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鉄砲斎  作者: 梔虚月
第一章 長崎所払い
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凶弾

 4 凶弾


 長崎港は龍造寺隆信との攻防から要塞化を強めており、イエズス会の教会領となって以来、それがますます顕著になっている。ただ宣教師たちの目的が布教であれば、彼らの興味は新たな教会領である茂木町や内陸にあり、長崎港の整備は専ら随行した商人や職人、戦を生業として大陸から連れて来られた軍人だった。


「リズちゃんは、どうしてヒノモトに来たの?」


 ポルトガル商船が停泊する港には、船の漕ぎ手や下働きが一服する茶屋がある。港の茶屋には、リズによるところ茶菓子作りに精を出す(あき)()という件の娘がいた。明江は器量だけでなく気立ても良く、彼女を口説くために通い詰める客も多い。だからであろうか、明江は純然と茶菓子を目当てに通ってくれるリズに好感を覚えていた。


「どうして?」


 リズは咥えていた三色団子を横にして串を抜くと、丸盆を胸で抱いた明江に聞返した。貿易港の長崎であっても時代が時代であれば、危険を伴う船旅で異国を訪れる子供には物珍しさがある。


「長崎港に来航した異人さんには何かしら目的があるけれど、リズちゃんは子供だし、女の子だから修道士ではないでしょう。お姉さんは、リズちゃんに興味あるんだな」


 明江はリズの二つ年上、リャンと同い年であれば『お姉さん』などと目上を気取っているが、目鼻立ちにあどけなさが残っており、鼻にかかった声も幼かった。


「明江が知りたいのは、私の渡航目的ですわね」

「うん」


 明江に真っ直ぐ見られたリズは、気恥ずかしさで視線を逸した。なぜなら彼女は家族に連れられてポルトガル商船に乗船したものの、船内や屋敷では家業や家事の手伝いをするわけでもなく、今は日がな一日を街歩きで費やしている。ヒノモトの国人からすれば五体満足でありながら、目的もなく街歩きに興じることが思い浮かばないのだろう。


「見聞を広めるためかしら」

「何のために」

「何のために」


 リズは踵返しに繰返すと、明江が執拗に知りたがっているのは、要するに自分が何者であるかだと察知した。そうであれば彼女には、長崎に渡航したさしたる訳合いがないのだから答えに窮してしまう。しかし強いて答えるならば−−


「明江の茶菓子を毎日食べて、その美味しさを世間に広めるためですわ。私は、そのために長崎にやってきたのです」

「えーっ、私の茶菓子を食べるために、わざわざヒノモトにきたんですか」


「はい。この味は、一見に値します」

「そんなあ、そうですか、そうなんだあ、リズちゃんは、私の茶菓子を食べるために異国の地にきたんですね」


 明江が照れくさそうに丸盆で顔を隠して腰をくねらせると、思わぬ反応に困惑したリズは『嘘は言ってませんよ』と、聞こえぬ声で呟いた。


 その刹那、ドンッ、ドンッ、と二発の銃声が間髪を入れず長崎港に鳴り響いた。


「兄様ッ!」


 リズは聴き慣れた銃声にリャンの顔が脳裏を過ると、思わず声に出して叫んでしまった。なぜなら砲術指南役の兄は近頃、門弟に命を狙われたらしく、外出するリズにも注意を促していたからだ。


「な、なんですか」

「今のは、火縄銃の銃声ですわ」


「町中で?」

「兄様の指南所は休業ですし、銃声は明らかに近いです」


 茶屋にいる客は、銃声の方を探るリズの行動に注目しており、港の人足も手を止めて静まり返っている。戦ならば龍造寺軍が海から攻め入った様子、街道を中心街まで侵攻された様子もなかった。


「河口ですわね。私は気にかかるので、ちょっと見てきます」

「リズちゃんっ、気をつけてね」


「はい」


 リズが前に置かれた縁台を飛び越えると、中島川の畔から駆けつけた男が『人殺しだ! 人殺しだぞ!』と、叫んだので他の客も野次馬しようと彼女に続いた。長崎で火縄銃を使って殺人が起きたとすれば、犯行にリャンが長崎に持ち込んだ火縄銃が使用された可能性が高く、犯行現場付近に関係者がいれば疑われるのが必定である。

 息急くリズには被害もなく、無罪を証明する者がいるものの、そこに被害者であれ容疑者であれ、リャンや指南所の門弟がいれば厄介だ。


「はあ、はあ……、兄様なら大丈夫ですわ」


 リズが現場の人だかりに到着すると、背伸びして砂利道に横たわる被害者を確認した。ピクリとも動かない被害者は、知らせに走った男が人殺しだと言うのだから死んでいるのだろう。顔は反対に向いているが黒髪の総髪であれば、一先ずリャンでないのは一目瞭然だった。


「リズちゃん、撃たれた人は亡くなっているの?」


 店を任せて追いかけてきた明江は、人垣から覗く被害者の足元を見ている。


「そうみたいですわ」

「お兄さんは」


「被害者は、兄様ではありませんわ。よく考えたら、早撃ちの兄様が火縄銃で遅れを取って殺られるはずがありませんわ。兄様なら敵に撃たせる前に−−」


 リズは川向うに立去る人影を見て、それが見覚えのある浪人笠の男だったので言葉を飲んだ。洋服を和物の羽織りで誤魔化したリャンは、いつも目立つ金髪碧眼を浪人笠で隠して外出している。


「リズさん、道を通してもらえますか」

「は、はい」


 リズの肩を除けて通り過ぎたのは、守護方でもあった狩野助である。狩野助は詰掛ける群衆を掻き分けると、リズに背を向けていた遺体を仰向けにする。中島川の畔で事切れていた男は、リャンの指南所に通っている徒組頭の平松だった。

 リズは『どうして平松様を』と、苦悶の表情で死んでいる見知った顔に思わず呟いた。狩野助はリズの言い草に違和感があったものの、訳合いを問う前に検屍を急いだ。


「背中に傷がなければ、平松殿は正面から殺られている」


 背を丸めた平松の遺体は火縄銃を抱えたまま、中島川に足を向けて倒れており、着物に付着している血痕や、砂利道に残る血溜まりを見れば、彼は川の方から心臓を撃ち抜かれて失血死したと思われた。狩野助が遺体の共衿を肌けると、凶弾は膻中の下にある胸骨を砕いており、射創の具合は溢れ出した血で無残である。


「平松殿が下手人と正面から撃ち合ったとして、どちらが先に引き金を引いたのか。そもそも彼は指南所から火縄銃を持ち出して、いったい何をやっていた」


 狩野助は硝煙の匂いを嗅ぐと、二発の銃声のうち一発が殺された平松の火縄銃から轟いたと見抜いた。問題は白昼堂々と狼藉を働いたのが、平松を射殺した犯人なのか、指南所で保管している火縄銃を抱えていた平松なのか。撃たれた彼も引き金を引いていれば、単純に被害者と決めつけられない。平松が誰かを狙って、その者に返り討ちにされた可能性もある。


「下手人は、ともかく向う岸か」


 狩野助がそちらに視線を向ければ、中島川の遠く先に長崎港の茶屋が見えた。リズと明江が現場に駆けつけた茶屋があるものの、平松の腕前でそんな遠くを狙うはずがない。然るに彼の狙いは、その手前にいた人物と考えられる。


「リズさんの素振りは、そういうことか」


 茶屋の手前にある植込みには、いつもリズを気に留めるリャンが身を潜めていた。表情を強張らせた狩野助は、それとなく平松に不穏な行動があり、嵩木から忠告があったと聞かされている。よもや平松が実行しようとは思わなかったが、リャンを指南所から尾行した平松が火縄銃を構えたとき、一足先に引き金を引いた名人に返り討ちにされたと考えれば辻褄が合う。


 いいや、しかし川幅は百五十〜百六十尺(約50㍍)、治水用の土手から川向うの植込みまでは倍以上(100㍍以上)ある。現場から植込みまでは相当の距離があるので、名人と言えども正確に膻中を撃ち抜くのは困難だろう。それにリャンは普段、帯刀していなければ火縄銃を携えて出歩くことがない。平松に命を狙われたとしても、今日に限って持参していなければ反撃する手段がない。狩野助は疑念を振り払うように頭上で手を煽ると、物見高く集まった町人に目撃者がいないか尋ねた。


 野次馬の証言で解った当時のあらましは、布で包んだ火縄銃を木陰に隠れて取出した平松が、火縄に着火すると川向うに狙い定めていたらしい。そうであれば平松の殺したい相手が川向うにいて、やはり返り討ちにされたと考えるのが定石である。


「狩野助様は、兄様を疑っています。でも兄様は火縄銃を持ち歩きませんし、犯人と違いますわ」

「リズさん、私は彼を疑ってなどいません。ただ状況を見れば、リャンさんが厄介な立場なのは確かです」


「なぜですか」

「私は、彼ほどの砲術師を他に知りません。事件が知れ渡れば、リャンさんを疑う者は多いでしょう。それに−−」


「それに? なんなんですの」

「リャンさんは今日、茶屋近くにいましたね」


「ええ……、でも兄様は火縄銃を持っていませんでした。それに兄様は、平松様に狙われても反撃しないと思いますわ」

「リズさんは『どうして平松様を』と、犯行に心当たりがある様子です。リャンさんと事件が無関係ならば、事情を問うような言葉を口走らないでしょう」


「狩野助様は、宮ノ前事件をご存じですね」

「商取引のいざこざで、ポルトガル商人が平戸の領民と殺し合った事変です」


「兄様は、それを警戒していました。ゆえに兄様は、平松様に銃口を向けられても反撃しないと言っていましたわ」

「なるほど」


 狩野助は得心した顔で頷くと、後から集まった同心と与力に現場での状況を引継いだ。彼は兎にも角にもリズを屋敷に送り届けて、何かしら事件に関わっているだろう現場から立ち去ったリャンの聴取に向かうことにした。

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