三年生2
ロランの案内でリュイ先生と会えた私は、教科書とか必要な諸々を受け取り、午後からさっそく授業を受けることとなった。
「本当は建物を案内したりとか、少しくらいゆっくりさせてあげたかったんだけど……」
「大丈夫です。私も少しでも早くみんなに追いつきたいので」
それに学校に通うのは今世では初めてだから、ワクワクもしている。
フレイム王国にもいちおう学校はあったけれど、役人になりたい人がいくところであって、貴族が通う学校とかはなかった。
それに対して、モリエヌスには様々な学校があり、生徒たちは身分関係なく学問を学ぶことができる。皇帝の親族に、貴族、錬金術の名家などの階級はフレイム王国に比べればかなりざっくりしていて緩い感じだ。
「ロラン、すまないがしばらくアニエスにいろいろ教えてあげてくれないか?」
「わかりました」
「荷物はもう寮の部屋に運び込んでいるから、寮での決まりとかは同室の子に聞きなさい」
学院の先生が着るグレイのローブに身を包んだ姿は、どこからどう見ても先生だ。
「リュイ先生、本当に先生みたい」
「みたいじゃなくて、正真正銘の先生だからね」
ご両親に結婚はまだかとせっつかれ小さくなる姿をよく見ていたからか、先生然とした姿にはまだ慣れない。
「では、アニエス。五限目の鉱物学基礎の授業でまた会おう」
そう言って、リュイ先生は慌ただしくローブを翻して自分の準備室へと戻ってしまった。
ロランに連れられ私は三年生の教室へ向かう。
廊下一つとってもだだっ広くて、教室は大学の講義室に似ていた。
「次の授業は植物学基礎。これが教科書。今日は僕のを一緒に使って」
「ありがとう」
今度何かお礼しなくちゃなと思いつつ、ロランの隣に座る。
てっきりみんなの前で紹介されたりするのかと思っていたけど、ぬるっと授業にまぎれこむ形となってしまった。
それでも噂くらいは出回っていたらしく、周囲からの好奇の視線とひそひそ声が絶えない。
あまり嬉しい感じはしない。
それに初めての授業は、よりによって植物学か……。ついてないなぁ。
リュイ先生の熱心な指導のおかげで鉱物学と数学は得意になったのだが、植物学はまだ覚えていないことが多いのだ。試験でも一番心配だった教科だ。
鐘が鳴って、やせぎすの中年女性が入ってきた。
グレイのローブはしわ一つなく、なんだか厳しそうな雰囲気がビシビシする。
「こんにちは、みなさん。本日は教科書の二十八ページ。菌類の分類から」
名前すらもわからない先生がさっそく黒板にポイントを書き始める。
私は隣のロランにならって、ノートに黒板や先生の話を書きとめていった。
授業が中盤に差し掛かったころだった。
「今日は編入生がいるそうですね」
ドクンと心臓が跳ねた。
教室を見回す先生と目が合う。
「あなたかしら?」
「は、はい!」
立ちあがった拍子に椅子がガタガタ大きな音を立てる。
私の慌てっぷりに、クスクスと小さな笑いが起きた。
「名前は?」
「アニエスです」
「では、アニエス。ミズタマヤマタケは何類に分類されますか?」
「ミズタマヤマタケ……」
な、なんだっけ。
えっと、たぶん名前からしてミズタマ模様のキノコなんだろうけど、な、何類!?
黒板には十二個の分類が書かれている。
あの中のどれかなんだろうけど……わ、わからない。
頭が真っ白になって、どっと変な汗が噴き出す。
「どうしました?」
先生の目がこんなこともわからないのかと、責め立てているように見えて仕方ない。
手足が震えて、上手く頭が回らない。
「わかりません……」
なんとかそう絞り出しうつむくと、先生はそうですかと平淡な声で言った。
「リュイ先生のところでは植物学に力をいれていないようですね。冬休み前に分類の試験をしますから、よく勉強なさい」
「はい……」
恥ずかしくて、たまらない。
とにかくこの場から消えてしまいたい。
手の震えが止まらない。
あ、まずい、泣きそう。
小さくなった私の斜め前のブロンドの子が、これ見よがしに隣とひそひそと言うのが聞こえた。
「リュイ先生の弟子だって聞いていたけど、しょせんは外からきた子ね。編入試験に受かったっていうから期待していたのに、がっかり」
「私語は慎みなさい」
ピシャリと私語を注意して、先生はさきほどの答えがのっているページを開けるように指示した。
私の手は当てられる前と変わらず熱心にノートを取っていたが、中身は全然頭に入ってこなかった。
午後の授業が終わり、ロランに女子寮の場所を教えてもらった私は、さながら負傷兵がごとくズルズルと廊下を移動していた。
鉱物学の授業以外、めちゃくちゃ難しかったというか、リュイ一家で受けた授業が、完全に鉱物学特化な内容であったことをようやく認識したというか……。
こりゃ大変だぞ。
なんとかしなくては。
しかしまずはこの疲れた体と精神を休める必要がある。
なんとか自室のドアを見つけ、ノックしてからゆっくりと開ける。
「こ、こんにちは~」
意外と広い部屋の両壁際に二段ベッドが二つあった。
入り口からみて左側のベッドに腰かけた子が、のっそりと振り返る。
「誰?」
「はじめまして。あの、私、今日から同室のアニエスって言うんだけど」
「ああ、編入生ね。ニーカよ」
ベッドから立ち上がったニーカは、随分と小柄な女の子だった。
重たい前髪で目元は隠れていて、首からなぜか大きな蜘蛛が入った虫かごを下げている。
彼女の机、物置としてつかっていいことになっている二段ベッドの上段にも、大量の虫かごが置かれていた。
握手を交わした私に、彼女は一方的にこうまくしたてる。
「部屋の左側は私のスペースだから、侵入しないこと。虫かごには絶対に触らないこと。夜中遅くまで起きていようが、他の子のところに遊びに行こうが私は文句言わないから、あなたも私の行動に文句を言わないこと。それとこの子はクリスティーナ。私やあなたよりも年上のレディだから、きちんと敬意を払ってちょうだい」
「よ、よろしく、ニーカ。それと、クリスティーナ……さん?」
虫かごの中で、手のひらほどありそうな蜘蛛が、よろしくとでも言うかのように脚を一本あげる。
蜘蛛は別に苦手でも好きでもない私ですら、このサイズはさすがに怖いというか、ゾッとするというか……。
…………やばい子と同室になってしまったかもしれない。
少ない荷物はすぐに片付き、夕食もすませた私は、真新しい教科書を抱いて自習室を探していた。
部屋で勉強したいのはやまやまだが、クリスティーナに話しかけながら何かをすり鉢でゴリゴリ潰しているニーカの存在が不気味すぎて逃げてきてしまった。
部屋替えは新年度までできないらしい。
「やっていけるかな……」
ニーカのスペースに大量にあった虫かごを思い出すと、ブルブルと体が震える。救いなのは中身が見えないようになっていることだろうか。
「あら、編入生さんじゃない」
植物学の時に、これみよがしに嫌味を言っていたブロンドの子だ。
彼女は肩にかかった豊かな金髪を、演技がかった仕草で払いのける。
「迷い犬みたいにうろうろして、どうなさったの?」
「迷い犬……」
後ろには取り巻きっぽい子が、二人くっついている。
「自習室を探していて」
「あら、自習室は上級生しか使えないのよ?自室に戻った方がよくってよ」
「イザベラ。この子の同室、あの蜘蛛女よ」
「まぁ!なんてかわいそうなの!」
彼女たちは顔を見合わせ、クスクスと笑う。
「アデラード先生の簡単な分類の問題にも答えられなかったし、こんな子のお世話をしなくてはいけないなんてロラン様もかわいそうだわ」
なんで同級生を様づけにするんだろう。
このイザベラって子はたぶん名家の出身ぽいけど、ロランもそうなのだろうか。
「ロランって名家出身なの?」
「はぁ?」
あきれたと鼻を鳴らして、彼女はとうとうと語り始めた。
「いい?ロラン様の出身の話はタブー。彼はご自身の出身を隠していらっしゃるの。彼のローブの金刺繍は見たわよね。あれは前年度の首席だけが着ることのできるローブなの。先生方もロラン様は百年に一人の天才だっておっしゃっているわ。加えてあのお顔!」
うっとりとイザベラは空を見上げる。
なんだ、ごちゃごちゃ言っているけど、結局はロランのファンか。
と内心苦笑いがこぼれる。
彼女は私が気に食わないのではなく、ロランに世話されている編入生が気に食わないのだ。
「きっと出自を隠してらっしゃるのは、錬金術師の祖、ハーメス様の子孫に違いないからだわ。そんなこともわからないの?」
「いや、だって今日が初日だし」
「あ、あなたね……!」
「いろいろと教えてくれてありがとう。わからないことがあったらまた聞くね」
「ちょっと……!」
こういう手合いは、まともに対応しないのが一番だ。
爽やかに手を振り、私は早足に廊下を曲がった。
後ろから、なんなの!と憤慨する声が聞こえたが無視した。
たちの悪い嫌がらせしかしないオデットに比べたら、かわいいもんだ。
それにしても自習室は使えないのは困った。
諦めて自室に戻るか悩みながらさまよううちに、私は人気のない階段にたどり着いた。
「とりあえずここでいいか」
階段にこしかけ、膝の上に教科書を広げる。
とりあえず植物学だけでも、予習しておかないと。
石造りの階段はひんやりと硬く、すぐにお尻が冷たくなっている。
もぞもぞと身じろぎして、我慢我慢と心の中で繰り返した。
けれど部屋と違って暖房もないので、体の芯からどんどん寒くなってくる。
ズッと鼻をすすると、一気に悲しくなった。
学院に入ったら、全部上手くいくなんて思っていなかった。
むしろ私の人生はここからなのだ。
だけど、授業で答えられなかったことや、蜘蛛と同室なこと、いじわるな同級生の顔を思い出すと、とてもみじめな気持ちになる。
ああ、駄目だ。
泣きそう。
正直、すごくつらい。
あと寒いし、お尻も痛いし。
鼻を小刻みにすすりつつ、教科書に線を引いたり、意味を調べたりしていると、誰かが上から降りてくる音がした。
「随分と変わったところで勉強するんだね」
ロランは手すり越しに私を見下ろして言う。
リュイ先生も何もこんな目立つ子に世話係を頼まなくたっていいのに。
「……好きでこんなところで勉強してるわけじゃない」
恨めしく思う気持ちから、ついついつっけんどんな態度になってしまう。
ロランは何も悪くないのに。
私、最悪だな。
自己嫌悪と恥ずかしさと寒さとお尻の痛みで気持ちがぐちゃぐちゃだ。
「リュイ先生にお願いすればいい」
「先生には十分よくしてもらっているし、なにより私はまだ先生の弟子と名乗っていいほどの実力もないのに、お願いなんてできないよ」
「ふーん」
ふーんってなんだ。ふーんって。
睨みつけるように見上げた私に、ロランはほんのり意地悪そうな目で言った。
「僕の言うことを聞いてくれたら、勉強する場所を貸してあげてもいいよ」
「え!?やる!」