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鉄砲斎  作者: 梔虚月
第一章 長崎所払い
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長崎所払い

 5 長崎所払い


 リャンの屋敷前では、砲術指南を教示されていた下級武士たちが、固く閉ざされた門扉を叩いて火縄銃を寄越せと詰め掛けていた。平松の死を知った彼の同士が、弔い合戦だと意気込んでいるようだ。


「各方は、何を慌てている」


 リズと屋敷に伴った狩野助は、気が逸る石崎の首根っこを捕まえると、顔を真っ赤にした彼は振り返り、口角泡を飛ばす勢いで語り出す。


「平松殿が先程、中島川で射殺されました。異人どもが市中で戦を仕掛けてきたというのに、これが落ち着いていれますか」

「心お平らに、まだ下手人はわかっていない。それに平松殿も火縄銃を構えていれば、仕掛けたのはこちらと考えるのが筋でしょう」


「否ッ、平松殿はリャンに恫喝されたので、護身用に火縄銃を持ち歩いていたのではありませんか。火縄銃の射程で狙われれば、刀で応戦できませんからな」

「平松殿が恫喝されていた?」


「指南所の連中は、みんな存じております」


 狩野助は初耳だったが、宮ノ前事件の再現などと軽口を叩いた平松は、上役に報告すると咎められたらしい。謀反を企んだ自らの落度を指摘されて、それを恫喝とするのは陰謀を実行するための詭弁でしかない。


「どちらにせよ、平松殿も引き金を引いていれば、これは彼の私闘です。各方が血気盛んに仇討ちなどと叫ぶのは、治安を預かる武士の領分を超えています」

「それでは、平松殿が犬死にではないか!」


 石崎は声を張り上げると、狩野助の襟元掴みかかる勢である。ただ二人のやり取りに気付いた下級武士たちが、屋敷に背を向けて一斉に振り返るので、石崎は上役に反抗して一大事にならなかった。


「各方は火縄銃で、いったい誰を撃とうとするのか。長崎で異人と乱闘騒ぎとなれば、それこそ宮ノ前事件の再来です」


 狩野助が語気を強めると、彼らを押し退けて嵩木が一歩前に出た。嵩木は、狩野助と同じ家老筋の氏族であれば縁戚関係である。彼は嫡子である狩野助とは違い二男のために、兄に家督を譲り徒組頭の身分に甘んじているが、それでも家老筋であれば指南所で一目置かれる存在だった。


「俺は宮ノ前事件の再来を望んではいないが、平松が火縄銃で殺されたなら、犯人はリャンしかいないと思う」

「嵩木、それは些か早計ではないか」


「いいや、狩野助。俺は、しばらく平松の動向を石崎に追わせていた。石崎の報告では二発の銃声の後、現場付近から逃げ出したリャンを目撃している」


 狩野助の背中に隠れていたリズは『兄様は火縄銃を持っていませんでしたわ』と、顔を隠したまま反論した。しかし彼女の声を聞いた嵩木は肩を竦めると、逃げる最中に捨置いたと見立てる。


「嵩木は、平松殿を尾行させていたのか」

「不穏な動きを察していれば当然だ」


 狩野助は、指南所に詰め掛けていた彼らの手回しの良さに納得すると、事件を未然に防げなかったのかと、訳知り顔で話す嵩木に聞いた。平松が火縄銃を持ち出した時点で声をかけていれば、事態が複雑にならなかったからだ。


「俺と平松は同輩だし、何もないのに出過ぎた真似は躊躇う」


 事情を知り得た嵩木は、同輩の平松が未遂の事案で処罰されることを嫌っており、それこそ事件を未然に防ごうとして説得を続けていたらしい。それに平松を尾行していた石崎は今日、それと気付かれて振り切られてしまったようだ。嵩木は、手を尽くした上での出来事だったと言っている。


「リャンさんが平松殿を返り討ちにしたとしても、彼に落ち度はない」

「そいつはおかしい。普段から火縄銃を携帯していないリャンが、なぜ今日に限って火縄銃を持参していた。リャンは返り討ちに見せかけて、平松を射殺するのが目的ではなかったのか」


「では火縄銃を携帯していないことこそが、リャンさんの無実の証拠になる」

「では誰が、川向うから平松を狙撃できる。リャンの腕前なら短気な平松を挑発して、先に引き金を引かせたとしても射殺できるだろう」


 狩野助が『それは−−』と、答えに窮すると、嵩木が間を置かずに話を続けた。


「狩野助、こいつは好機かもしれない。国人の死が、長崎を闊歩する異人の言動を抑制するなら、平松も無駄死にならない」


 嵩木が口にすると、背後に並んだ石崎たちも大きく頷いて同意している。血気盛んな彼らの鬱積した想いが、仲間の死を以て堰を切ったように噴出したようだ。それでも狩野助は、彼らを落ち着かせようと話を続ける。


「お前たちの気持ちは心得た。しかし私闘の仇討ちが広義でなければ、私の顔を免じて憤りを抑えてくれないか。武士の矜持は大義に尽くして、ならないものはならないと堪えることにもある」


 石崎たち大勢は顔をしかめているものの、嵩木を始めに幾人かは、狩野助の再三の説得で興が削がれた様子だった。


「リズさん、今ならば大丈夫でしょう」

「はい」


 狩野助は頃合いを見計らいリズの手を引くと、屋敷の下働きに呼びかけて門扉を開かせる。リャンに仕える下働きだが、そもそも狩野助が紹介した者だったので融通が効いた。


「私がリャンさんに事情を確認するので、他の者は静かに知らせを待ちなさい。軽率な行動は、くれぐれも控えるように」


 狩野助とリズの肩を抱いて門扉に消えると、嵩木の周囲に集まった彼らは、口々に不満を漏らした。


「平松殿は、リャンの持ち込んだ火縄銃で殺られたんだ。狩野助殿が判断を違えて泣き寝入りされては、我らの面子が立たない」

「この機に乗じなければ、死んだ平松が浮かばれん」


 嵩木は手を小さく挙げて静粛を促すと、苛立つ衆目を集めて呟いた。


「狩野助は、ああ見えて抜け目のない人物だ。平松の命を賭して整えた舞台なら、俺たちのために代価を取立ててくれる」

「嵩木殿、代価とは何ですか」


「さあ、そいつは俺にもわからない。しかし謀反を企んだ平松が粛清されたと思えば、俺たちが騒ぎ立てる必要のない話だ」

「嵩木殿も、平松の私闘だったと認めるのか」


 嵩木は、食って掛かる石崎の肩に手を置いた。


「俺だって状況の転がりようには気乗りしないが、もともとが平松の憂さ晴らしだ。そんなことは、ここにいる誰もが知っている」

「それは……、そうだが」


「俺たちがどうこうして、腹を切らさせる事案でもあるまい」


 嵩木と屋敷前に集まった下級武士は、結果を座して待つしかないと、狩野助の要請に応じたようである。門扉を開け放っても屋敷に踏込む様子がなければ、狩野助は玄関で草履を脱いだ。


「兄様は、どちらに」


 先を急いだリズは、下働きの女に話しかける。


「リャン様は、火縄銃を保管している奥座敷におります」

「ありがとうですわ」


 リズが小走りにリャンのいる部屋を目指したので、狩野助は後について行く。リャンが現場から立去って屋敷に戻った訳合いは、犯行現場から逃げたのではなく、一刻も早く火縄銃の所在を確認したかったからではないか。

 持ち去られた火縄銃が平松の一挺ではなく、市中に多く出回っていれば平戸の惨劇が繰り返されるからだ。


「リャンさんは、事態を見越したか」


 仇討ちなんて物騒なこと叫ぶ連中が、屋敷の前に参集しているのだから、リャンの行動は正しかったと言える。彼が門扉を閉ざさなければ、屋敷に雪崩混んだ連中が火縄銃を持ち出したに違いない。そう考えれば合点がいく話だと、狩野助は自分に言い聞かせた。


 狩野助が火縄銃を保管している座敷に入ると、リャンがリズの頭を胸に抱いて安心させている。リャンにしがみつくリズは、狩野助の気配を察して、兄の腰に回していた手を解いた。


「狩野助様、外の様子はどうですか」

「嵩木がいますので、無理やりに押入ることはないでしょう。あれは聡明で、考えなしに行動しない男です」


「そうですね」


 リャンは、硬い表情を崩さないリズの手を握りながら、指南所で使う火縄銃が保管されている木棚の前にいく。木棚を施錠していた錠前は壊されており、縦に並べた火縄銃がニ挺ほど紛失していた。


「奪われた火縄銃はニ挺なので、平松様が一挺持ち去ったとすれば、もう一挺は彼を射殺した者の手にあると思います」

「そうなると下手人は、やはり指南所の関係者でしょう。無関係の者には、火縄銃の保管場所を知る由もありません。それに鍵を壊したのが平松ならば、下手人は火縄銃が持ち去られた訳合いを存じている」


「そうなりますね……。それでは、僕が疑われても仕方がありません。僕は屋敷の主で、平松様に命を狙われていると知っていました。平松様が火縄銃を持ち去ったので、僕が返り討ちにしようと考えても筋が通ります。ですが狩野助様、僕が犯人ではありませんよ」

「銃口を向けられるのがリャンさんならば、彼をやり過ごして成敗しようとは考えないでしょう」


「そのとおりですね」


 リズに目配せしたリャンは、繋いでいた手を離してお茶を運ぶように伝えた。狩野助は妹の身を案じているリャンが、平松を私刑にした可能性を否定できないのだろう。リャンは、リズの目の前で狩野助に問い正させるのも気が引けた。


「すぐお持ちしますわ」

「ありがとう」


 リャンの気遣いを察した狩野助は、どちらにも向けて頭を下げる。


「平松の腕前を知っているリャンさんは、彼と対峙したとしても、けして引き金を引かないでしょう」


 狩野助は『疑っていない』と、付け加えたものの、リズが狙われているのならば、先んじて引き金を引くと考えているのだろう。結局のところは、狩野助もリャンが無実だと確信が持てない。


「僕には、味方が少ないようですね」

「そんなことはありません。リャンさんが今日、その火縄銃を持参していなかったと証明できれば、彼らも無実を信じましょう」


 リャンがリズを港の茶屋まで追いかけていたのは確かだが、人相と素性を隠していれば、下働きにも悟られないように行動している。リャンが火縄銃を持ち出していないと、証言してくれる人物は皆無だった。


「それは難しいです」


 弱った顔のリャンは、狩野助の嫌疑を晴らすことが難しいと思った。なぜなら平松が忍び込んだ奥座敷は、下働きの支度部屋から遠く、庭の縁側に通じる勝手口から程近い。屋敷の者が騒がなかったのだから、ニ挺の火縄銃は誰にも気取られずに、こっそり盗まれたのが明白である。

 ならば平松の犯行に気付いてなお、自らも火縄銃を持ち去った犯人がいるのならば、起こり得る凶行を予見できる者に限られるからだ。


 ただ声の大きい平松の企みを知る者は指南所に大勢いたので、誰かがリャンを守ろうと火縄銃を持ち出したかもしれない。しかしリャンを守るならば、平松の犯行を公にすれば済むことなので道理がない。それに平松を狙撃したのが、中島川の向こう岸ならば、そんな長尺の狙撃ができる砲術師は、弓大将の狩野助くらいしか思い当たらなかった。


「平松の銃口は、リズさんのいた茶屋を向いていましたが、私はリャンさんが平松の腕前を見損なう粗忽者だと思いません」

「当たり前です。指南所に通っている下級武士の腕前では、中島川の対岸にいる相手に的中できません」


「その物言いだと、よもや私なら的中できるとお考えか」

「そうとは言ってないですよ」


 腕組みした狩野助は、火縄銃の並んでいる木棚を眺めると、深いため息を吐いて目を閉じる。リャンが火縄銃を持ち出さなかった証明ができず、妹を溺愛する彼には平松を射殺する動機もあった。門扉の前に集まっていた者の証言では、リャンが平松を挑発していたふしもある。


「軽率な行動でなければ、それは計画的な犯行かもしれない。いや、けっしてリャンさんのことではありません。何者かが、リャンさんを陥れているという意味です」


 リャンは『そいつは誰ですか』と、目を見開いて肩を震わせた。リャンが砲術指南役に抜擢されたのは長崎港に来航したとき、戦乱に巻き込まれて致し方なく、貿易商材の火縄銃を手にして戦ったからだ。それも自ら志願した訳合でもなければ、イエズス会に助力を願い出た大村家の意向に従った話である。

 平松たちを差し置いて領主から大役を仰せつかったとはいえ、教会の立会いで依頼されたリャンに拒否権がない。


「僕は、好き好んで指南役を引受けていません。平松様に楯突かれる筋合いがなくても、それでも我慢してきました。そんな彼が事件に巻き込まれたのは、僕を妬んだ末の自業自得ですよ」


 平松を射殺した犯人も、そうしたリャンの立場を羨んで、用意周到に仕立てているのならば逆恨みである。リャンは恨まれる筋合いがないと、感情を剥き出しに憤慨していた。しかし今の発言は、殺された平松への恨み節とも聞こえる。


「リャンさん、落ち着いてください。それでは、ますます追い込まれます」

「だって狩野助様、僕は砲術指南役を引き受けたせいで、故郷にも帰れず長崎に滞在を余儀なくされています。ヒノモトには父から引継いだ家業だけでなく、鉄管の暗号や青図百選の解読に必要な知識を身に着けるために、ヒノモト独自の技術に触れる目的もあったのにです」


「ヒノモト独自の技術に触れる」

「当家が貿易相手国を訪れる理由は、青図百選の解読にあります。狩野助様が鉄管の暗号を解読したように、青図に描かれた薬品や工作物を作り上げるには、国の技術だけに頼って作れません。当家にとって火縄銃貿易は、むしろ青図百選の解読ついでだと言えます」


「そうだったのですね」


 狩野助は以前、リャンが全国を旅してヒノモトの技術を知れば、青図に描かれた工作物を作れるかもしれないと申し出たのを思い出した。狩野助はあのとき、リャンには役目ががあるので手形を発布できないと聞き流したが、それが本心だったのかと思った。


「兄様、(あさ)()(かん)()様がお訪ねですわ」


 玄関の方が騒がしくなると、リズが血相変えて部屋に戻ってきた。どうやら頭巾で人相を隠した家老の浅田が、事件のあらましを聞いて駆けつけた様子である。


()(じょう)(だい)が何故このようなときに……、いや、このようなときだからこそ訪ねてきたのか」


 浅田貫治は、狩野助たち守護方を統括する城代だった。長崎を警護する城代を務める浅田は、リャンに砲術指南役を申し付けた家老でもある。長崎領内での火縄銃を使用した殺人事件であれば、先ずは火縄銃の商人であるリャンに事情を伺いにきたのだろう。


「狩野助、面を上げろ」

「はい」


 部屋に通された浅田は、畏まって頭を下げた狩野助を前にして頭巾を取る。それから彼は鍵の壊された木棚を一瞥すると、リャンに火縄銃の管理が甘いと叱責した。

 狩野助から現状を確認した浅田は、苦い表情でリャンとリズを見るが、それ以上は彼らを責める様子はなかった。幼かった兄妹に長崎に留まるように無理強いして、砲術指南役まで押し付けたのは浅田なのだから、面倒事に巻き込まれても強く咎めようがない。


「リャンさんには、平松を襲う訳合いがないと考えています。彼は砲術指南役を重荷と考えていれば、平松の不平不満を(さし)()いていました。立場に未練がなければ、わざわざ自ら災いの種を蒔くと思えません」


 狩野助は、リャンが恨み節を口にしたことを差引いて報告すると、そもそもリャンが指南役を鼻にかけていなければ、平松という徒組頭の一人相撲であり、浅田が抜擢したリャンには落ち度がなかった。


「そうか、彼は無実なのだな」

「はい、そのように考えています」


 狩野助は結論を急かされると、顔を伏せて困った顔をした。リャンが無罪だと太鼓判を押す訳合いは、彼が万が一にも国人を射殺していれば、城代の浅田の顔が立たないからだ。


「では狩野助は、この後始末どうつけるつもりだ。彼が指南役を降りたいのならば、決着は如何(いか)(よう)にもなろう」


 一方リャンを無罪放免だと決めつければ、血気盛んな門弟たちも嵩木の抑えが効かなくなり、宮ノ前事件の再来という最悪の事態が考えられる。


「如何様にと申しますと」

「表に集まっている連中は、何かしら決着せねば散会しなかろう。ここの火縄銃で人殺しされたのだから、ほとぼりが冷めるまで所払いで、リャン殿を長崎から遠ざける」


 浅田は眼光鋭くリャンを見据えると、管理不行き届きを理由にして、砲術指南役を解任すると提案した。砲術指南役が足枷になって長崎に留まらざるを得なかったリャンは、そもそも大役を重荷に感じているのだから、多少の不服はあるものの、浅田の申し出を断る訳合いがない。

 それに目上の平松が、異国の若輩者を師事しなければならなかった無念を思うと、彼と正面から向き合わなかった自責の念もあった。


「わかりました。僕は、指南役の解任を受け入れます」

「兄様は悪くないのに、簡単に納得しては駄目ですわ」


「リズ、僕は納得してないけれど理解できる。砲術指南役だって、教会の立場を理解して引き受けたので、全て納得していたわけではないのですよ」

「本当に?」


「はい」


 下働きが門扉の前で、外に集まっている嵩木たちと押し問答を始めたのは、リャンが砲術指南役の解任を受け入れたときだった。どうやら嵩木を先頭にした一団の一人が、火縄銃を一挺携えて戻ってきたらしい。彼らが大声で狩野助を呼びつけるので、頭巾を被り直した浅田は『狩野助、こちらに』と、彼を廊下に呼び出した。


「どうなされました?」

「外の連中には、お前からリャンの処遇を説明して穏便に済ませ」


「はい」

「それから気掛かりなのは、お前から聞いた青図百選のことだ。青図の工作物が火縄銃より脅威となるならば、それを我々も入手したいと考えておる」


 浅田は声を殺すと、リャンが屋敷に持ち込んだ青図百選の工作物に興味があり、その内容を狩野助に探らせようとした。


「あれは、役立たずの図面だと報告しました」

「いいや。外法の錬金術師とやらは、既にヒノモトに火縄銃以上の武器を持ち込んでおる。九鬼水軍は一里(約3㌖)離れた小早川水軍の軍艦を粉微塵したが、ヒノモトの錬金術師が与えた焙烙火矢だという」


「一里離れた敵に命中する艦載砲など、眉唾ではりませんか」


 狩野助が興味本位で近付いた錬金術を記した青図百選だが、リャン以外の錬金術師がいて、既にヒノモトの戦場では、錬金術を用いた兵器が使用されているらしい。浅田は立場上、リャンを脅して青図百選を奪うことが出来なければ、彼が心を許しているだろう狩野助に、それを掠め取らせようとした。


「青図百選に描かれた図面が眉唾物ならば、それでも良い」

「わかりました……、そのように手配いたしましょう」


 狩野助の気性を知っていた浅田は、不本意な役目を押し付けたことを詫びると、裏口に回って姿を消した。


「浅田様とは、何の話ですか」

「事後処理を頼まれました」


 部屋に戻った狩野助は、浅田に呼び出された訳合いリャンに問われると、後処理を頼まれただけと、彼に嘘をついた。


「リャンさんとリズさんは、ここで堪えて下さい。表の対応は、私が引き受けましょう」

「狩野助様、ありがとうございます」


 リャンは、外に向かう狩野助に礼を述べたが本心ではなかった。平松を撃った犯人が、川の向こう岸に引き金を引いたのであれば、自分以外にそんな芸当が出来るのは、射手の名人である狩野助を置いていなかったからである。


「狩野助、こいつが中島川に捨ててあったのを手の者が見つけてきた。犯人が平松を撃った後、川に投げて沈めたのだろう」


 嵩木から犯行に使われたと思しき火縄銃受け取った狩野助は、随分と都合の良い話だと思う。平松を撃ったであろう火縄銃が、リャンの潜んでいた中島川の畔で見つかれば、彼は言い逃れできないからだ。


「嵩木、追求は守護方の領分です。これ以上踏み込めば、痛くない腹を探られます」

「先ほど浅田様が屋敷を訪ねたのは、そういう訳合いなのか。守護方は、上役の意向を汲んで幕引きしたな」


「嵩木、そのような物言いは止さないか」


 嵩木は小賢しげに背を向けると、集まっている者を追返すように両手を煽った。嵩木は、守護統括の城代が出張ってきたので、必要以上に関わらないのが得策と理解した。

 リャンが砲術指南役を解任されたのは数日のうち、火縄銃の管理不行き届きを理由にすれば、平松殺しの下手人は見つからず仕舞いである。リャン本人の意向もあって、教会が守護統括の浅田に抗議することがなければ、平松が何故に火縄銃を手に殺されたのかも有耶無耶になった。この件を深く追求しても、川向うの平松を狙撃できる砲術師は、リャンと狩野助しかいないとの証言があれば、捜査打切りの決着で、双方の利害が一致したのであろう。


「リャンさんが長崎に戻るまでは、私が屋敷とリズさんの面倒を見ましょう。堺まで往復して戻る頃には、ほとぼりが冷めるでしょう」

「僕は、狩野助様に頭を下げるべきですか」


「リャンさんは、私の犯行をお疑いですね」

「狩野助様が犯人なら、大切な妹を預けたりしません」


 リャンは実質の長崎所払いとなり、奇しく商人の集まる堺までの手形を発布された。しかしリャンが戦局を大きく揺るがす火縄銃の商人であれば、リズの身分は守護の狩野助預かりで長崎に足止めされた。

 リャンが旅することで青図百選の解読が進めば、大村方に有益ではあるとしても、錬金術で作る薬品や工作物を独占が出来なければ無意味であり、剰え敵方に持ち込まれては危険である。


「兄様、いつ頃戻られますの?」

「次の桜が舞うまでには、長崎に戻れますよ。それまでは茶屋通いを控えて、狩野助様の家で大人しくしていなさい」


 リャンはリズの頭に手を置くと、妹の身分が人質だと知らせず平静を装った。狩野助は『お任せください』と、決まりの悪い顔で頭を下げる。


「シノさん、兄様のお世話を宜しくですわ」

「堺までは、私のお庭です。お兄さんは、私が無事に戻しますね」


 リズが頭を下げたのは、狩野助の腹違いの妹であるシノだった。市女嵩を被ったシノは、狩野助が道中で不便がないようにと、一人旅の彼に同行するように声をかけた妹の一人であり、年頃は十代後半の妙齢である。


「リャンさん、シノは堺の出身で道案内も出来るし、こう見えて男勝りに武芸を嗜んでいます。それにシノは姉妹の中でも、とびきりの器量良しです」

「器量良しは、道中に関係がありますか」


「そこは、私の配慮です」

「何のための配慮なんですか」


 狩野助は『シノは生娘です』と、不貞腐れた態度のリャンに耳打ちした。赤面したリャンは、リズとの世間話に口元隠して笑うシノを見つめながら、狩野助に顔を寄せて『それは重要ですね』と言うので、少し機嫌が治ったようである。


「私に留守を任せて、存分に見聞を広めてください」


 狩野助は、シノを伴って堺に旅立つリャンの背中を押して送り出すのだが、彼の性格にして似つかわしくない。狩野助が努めて明るく振舞うのは、リャンだけに罪を着せて手仕舞いにした気不味さにあった。だから狩野助は、リャンとシノが視界から消えると、リズに背を向けて親指の爪を噛んだ。


「リャンさんが戻るまでには、平松殺しの下手人を捕らえてみせましょう」

「狩野助様は、兄様が無実だと信じているのですね。でも皆さんは、処遇を受け入れた兄様が犯人だと決めつけていますわ」


 リズだって大村方や教会が事件の解決を急いだ結果、リャンの長崎所払いで手を打ったと心得ている。重要なのは一介の商人の名誉を守ることより、宮ノ前事件の再来を防ぐことにあった。


「リャンさんの一方(ただかた)ならぬ好意に報いるには、無罪を証明しても足りないくらいです」

「好意とはなんなんですの?」


 何も答えなかった狩野助は、その場に残り名残惜しんでいるリズを置いて歩き始める。狩野助は暫くして振り返ると、両手の指を組んで兄の旅路の無事を祈るリズの背中を見つめて、込み上げる罪悪感に胸を鷲掴んだ。


「私は友人の無罪放免より、長崎の治安維持を優先しました。それに人質を取るような真似で、彼から青図百選の秘術を掠め取ろうとも企んでいます。リャンさんは全て理解して、それでも私の立場を慮って口に出さずに旅立った。私は本来、彼に見損なわれても仕方のない卑怯者なのです」


 狩野助は、後味の悪さを独り言ちる。彼が堺に同行させたシノは、青図百選の解明を果たしたリャンが、錬金術の秘術を独占したり敵方に渡したりせぬように、監視させるために紹介した。青図百選は、もともとリャンが代々受継いだ物なのに、その横取りを企んだ狩野助自身も、手元を離れる青図百選に魅了されている。そんな狩野助の企みを露程も知らなかったリャンは、物腰の柔らかいシノの同伴を許してしまった。


 リャンとシノの青図百選の謎を解く旅は、こうして始まったのである。

次回から第二章になります。


同作品は、既に完結まで書き上げております。

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