戯言
3 戯言
雨の日が増えた長崎は今、人も器も異国のそれに取って代わられている最中であれば、リャンの屋敷に集まっている平松たち下級武士は、ますます肩身の狭さを感じていた。
「平松殿、雨が降り止まなければ今日の稽古も中止でしょうか」
「俺に聞くな。ここでは一兵卒だ」
石崎に問われた平松は、火縄銃の手入れをしながらうんざりした顔で答える。彼らは、長崎港を見下ろす軒先のある座敷で、車座になって腰を下ろしていた。小屋になっている射場であれば、小雨で火縄が消えることがないものの、リャンが万が一にも火縄銃や火薬を濡らしたくないと、雨が降り止むまで待機を命じている。
「俺たちを屋敷に呼び集めて席を立つとは、小僧のやつ小馬鹿にしておる」
「リャンは、我々と同室だと居心地が悪いのでしょう。平松殿は覇気に満ちて、軟弱者に手厳しいですからな」
石崎は揉み手で、徒組頭である平松に媚びていた。平松の直属だった石崎は、何かあれば自分の上司を焚き付けている。
「戦場が晴天ばかりとは限らんのに、雨が続けば稽古をつけんのだから、火縄銃は脆弱にして、指南役は惰弱ときている」
集まっている下級武士はリャンを若輩と見下しているが、口火を切るのは、いつも平松と石崎の二人と相場が決まっていた。
「我らの腕前も上がっていれば、そうそう愚痴を零すことはあるまい。この国は優れた人材や物取り込むことで、大きく発展しているんだ」
「嵩木は、小僧の肩を持つのか」
嵩木というのは平松と同じ徒組頭の男であり、砲術指南所には狩野助の紹介で入所した。嵩木が家老筋の二男であれば、平松のような足軽の叩き上げからすれば、鼻持ちならない氏族の末席に座る男である。それでも二人が同じ徒組頭の身分であれば、嵩木は年長の顔を立てるし、平松も臆する相手ではなかった。
「いいや、俺は道理を言っている」
「道理とはなんだ」
「貴殿にとって納得いかない現状でも、長崎はポルトガル商人との南蛮貿易で実利を得ている。ましてリャン殿の腕前が鈍らならいざ知らず、実力で劣るものでなければ繰り言は見苦しい」
「嵩木、俺は見苦しいか」
「俺も現状に納得していないが、少なくとも口に出さない」
「お前みたいな聞き分けの良い男が氏族のせいで、俺たち兵卒が追いやられている。ここにいる大勢は、その道理とやらに家や財産を召し上げられた者も多いんだ」
平松は手入れしていた火縄銃を水平に構えると、正面に座っている嵩木を狙って引き金を聞いた。火ばさみがカチツ、と音を立てて火皿を叩くが、火縄銃には火薬も弾丸も仕込まれていない。
「俺に何ができるものか」
銃口を向けられた嵩木は、空砲と解っていても額から汗が流れる。平松たちは南蛮貿易の恩恵を甘受することより、領主である大村純忠が横瀬浦、長崎に続いて茂木町までイエズス会に寄進したことに不満がある。しかし嵩木が彼らの心情を理解したところで、一介の徒組頭が領主に意見具申すれば切腹を申し浸かるのがオチだった。
「長崎で事が起これば、平戸の二の舞を演じるかもしれない」
平松は長崎港に停泊する船、すれ違う町民の顔ぶれ、異国情緒漂う街並みを思い返して呟いた。キリシタン大名である純忠は、家臣や領民にキリスト教への改宗を強いていれば、平松たちにも帯刀する得物の修練より肩に背負った火縄銃の鍛練を強要している。狩野助は時代が変わったと言うものの、平松には古きものを切り捨てるやり口が割り切れなかった。
「平松、滅多なことを言うな。長崎はイエズス会の教会領で、領民のほとんどがキリシタンに改宗している。親方様と神父の不仲もなければ、ポルトガル商人との刃傷沙汰で貿易港を失った平戸とは状況が違う」
嵩木もリャンに火縄銃を習う下級武士であれば、異人の若造に師事しなければならない現状に不甲斐なさを感じている。しかし独り言ちる平松の言葉が指し示すのが、ポルトガル商人と町民の諍いで貿易港を失った乱闘騒ぎであれば聞き捨てならなかった。
「そうだな。ポルトガル商人は神父に逆らわないし、純忠様が宣教師と蜜月であれば南蛮貿易の利権は磐石だ。それに長崎がバテレンの教会領なら、つまらんいざこざで殺し合う訳合いもない」
「わかっているのなら口を慎め」
「いいや、だからこそ確かめねばならんこともあろう」
「確かめるとは何のことだ?」
イエズス会の教会領となった横瀬浦や長崎では、寺社仏閣が取り壊されて洋式建築の商館や教会に置き換えられており、改宗に応じない者は処刑や奴隷貿易の商品として異国に売り飛ばされている。
領主の純忠が徹底している理由は、南蛮貿易の中心として栄えていた平戸が、キリスト教を邪宗門とする仏門一派を抑えきれず、七郎宮で起きたポルトガル商人と町民の間で起きた刃傷沙汰事件、俗にいう『宮ノ前事件』と同じ轍を踏まないためだった。
「平戸では、ポルトガル商人が取引をめぐる口論で町民と武装衝突して事態を悪化させた。然るに長崎では、宣教師を取り込むことで商人の頭を抑えるつもりだろう」
「そのとおりだ。長崎の安全保障は、宣教師の布教活動に協力すればこそだ。お前には隷属と映るだろうが、彼らとの協力関係で長崎が受けられる恩恵は図りしれない」
「だから俺は、なおさら試してみたくなる。神父の目的が布教であれば、ポルトガル商人との諍いに目を瞑ろうだろうか」
「平松、いい加減にしろ」
嵩木は、口が過ぎる平松を睨んで諌めたものの、彼は語気を強めて話を続けた。
「俺たちは龍造寺の一件で茂木町を教会領に差し出したのだから、共存共栄が単なる建前なのか確かめたいと思わんか。次に海賊どもが長崎港に攻め入ったとき、備前国の全領地を差出せと言われてからでは手遅れだ」
立ち上がった平松は、火縄銃の銃身を肩に担いだ。それから平松を見上げる者を見渡すと、声を潜めて良からぬことを話した。
「平戸の松浦党は存外、キリシタン排斥の機運を利用して、上手く遣って退けたのかもしれない」
部屋に集っていた者は顔を見合わせて、平松の言い放った戯言にざわついた。南蛮貿易で栄えていた平戸の松浦党には、ポルトガル商人を排斥する訳合いがないからだ。ポルトガル商人と町人の武力衝突により、外国勢力が平戸から立ち去ったのは結果論でしかない。
「お前は、長崎で宮ノ前事件を再現しようと言うのか」
「共存共栄が本物か、それとも口ばかりの約束なのか。結果はどうあれ、事が起これば武士の誇りが守れる。何もせずに手を拱いていれば領地ばかりか、俺たちの身分まで金髪の小僧たちに寄進されちまうぞ」
「まさかリャンのことを−−」
「俺は、備前国が異国の属領に成りかねないと憂慮しておる。小僧と引換えに繁栄の証が得られるならば、国を憂う武士の本懐を遂げるのも良かろう」
平松は火縄銃を撫でると、意味深長に笑ってみせた。
「そんな安い矜持を語る者は、武士の風上にも置けない。俺は貴殿の話を聞かなかったことにする。他の者も他言無用に」
呆れた嵩木は、締まりのない表情で謀反を企む同輩の平松に吐き捨てると、彼らを残して一人部屋を出た。嵩木は廊下の突き当りまで来ると立ち止まり、明り取り窓から山の方を眺めると、拳を顎に当てて混乱する頭を冷やしている。
宮ノ前事件では多勢に無勢だったボルトガル人に対して、町人たちが挑発したことで血で血を洗う抗争に発展した。平戸では宣教師の布教活動に業を煮やした仏門一派が、キリスト教を邪宗門として排斥運動を計画していれば、長崎が先んじて神仏排斥してキリスト教に励行することで、安定的な南蛮貿易の利権を確保したのは理にかなっている。
それでも理屈は理屈であり、平松のように領地を召し上げられて閑職に追いやられると、キリシタンとの宥和政策に不満を募らせる者がいる。
「平松は、リャンを犠牲にしてバテレンの真意を探るつもりだな。それに外国勢力が商人の死で平戸を引き払った宮ノ前事件の再来が叶わなくとも、生意気な若輩者は亡き者にできる−−。平松の考えは、そんなところだろう」
領民六万人が既にキリシタンに改宗していれば、目ぼしい寺社仏閣が全て取り壊されている。宣教師が、ポルトガル商人であるリャンの命と引換えに、それら全てを手放すと思えない。しかし平松は『上手く遣って退けた』と、恰も外国勢力の排斥が松浦党の目的だったと言わんばかりだ。
「しかし勝算はあるのか」
嵩木は、不用意な発言で我に返る。平松の勝ち目を探るのは、胸中に少なからず不満を抱えているからだ。問題は、不満が何処に向けられているのか。平松が宮ノ前事件の再来を望むのならば、長崎を戦火に陥れて外国勢力を追放する蛮行だが、領主の意向が宥和政策であれば総決起を望むべくもない。であれば、単なる憂さ晴らしだ。
「気晴らしならば、俺が付き合う必要のない話だ」
総髪を後ろに撫でた嵩木は、部屋に戻り平松を説得しようとした。
「嵩木様、雨が上がりましたね」
薄暗い中廊下の突き当り、リャンの金髪が窓からの陽射しを浴びて輝いている。リャンがいつからそこにいたのかと、嵩木は固唾を飲み込んだ。
「まだ港の方は雲が垂れ込めているが、稲佐山は晴れています。今から稽古を始めるなら、俺が一足先に伝えてこよう」
木は天気を確かめていた体裁で振返り、愛想笑いでリャンの顔色を窺った。常に諂い顔のリャンの腹の内は、これとして探るのが難しい。しかし先程の独言を聞いているならば、体面を保って笑みを浮かべる状況ではない。
「今日は足元も悪いし、座学にしましょう」
「座学ですか」
ここでの話を聞かれた様子はなかったものの、声の大きい平松が部屋で語った妄言を聞かれなかったと断言できない。嵩木はリャンと向き合った。
「嵩木様、火縄銃は遠方の敵を狙撃する火器ですが、狙いの的を正確に射撃するなら50メートルがせいぜいです。うちの射場は的場まで15メートルなので3倍の距離ですね。それに弾丸は放物線を描くので、遠方の敵に目当で見当をつけても当たりません。動いている敵ならば、尚更当てるのが難しい」
リャンは真顔になって答える。座学の内容を答えたのか、それとも平松の企む闇討ちを牽制しているのか。嵩木は、リャンが意図的に本筋を逸らしていると思った。
「では斬りかかる方が手っ取り早い」
「ヒノモトの剣術は大したものですが、刀は上手くない手段だと思います」
「刀では上手くない……、その訳合いを聞かせてもらおう」
「逆もまた然りとしても、商船が持ち込んだ火縄銃を使わなければ、平戸領の町人が凶弾に倒れた宮ノ前事件の再現になりません」
「存じていたのか」
「ええ、僕は耳が良いんですよ。屋敷での謀は、隅々聞こえています」
平松の策謀は、リャンに聞かれていたらしい。嵩木は、それでも良いと思った。本人が知り得ていれば手立てを講じるだろうし、平松に伝えれば強行せず未遂で終わる公算が高いからだ。それに平松は当事者の邸宅で騒ぐのだから、いつもの軽口だと笑い話で誤魔化すこともできる。
「平松には、俺から注意しておく」
「よろしくお願いします」
リャンは後ろ頭を手で掻きあげると、いつも通りに作り笑いで場を和ませた。ただし続く言葉には棘があり、嵩木は彼の苛つきを強く感じた。
「彼の銃口が、リズに向けられなくて良かったです。僕なら鼻が効くので、敵が間合いに入れば火縄の匂いを嗅ぎ当てられますからね」
リャンは平松の有効射程距離を低く見積もっており、その程度の射程であれば当たらないと嫌味を言っている。彼の言い分が正しければ、平松は近付かなければ弾が当てられないし、間合いに入れば気配を察知できるらしい。
物腰の柔らかいリャンを知れば知るほど失念するが、先の戦で多くの戦果を上げていれば、大村家の老中から砲術指南役に申し付かっている。また幼くして人殺しの武器を売り捌く商人であり、狩野助曰く砲術の技芸は達人である。
嵩木は平松が彼の妹を狙っていたなら、容赦なく返り討ちにする気骨も感じた。長崎は既に異国の勢力圏にあり、リャンを年頃や容姿で侮れば、下級武士を一人くらい始末するのは訳無いだろう。長崎は外交上でヒノモトであっても治外法権、そう考えれば背筋が凍りつく。
「リャン、平松の戯言は穏便に済ませてくれ」
「僕も面倒事は御免です」
先ずは平松の偽計が本人に知れ渡ったのだから、計画は頓挫したと思われた。しかし二発の銃声とともに火縄銃を抱えた一人の遺体が、長崎港に程近い中島川の畔で見つかると、事態が思わしくない方向に動き出すのだった。