鉄砲斎
ここから第二章です。
1 鉄砲斎
鉄砲斎を名乗る男が、中国山地のたたら製鉄の町を訪れたのは天正七年の秋、和紙を墨汁に浸したような黒光りする外套を羽織り、紅葉の里山を越えてきた。牛革を鞣した外套の襟を立てた鉄砲斎は、浪人笠を目深に被り、真紅の布一丈を首に巻いて念入りに人相を隠している。
まだ肌寒い頃であれば行き交う人も寂しく、余所者を気かける者も少なかった。それに町外れの丘に立って煙が立ち上るたたら場を、静かに見下ろした鉄砲斎の風に靡いた長い襟巻きが、殊更異様な出立ちだったことも、人々に素性を問うのを躊躇わせた。
斯くの如き火床に向う目当ての鍛冶屋を訪ねた鉄砲斎は、居宅兼作業場の敷居を跨いで、浪人笠を脱ぐと上がり框に腰を下ろす。赤い襟巻きで口元を隠している鉄砲斎は、振り向き様に黒髪を撫であげると、火床に向かっていた鍛冶屋の久を黒い瞳で睨みつける。
「鍛冶屋の久は、あんたか」
鉄砲斎の来訪に火床に風を送る踏鞴を弟子と代わった久は、挨拶一つなしに上がり込んできた無愛想な客人に用事を尋ねた。
「あんたは、この青図通りに鉄を打てるか」
「どれ、拝見しましょう」
鉄砲斎が久に渡した藍色の紙には、複雑な形をした図案が白筆で描かれていた。紙に書かれた文字や数字の単位は異国のものだったが、それが原寸大を表わしているなら久にも判読できる。図案には大小様々な円筒と、曲線が多用された何枚かの板に、それらを繋ぎ止めるだろう螺旋が彫られている小さな穴が数か所描かれていた。
鍛冶屋は白髪混じりの無精髭を撫でながら、依頼を引き受けるか思案した。
何故ならば鉄砲鍛冶の久には、図面通りに労作すれば風変わりな火縄銃が組上がると予想がついたからだ。戦乱の世にあって火縄銃は、数丁揃えば戦局を左右する武具であり、見たところ浪人崩れが鍛冶屋に発注するような代物でもなかった。
「それで旦那、こいつを何挺ご入用ですか」
火縄銃の図面と見抜いた久は、当たりをつけて問うたのだが、鉄砲斎は黙ったまま何も応えなかった。それに鉄砲鍛冶に求めているのが人殺しの火器であれば、改めて用途を聞いても、不躾な物言いの男は応えないだろうと考えた。
「一両一貫、七日もらえるなら作れるでしょう」
「前金で一両、期日中に同じものを二つずつ用意できるなら、さらに一両を支払う」
「二両で同じものを二つですか?」
寸刻俯いた久が面を上げて了承すると、鉄砲斎は懐から出した一両小判を二枚床に並べた。訝しげに小判を拾い上げた久は、藍色の図面を置いて立ち去ろうとする鉄砲斎を呼び止めた。
「しかし旦那、図面通りに作っても火縄銃には寸法が足りねぇし、これが噂に聞いた馬上筒だとしても、火挟みを叩きつける火皿もねぇ」
「あんたには、関係のない話だ」
「いやね、請負った仕事が出来損ないでは鉄砲鍛冶の面目が立たねぇって話です。それに奇妙なのは、分割した砲身に空いた六つ穴の用途です。私が思うに、それぞれに六つの弾丸と火薬を入れる−−」
鉄砲斎は図面に目を通していた久に顔を寄せると、細めた目で見下ろした。詰め寄られた久は、鉄砲斎の墨を垂らしたような黒い瞳に身が竦んだ。彼の瞳には虹彩と瞳孔の区別がなく、文字通り死んだ魚ような目だったからだ。
「あんたは鼻が効くようだが、詮索せずに注文どおりの品を作れば良い」
「は、はい」
その時から七日後、銘切り鏨に小槌を振り下ろした久が注文の品を作り終えた頃、鉄砲斎は同じ格好でたたら場の町を再訪する。目当ての品を引き取った鉄砲斎は、預けた青図を複写していないかと、それだけを確かめて、そそくさと立去った。
鉄砲斎が現れた訳合いを知るには半年前、リャンとシノが教会領である茂木町を出て訪れた日向国の宿場、そこで彼らが青図百選を狙われたことに端を発する。