に作ったことがあるけれど、温度管理や手順が難しくて何度も失敗してようやく成功した記憶がある。
そういえばあのブロンドの嫌な子が、ロランは前年度の首席だったと言っていたっけ。
机の上にきれいに並べられた実験器具をしげしげと眺める私を放置して、ロランは暖炉前のロッキングチェアに腰かけた。
よくよく観察してみると、棚に出しっぱなしのコップやタオルが放置されている。
「もしかしてここに住んでる?」
「そんなわけないだろ。ここは僕の工房」
「寮の部屋と別に工房を持っているってこと?」
「寮だといろんな奴が話しかけてきて、うるさくて仕方ないんだ」
「そうなんだ。……あれ?じゃあどうして、私を連れてきてくれたの?」
彼はゆらゆらとロッキングチェアを揺らしながら、ちらりとこちらへ視線をよこした。
赤い瞳が暖炉の灯りを反射して、自ら光っているかのようだ。
どんな答えが返ってくるのだろう。
少しドキドキする私に、ロランは短く一言。
「奴隷」
「どっ……!?」
なん、だと……。
勉強場所を提供するという甘い言葉につられて、とんでもない契約を結ばされてしまったのではないか。
いまさらながらに焦る私に、彼は嘘だよとあきれたように言う。
「掃除とか、燃焼石とかを作ってくれればいいよ。ここの管理を一人でするのが面倒になってきたところだったから」
「そんなことでいいの?」
掃除といってもたいした広さはないし、燃焼石を作るのも実験の練習ができると思えばむしろありがたいくらいだ。
鉱物科教師の弟子と名乗るならば、それくらいできておかないといけないだろう。
とにかく恩人であるリュイ先生に恥はかかせられない。
先生はそんなこと全く気にしない人なんだけど。
「それに君は外から来た人だから」
外から来たという言葉を聞くのは今日で二回目だ。
険しい山々に囲まれたモリエヌスでは、自国とその外で世界がはっきりと分かれているようだ。
「純粋に錬金術を学びに来た人間を馬鹿にするような、由緒正しい奴らと僕は違う」
淡々とした口調だったけれど、わずかに細められた目には憎しみのようなものが垣間見える。
初対面では人形みたいな人だなと思ったけれど、ロランにもいろいろと秘めているものがあるのかもしれない。
私も身分とか家から逃げてきた人間だから、少しだけ彼に親近感がわいた。
それからすっかり夜遅くなるまで、私はロランの秘密の工房の片隅を借りて、勉強を続けた。
学院生活二日目の朝である。
予習はばっちり!
教科書もそろっているし、名前だってちゃんと書いた!
ぴしゃっと冷たい水で顔を洗って、遅れて起きてきたニーカに挨拶をする。
「おはよう、ニーカ!クリスティーナさんもおはようございます!」
「……お、おはよう」
私の勢いに気圧された様子のニーカだったが、クリスティーナさんは昨日と同じように脚を一本持ち上げて挨拶を返してくれる。
昨日はすっかり落ち込んでブルーになっていたけど、ロランの工房でしっかり勉強できたから今日はうまくいく自信がある。
悪役令嬢のアニエス・モレルには伯爵令嬢の身分や、ぜいたくな暮らし、望めばいくらでも受けられる教育環境があったけれど、今の私にあるのは、自分の体とこの知識だけだ。
それでもやっぱり私はただのアニエスでいる方が、何百倍も幸せだと思える。
だから大丈夫だ。
そして昨日のトラウマ、植物学基礎の時間がやってきた。
午前中の授業では当てられることもなかったし、内容もちょっと難しかったけれどついていけた。
ベージュのローブに身を包んだ、やせぎすの女性、アデラード先生が入ってくる。
さぁ、来い!
と見つめていると、授業が始まるやいなや名前を呼ばれた。
「まずは昨日の復習をしましょう。アニエス、ミズタマヤマタケは何に分類されますか?」
「担子菌です。しかし水辺を探して移動する際にアメーバ状になるため、原生動物だとする考えもあります」
答え終わってドキドキしている私に、アデラード先生は満足げに頷いた。
「よろしい。よく復習してきましたね」
褒められたのが嬉しくて、ぽぽぽと顔が熱くなる。
「では次に、イザベラ」
昨日私にこれみよがしな嫌味を言ったイザベラが当てられる。
「シビレアメーバモドキは何に分類されますか?」
「えっと……わかりません……」
「私の授業で復習を怠ることは許しません。教科書の二十六ページをはじめから音読しなさい」
「……はい」
つんつんと腕をつつかれ横を見ると、昨日と同じで隣に座っていたロランが、口パクでよかったねと言ってくる。
だから私も口パクでありがとうと返しておいた。
とっつきにくそうに見えて、ロランって案外優しい人なのかもしれない。
私は一つ息を吸って、ペンを再び握る。
昨日よりも今日。
今日よりも明日。
努力するほどに、きっとここでの暮らしも楽しくなるという明るい予感を抱いて。
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