85’.12歳 みんな、焦る
「あ!ディー!いいところに来たわね!」
「メアリーの家の人かな?僕らはまだ歓迎会の準備があるから先に失礼するよ!ではセイガ様とお連れのかたがたも後ほど会おう」
オーギュスト様と私は矢継ぎ早に言うと、ディーの腕をつかんで逃げるように部屋から出ていった。
「ご主人様!またあとでね!」
「セイガ様!異国の令嬢に名を捧げるなんて!」
「またこのパターンなの…いいけど…」
ディーのぼやきとセイガ様の従者があげる悲鳴のような叫び声を聞きながら、私とオーギュスト様は朱菫国ご一行から逃げおおせることができた。
ところ変わって、教会事務所特別室。
主教たちが人に聞かれたくない話をするための会議室だそうで無理を言って貸してもらったそうな。
「きたか。先客が来ているぞ」
迎えてくれたのは懐かしい顔で、さっき儀式のときにもいたけれどこうして面と向かって話すとつい思い出話でもしてしまいそうになった。
「クラウス!久しぶりね!相変わらず仕事しかしてなさそうな顔してるわ」
「あって早々失礼だな…」
「まぁ元気そうで何よりよ」
「きみは一体なにをしたんだ…異国人に連れ去られるなどよほどありえないだろ。幸い誰も気づいていなかったからよかったが…」
「え、誰も気づいてないの?!」
「あぁ。従者のひとりが体調を崩したから様子をみてくるってことにしてほかのふたりにあとを任せてきたんだ」
「そうだったんですね…」
「魔法を授かると気分が悪くなることはあるからな。あまり怪しまれないだろう」
あの状況からそこまで咄嗟に思い付くなんて…。
オーギュスト様の機転に感謝した。
やはりオーギュスト様はすばらしい。
特別室には先にお兄様が到着してた。
眉間に深いシワを刻まれお父様似の気難しい顔をして両腕を固く組むという明らかに機嫌が悪い恰好だ。
比較的お兄様はお母様似の柔和な顔立ちをしているけどこうしているとやはり親子だとかんじてしまう。
「あれ?ルーシーは?」
ディーもお兄様も来ているのにルーシーがいないというのは考えにくい。
教会資料館にいたというならすぐ来るだろうが。
「さっき連絡がついているしすぐに来るはずだよ。ご当主殿もすぐに来るはず」
「あー、はい…」
ルーシーは私の数少ない味方なのだ。
厳しいことを言いつつ長い付き合いが為せる技なのか私の考えを1番よくわかってくれると思う。
ルーシーが来るまでお兄様とオーギュスト様と対峙しなくてはいけないというのは少々心臓にわるい。
とくにお兄様はここ最近でみたことがないくらい怒っている。
穏やかな人が怒ると怖いというが、お兄様は怒っていても隠すタイプなのに全く隠す様子がない。
隠すつもりがないのか、隠す必要が無いのか、隠す余裕がないのか、その全てか…。
兎に角、大人しく座って背筋を伸ばしておいた。
オーギュスト様もお兄様側に座ってしまったので本格的に私の味方がいない。
ルーシー!早く来て!
せめてお父様より早く!
しかし、そんな願いもむなしく、私が着座したと同時にお兄様は先ほどまでの怒り顔をひっこめてにっこりと柔和なび微笑を浮かべた。
「で、メアリー?家を出る前僕はなんて言った?」
「お、お、お、おとなしくしているように…と…」
「うんそうだね。我が妹はとても賢いようだ」
にこにこ。
顔はほほ笑んだまま、指先はトントンと机を叩いている。
「それなのにどうしてこんなことになっているんだい?どういうこと?セイガ殿の真名を知っていた?真名なんて僕ですら知らなかったんだよ?なんでメアリーが知っているんだい?真名まで知っていてそれを目の前で言っちゃうって何を考えているんだ?タイミング悪すぎ。セイガ殿はエスターライリン家に婿入りする方なんだよ?またエスターライリン家と揉め事を起こすつもり?あと言わなくてもわかると思うけど朱菫国は我が家とも関係深いのに今あっちとの関係性は最悪なんだよ?これ以上悪化させて何が起こるかわからないわけないよね?そんなに戦争したいの?」
「仕方ないじゃないですか!真名なんて知らなかったんですから!だいたいそうおっしゃるなら先に言っておいてくれたらいいじゃないですか!」
こういうとき素直に謝れないのが悪役令嬢メアリーたる由縁かもしれない。
今回は明らかにメアリーの落ち度なんだからしょんぼりしてごめんなさいってしたほうがお兄様も大目にみてくれそうなのに。
反射的に言い返してしまった。
「そんなの僕だって知らなかったんだ!言えるわけないだろ!」
「じゃあ言ったってどうにもならないわ!だいたい過ぎたことをとやかく言ったって今さらどうにかなることでもないでしょう!」
「僕だってわかってるさ!でもこんな事態…冷静でいられるわけないだろ!」
「知りませんよ!」
「最近ようやく朱菫国との関係も良くなってきたところだったのに…!!だいたいメアリーはいつもこうだ!もっとよく考えて行動したらどうなんだい!?」
「考える間もなく色々起きちゃうんだから仕方ないじゃなですか!」
「セイガ殿の真名を知っていた上に拉致なんて一体どうしたらそんなことになるんだよ?!」
「こっちが聞きたいくらいです!私だってよくわからないまま連れ去られて命の危機感じてたんですからまずは心配するのが筋なんじゃないですか!?」
「メアリーがその程度で死ぬわけないだろ!」
「かわいい妹に対してなんてこというんですか!?」
「オーギュストが一緒なら死ぬようなことにはならないだろ?!せいぜいケガする程度だ!」
「ケガでも良くないですわよ!!お兄様の薄情者!」
「薄情者とはなんだ!薄情者とは!」
「もう少し優しくしてくれてもいいじゃないですか!」
ぜいぜい、はぁはぁ…。
口喧嘩なら貴族社会で磨かれているお兄様とて負けていない。
長年、あの母とこの厄介な妹の世話をしてきただけある。
一方の私は腹の探り合いをするような闘い方なら慣れているけど、こういう思ったことをぶつけ合う喧嘩はあまり経験がないのだ。
「あー、ふたりとも少し落ち着いて…」
オーギュスト様が見かねて仲裁をしてくれた。
自分の側近と婚約者候補がものすごい剣幕で言い争いをはじめたのでおどろいているようだった。
だが私もお兄様も落ち着いている場合じゃない。
まだ腹のなかでなにかが暴れている。
「オーギュストがついていながらなんでこんな事態になったんだよ!?僕散々言ったよな!?メアリーは引っ込めておいてくれって!」
「予想以上だったんだよ…噂よりだいぶ…」
「きみがいればなんとかなるとおもったのに…!!」
「…いや、ほんとすまなかった…」
ん?このふたりってこんな関係だったっけ?
ゲームではアルバートは人の良いお兄ちゃんタイプでオーギュスト様の世話役だった。
でも相手が仕えている皇子ということはきちんと弁えて節度のある距離を保ち、ほどよくいい側近と主としての距離感をしていた。
それなのに目の前で繰り広げられる二人のやり取りはどうだろう?
まるで距離がない。
本当の兄弟か仲のいい友達同士みたいだった。
記憶にあるふたりと実物の違いに頭がだんだんと冷静になる。
「そんなに慌てるようなことなんですか?真名を知っているって」
「当然だろ!その気になればセイガ殿を思い通りにできるんだから」
「でも私、呪術なんて知りませんよ?」
真名というのは呪術を使うはずだが、生まれてこのかた、前世でも呪術なんた使ったことはない。
せいぜいおまじない程度のものだ。
「あー、そのことなんだけど…お嬢様にも呪術を使える可能性あるんだよ」
「え?ディー、なにを知っているの?」
「もともと魔法も呪術も起源は似たようなものだから魔法を使っているつもりでも呪術として作用する可能性はあるんだ」
「たしかに契約魔法は名前を使って相手を縛るから似ているものではあるね」
「そういうことです。お兄サマ」
口元がにいっと上がって瓶底眼鏡の奥が光った気がした。
なにか面白いものをみたようなかんじ。
「メアリー、そちらは?」
「私の所有する研究所の開発責任者をしているディーです。殿下にお渡しした連絡鏡もこの者の発明品ですの」
「へぇ、あなたが…」
「どもども」
「遅くなったが僕はオーギュスト。メアリーの婚約者だ」
「申し遅れました~。専門は魔法学、その他諸々やってます。ディーとおよびくださーい」
「きみが作ってくれた連絡鏡だが素晴らしい魔道具だね。感謝しているよ」
「それは身に余る光栄です~」
「あなたねぇ…相手は殿下よ。もっと畏まりなさい」
「すみませんねぇ~」
「殿下の優しさにつけこむなんて…不届きものめ…」
全く畏まる気のないディーはヘラヘラと笑ってオーギュスト様と握手をかわした。
オーギュスト様もディーの態度は気にならないようだ。
さすがオーギュスト様…こんな見るからに怪しい変人にも眉ひとつ動かさず受け入れてしまうなんて…なんと懐が深くていらっしゃるのか…!!
「遅くなったな」
「お待たせして申し訳ございません!お嬢様!」
「ルーシー!お父様!」
ようやくふたりが特別室に到着した。
待ちに待った援軍である。
お父様がお兄様とオーギュスト様で何やら話し込み始めた間に、私もルーシーに駆け寄った。
ルーシーもルーシーで明らかな困り顔をしていて状況があまり良くないことを物語っている。
「…お嬢様…予想はしていましたがはるかに斜め上をいかれましたね…」
「ボクもせいぜい朱菫国にケンカ吹っ掛ける程度かなと思ってたけどさ…なんで王子様の真名を知ってるかなぁ…」
「そんなの私だってわからないわよ!あとディー!私だってむやみにケンカなんてしないわ。子どもじゃあるまいし」
「さっきお兄サマと大喧嘩してたのは誰だい…」
もう12歳なのでむかしのように意味もなくメイドをクビにすることも減ったじゃないか!…減ってはいるんだ。
ディーの小言は聞こえないフリをして無視しておいた。
「ところでなぜディーさんは主教服なんですか…?」
「あ、これ?クラウスに借りたんだ」
ディーは最初から主教たちが着ている式典用の主教服を着ていた。
なぜか瓶底眼鏡なのに違和感がないので逆に不気味だ。いろいろ正体不明のディーだから為せる業なのかもしれない。
「なんでまた?」
「そりゃ主教に紛れてたんだよ。お嬢サマが大人しくしてるわけないし」
「あぁ…そう…」
つまり『クラウスのところに行く』っていうのは教会でクラウスが儀式に参加するって予想がついていたから私を見張るためにクラウスのところに行って主教に紛れているって意味だったのね…。
「で、お嬢様、セイガ様の真名はどこで知られたのですか?」
「あー…それは…なんとなく…?」
「ん?もしかして知らなかったの?そりゃ余計に厄介なんだけど…」
「え、そうなの…?」
「はい。本来朱菫国の王族ともあれば真名は本人と両親くらいしか知りません。書面にも残さないくらいなので本当に口伝で残るだけなのです」
まさか前世の記憶があったから知っていましたなんて言えない…。
もしそんなこと言おうものなら別の問題が発生する。ついにメアリーが心を病んだとか言われそう。
「あなたたちも真名のことを知っていたのね。今では廃れた伝統だって聞いたけど」
「私は以前本で読んだのです」
「ボクは一時期朱菫国にいたことがあってね。そのとき聞いたんだ」
一時期って…いついたんだろう…。
教会に追われてたときに朱菫国に逃げたのかな?
ディーのことはだいぶ知ったつもりでいたけれどまだ知らないことがあったらしい。
「真名は誰かに聞いたわけではないということか?」
「はい…」
悪手ではあるけれど、これ以外に返答は思いつかなかった。お父様が重たい声でそうか、と溜息をついて考え込んでしまう。
目の前にはお父様、お兄様、オーギュスト様が重い顔をしながら考え込んでいた。
前世の面接試験を思い出すが、もし面接だったら確実に圧迫面接として訴えて良いレベルだろう。
「ディー、どういうことかわかるか?」
「恐らく『神託』のようなものではないかと」
「神託?巫女が受けるというやつか?」
「わかりやすくて近しい言葉でいうのなら、という意味です。お嬢サマがセイガサマと会って神託を受けたから真名がわかった、ということにすると思いますよ、朱菫国側は」
「なるほどな…」
ディーの見解を聞いてお父様は再び考え込んでしまった。
神託と言うのは教会の巫女が神から受けるものでこちらも私が知っている意味と相違はない。
「実際のところ神託かどうかなどはどうでもいい。朱菫国側がどう出るかが問題なのだ」
これは神託なんかじゃない。
それは私が一番よくわかっていた。前世の知識を使ったというならこれは神託じゃなくて良くて予言とか予知って言い方が正しいだろう。
でもそんなことはどうでもいいこと。
朱菫国側が真名を知られていた、知っていたという事実をどう解釈しているかが問題だった。
これでもし神託などという曖昧で正体のわからないもののせいにされたら、セイガ様と私のあいだに明確なただならぬ関係ができてしまう。
そうすればエスターライリン家が黙っていないだろうしオーギュスト様の婚約者を変えろなどと言い出しかねない。
それだけは絶対避けないと!!
「ディー、呪術と魔法が似ているっていうのは誰でも知っているようなことなの?」
「それはないね。片方の専門家はどちらの国にもいるけど両方を知っている人間なんて早々いない。朱菫国には魔法が存在しないし言語が違うからこちらの魔法関係の本だってあちらにはなかなか流通しないから」
「だったら尚更、私がセイガ様を真名でどうこうできるわけないじゃない」
溜息交じりに吐き出すとオーギュスト様が顔を上げた。
「確かにそうだね。こちらにも呪術に関する書物はほとんどないわけだし。…ではなぜ朱菫国の従者たちはメアリーが真名を知っていたことにあれほど動揺したんだ?」
真名によって他人を操る方法というのは呪術によって行うものだ。
それなら呪術に全く造詣のない私にできるわけがない。
「朱菫国の人たちが気づいてないとかってありません?本国で真名を知られたらたいへんだからその癖でついやっちゃったとか?」
「さすがにそんなわけはないよ…メアリー…」
「たとえ間違いだったとしてもやりすぎだ。仮にもおまえはスティルアート家の令嬢で殿下の婚約者候補なのだ。ことと次第によっては再び外交問題に発展する」
「お嬢様、現実をみてください」
「ですよね~」
僅かな可能性はお父様とお兄様に否定され、現実逃避しようものならルーシーに引き戻された。
「もしかして、他者を自在に操る呪術は真名さえわかったら簡単に使えるものなのではないかい?それこそ呪術を知らない者でさえ」
「可能性は、ありますね」
「呪術というのは魔法のように儀式もなく使えるものなのですか?」
「あぁ。呪術の幅は広いけれど規模に応じて儀式をしたりする。魔法のように魔法式を使うものもあるけれどやり方がわかれば素人でも使えるだろう…ただこれに関しては婚約者殿の言う通りかもしれない」
先ほどとは違って臆測を含んだ言い方に確固たる自信は感じられなかった。
ディーでも知らないことってあるんだ、と内心驚いた。
「そもそも真名を知るってだけで大変なんだから呪術そのものは簡単なのかもしれないわね」
「たしかにそうだ…。もしそうなら魔法の知識に関わらず従者たちがあれほどまでにメアリーを警戒した理由にも説明がつく」
「もしその仮定が当たっていたとしてもメアリーが朱菫国の連中から警戒されていることに変わりはないぞ」
謎が解けたところで問題はそこではない。
セイガ様は私が真名を知っていたことで私に真名を捧げるとかなんとか言っていたのだ。
これから和平のためにエスターライリン家に婿入りするセイガ様が元凶であるスティルアート家の令嬢を主としているなんて全く笑えない。
お父様の懸念はそこにある。
ひとつ問題が解決したことでディーの頭がさえてきたのか瓶底眼鏡の奥が小さく光ったような気がした。
「ねぇ、お嬢サマ。王子サマに名前を捧げられたとき許すとか、受け入れるとか、そんなようなこと言った?」
「え?言っていないけど…」
「それは僕も一緒に聞いたいたけど言っていなかったよ。間違いない」
「殿下!覚えていらっしゃるのですか?!」
「そのくらいは…」
「まぁ!」
私はパニックになっていたから細かいことは覚えていないのに…!
そこまで覚えているなんてさすがだわ…!!
「なら大丈夫。名前を捧げた場合、両者の合意が必要なんだ。お嬢サマが受けるとか許すって言わない限り主従契約は成立しないよ」
「本当?!?!」
やったー!ぱんぱかぱーん!
途端に頭のなかでファンファーレが鳴り響いた。
問題解決じゃん!やったぁ!
「よかったですね!お嬢様!」
「本当よ…これで問題がなくなったわ…」
あー、よかった。
解決解決。
これで心置きなく次の歓迎会の準備ができる。
私が受けるって承諾しなければそもそも主従契約は成立しない。成立しなければエスターライリン家との問題もおこらない。セイガ様には諦めてもらおう!
なんならこっちから真名は使いませんって魔法契約を結んでもいい。
真名を知っていて私に良い事なんてないから魔法契約くらい余裕で結んじゃう。
「まだ終わっていないよ、メアリー」
澄み渡る春の空のような私の心に、オーギュスト様は一塊の嵐を投げ込まれた。
まだ何かあったっけ?




