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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

湿風陣雷 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 よーし、気象に関しての授業は、だいたいこれで完了だ。なにか質問ないかい?


 ――どうして世界には、風があるんですか?


 おいおい、前の授業あたりで話した気がするんだが?

 でも、質問にきてくれたことはえらいぞ。それじゃ、もう一度説明しようか。

 

 風が吹くのには、気圧が大きく関係している。

 気圧とは、空気が相手を押す力だと思えばいい。空気は常に隣同士押し合いを繰り広げているんだ。おしくらまんじゅう状態だな。

 その一方が強まればどうなるか。まんじゅうが破れてあんこが出てくるように、強い力が弱い力の方へ空気が流れていき、その動きが風となって現れる。

 力が強いと「気圧が高い」。力が弱いと「気圧が低い」。だから低気圧のところには空気が集まり、逃げ場を求めて空高くへのぼる。そして雲となり、雨を降らせるって寸法だ。

 

 専門家でもない限り、普段の生活で風の仕組みまで気を付ける人はいないだろう。せいぜいが、「強いかな、弱いかな」程度だ。先生だってこうして授業で教えるとき以外は、ぜんぜん気にしていない。

 でも一時期、風についてえらく警戒していたことがあってね。ちょっと脱線するけど、そのときの話を、聞いてみてくれないかい?

 

 

 晴れ男、雨男というのが本当に存在するならば、先生はいわば風男だった。

 先生が外出すると、その行く手はたいてい風がつきまとう。通学するときはもちろん、公共の交通機関を使うときから、すぐ近くの公園まで行くときまでだ。あまりに強く吹いたときには、電車が橋を通過するのをためらって、遅れをともなうほど。

 先生自身も、風をうっとおしく思っていてね。暑い日以外はぜんぜん歓迎できず、どうにかならないものかと、悩んでいたんだ。


 この先生と一緒にいる風というのが、また曲者でね。ときおり、ものすごく湿っていることがあるんだ。

 霧雨って、みんな分かるかな? 名前の通り、霧のような細かい雨のことを指し、あまり雨に降られた意識を持てないまま、全身がしとどに濡れていく。そんな不思議な感覚がする天気だ。

 先生の場合はそれが風だから、たまったものじゃない。はためくのを押さえた服は、その端から、しぼることができるほどに濡れていく。髪の毛は大いに逆立ったまま、思い切り濡れて固定され、さながらナチュラルヘアワックスを食らったかのよう。

 登校途中に食らったりすると最悪で、学校に着くころにはパイナップルヘアのできあがり。笑われないためにも、トイレにこもってブラッシングをする羽目になる。



 みんなも同じ目に遭っているのなら、多少は我慢しようと先生も思っていた。

 だが、友達と数人連れ立って遊びにいったときに、疑念は確信に変わる。どうもこの風で濡れていくのは、先生オンリーのようなのだと。

 周りを友達に囲まれるように歩いたとき、友達は風の吹くのをただ受け止めるばかりだが、先生は違う。囲むみんなのすき間を抜けて、服や顔がじんわりと湿ってくるんだ。

 先生はさほど汗っかきではないし、その日は気温だって高くない。自分だけが汗をかいているなんて、にわかには考えられなかった。


 ――いよいよ、自分は呪われているんじゃなかろうか。


 高校生になるころにもこの状態は変わらず、先生も半ば運命のようなものだとして、あきらめかけていた。



 それに転機が訪れたのは、高校2年生の春。

 当時、先生には付き合い始めたばかりの彼女がいた。同じクラスの転校生で、隣の席になってから、やたらぐいぐい押してくる子でさ。先生自身も彼女いない歴に終止符打ちたかったし、そこそこかわいいしで、何度か一緒に遊びに行った後に、付き合う運びになった。

 だが、この遊びのときも、風はしつこく水を差してきてね。ちょっと外を歩くだけでも、彼女ともども服をおさえるのに必死で、楽しくおしゃべりなぞに、気を回せなかったな。


 ――ん? そんな風が強いなら、ラッキースケベのひとつやふたつなかったのかって?


 あいにく、先生は漫画の主人公ではなかったようでね。自分の世話で精いっぱいだったさ。


 自分だけびしょ濡れになって、入ることになった喫茶店。不思議そうに尋ねてくる彼女に、先生は自分の「風男」としての遍歴を説明したんだ。

「だったら、私が何とかする!」と答えてくれたときには、気持ちだけでもありがたいと思ったね。だが、これまで私が何も対策しなかったと思うかい?

 個人レベルで持てるうちわとか、扇風機のたぐいじゃ焼け石に水だ。それも四方から吹き付けるとくれば、どうにも対応のしようがない。

 悪いが、あまり期待しないで、彼女の報告を待つことにしたんだ。



 半月後。彼女は方法を見つけたという。

 断念したわけでもなさそうで、先生にとっては意外なことこのうえなかった。

 まず限界まで息を吸い込む。腹式呼吸で、深く深く空気を取り込んでいく。

 次に思い切り息を吐きながら、伸びを我慢するかのような格好で胸を張り、全身に力を込める。

 そして最後に、目をかっと見開いて20秒間まばたきせずにらみつけるのだと。


「そうするとね、自分に向かって吹いている風が止まるんだって。でも、個人差があって、場合によっては一秒足らずのこともあるのだとか。

 ダメもとで、試してみない?」


 この最後の段階が一番の曲者だった。まばたきしないことは、だいぶ意識しないと難しい。しかも私はまばたきに対し、まったく我慢がきかない人間。10秒前後で目の周りが痛み出し、耐えられなくなってしまうんだ。

 それに、先にも話したように、私へ吹いてくる風は、わずかながら水分を含んでいる。いわば弱い弱い目つぶしを食らっているのも同然で、ふとした拍子に眼球を直撃して、まぶたを閉じさせてしまう。


 彼女はデート中、辛抱強く付き合ってくれたが、どうしてもうまくいかず。

 それでも一縷いちるの望みをつなぎたい先生は、帰宅した後も、彼女に教わった方法を試していた。

 家の外に出て、裏庭の真ん中へたたずみ、風が比較的弱まる時を狙ってだ。

 止んでいる状態で試みても、効果が出たかわからない。あらかじめ目をつぶって、思い切り耐える力を蓄えた後で、トライを繰り返してみる。


 試し出して、一時間くらいたったろうか。

 あらかじめ、指で目を見開いている私の前で、風の向きが変わった。正面からくるのではなく、横から風をなでる方向へ。

「いける!」と先生は、思い切り気合を入れた。痛さ、むずがゆさを増し、「閉じたい、閉じたい」としきりに訴える目に対し、先生は体をくねらせながら、徹底抗戦の構え。

 ストップウォッチはなかったが、焦っているとカウントは早まってしまうもの。だいたい体感で25か26を数えたあたりで。

 先生に吹き付ける風が、ふっと消えたんだ。


「やった!」と思えたのも、束の間のこと。

 先生の全身が、今度はにわかに熱くなったかと思うと、たちまち視界にオレンジ色のとばりが下りる。じりじりとした熱さはすぐに痛さへ変わり、頭のてっぺんから指先まで、瞬く間に広がっていった。

 たまらず膝をついたところで、またも風が吹き始める。先ほどの遅れを取り戻すかのような、強烈な勢いだ。同時に「ざあっ」と音がするくらいの、大量の水が先生に降りかかってね。オレンジのとばりは消えて、痛みは残るものの、熱さはたちまち引いていく。

 どうにか家の中へ戻った時、先生は自分の服も肌もすっかり焦げ、髪も縮れていることに気がついてね。あのとき、どうやら自分が燃えていたことを、ようやく悟ることができたんだ。


 彼女に心配かけたくないから、ガーゼやばんそうこうで火傷痕を隠したんだけど、やっぱり個所の多さを突っ込まれてさ。やはりというか、押しの強さに負けて、正直に、昨日のことを話したんだ。

 先生は大丈夫だ、気にするなと話したけど、彼女は「自分のせいで大変なことに」って責任を感じちゃってさ。それからお互い、ぎくしゃくし出して別れちゃったんだ。

 大人になったいま、以前よりも頻度は減った。けれどときおり、湿った風が吹いてくるたび、また先生の身体が燃えようとしているのかな、と感じるのさ。

 


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― 新着の感想 ―
[一言] 気圧の話がどことなく彼女との関係にも反映されていて、とても面白かったです! 良かれと思ったことが裏目に出てしまうのは、切ないですね。知らずにいた方が良い事もありますが、何も分らずモヤモヤした…
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