84’.12歳 朱菫国の伝統
「スティルアートのかた、なぜあなたがその名前をご存知なのですか?事と次第によっては…」
できることなら1秒でも早くこの場から立ち去りたい。
「その名前にどれほどの価値があるかわかっているか?」
ここは教会に併設された休憩室のような場所で誰でも自由に出入りができるが、貴族や皇族が使うことあるためセキュリティは高い。
「しかしアルテリシアの貴族娘がなぜ…」
セイガ様たちご一行の儀式は恙無く終わり1部は終了。
休憩を挟んで2部の歓迎会となるはずだった。
「どのようにして知ったかなんてどうでもいい」
儀式が無事に終わり一行が退場すると同時に私は音もなく彼らに連れ去られここに至る。
事件!事件よ、これは!
「いますぐにでも排除するべきでは?」
一体どうして私は彼らに囲まれているのか…。
「それがいい!」
全くよくない!!
まてまてまてまて!
物騒すぎる!
武装していないはずなのに不安しかない!
「朱菫国のかたがた、どういうことかはわからないが一方的すぎるだろう!
こちらは僕の婚約者だ!無礼な態度もほどほどにしていただきたい!」
すかさずオーギュスト様が割っては入りかばってくれた。
あー!惚れ直した~!かっこいい!願わくは正面の絵もください!
私が連れ去られたことにいち早く気づいたオーギュスト様がすぐに追いかけてきてくれたが、多勢に無勢。
オーギュスト様に剣の心得があったとしてもこれは分が悪い。
相手は明らかに玄人だ。
「メアリー、君いったい何を言ったんだい?これはどういう…」
「それが私にもさっぱり…ただ人の名前…と」
「それ以上は言うな!」
「ひゃ!」
トーリと言おうとした瞬間、従者たちが身構え今にも切りかかりそうな雰囲気をみせた。
なんなの!?もう…。
「なるほど、彼女は理由もわからずぼくの名前を知っているというわけだね」
セイガ様だ。
主の到着に従者たちは一斉に膝をつき頭を垂れた。
アルテリシアの騎士でもここまではしない。
ユリウスでわかるように常に頭を下げているわけではないのだ。
文化の違いとでもいうのか、違いをみせつけられたような気分だ。
…ん?ぼくの名前?
「突然の無礼を申し訳ないね。それだけきみがぼくの名前を知っていたと言うことは重要なことなんだ。わかってほしい」
「名前なんて…みんな知っているではないですか…セイガ様と…」
朱菫国の王子様。
朱菫国の名前はアルテリシアの貴族と違って長ったらしくない。王族の人だから苗字はないけれど形式上必要なときはスミレと名乗るらしいが、そんなことは教養レベルでみんな知っていることだ。
「まさか真名のことか?」
「さすがアルテリシアの皇子。ご明察さ。そちらのかたはどういうわけかぼくの真名を知っていたんだ」
「真名って…」
なにそれ!?マンガでしかみたことない!
とりあえず知られちゃいけないやつだ!
ん?知られちゃいけないやつ…?
「メアリー…アルバートたちが口酸っぱく気を付けろと言っていた意味がわかったよ…大変なことになった…」
「え…えぇ…!?」
オーギュスト様がため息をつきながら頭を抱えた。
私のせいでオーギュスト様が憂いているのが悲しくなって胸が締め付けられる。
そんなお顔…あなたには似合いません…。
「今はもうすっかりなくなった伝統だと思っていた…まさかまだ真名をもつ王族はいるとはね…」
「ぼくは王族のなかでも立場が特殊なんだ」
「あの噂は本当だったってことか…それで人質として真名を与えられ縛られた挙句外交の道具にされたというところかな?」
「はは、そこまで知っているのか!少々アルテリシアをみくびっていたようだ」
もう何が何だかわからない…何の話をしているの?
「メアリー、順を追って説明するよ。まず真名については知っているかい?」
「いえ…意味くらいはわかりますが朱菫国のかたにとってどういうものかは…」
「そうだね。朱菫国も秘匿してきたことだし今はもうほとんど使われていないから知らないのも当然だ」
オーギュスト様はゆっくりと、丁寧に話し始めた。
まず、真名というのは真の名前と言う意味。私が思っていたものと違いはない。
朱菫国に魔法はない。
でも呪いとか呪術は存在していて、誰もが使える簡単なものから、細かい様式があったり儀式が必要なものまで様々。
いずれにしても高度な呪術は魔法に比べると使いにくいもので、ほとんど使われることはない。
人につかう高度な呪術に必要なものとして必ず名前がある。
だから呪いを受けないために本当の名前と普段使う名前を分ける習慣がついたのだという。
その本当の名前が真名。
これは王族や貴族の場合、産まれた時に両親から与えられるもので普段使う名前とは全く違う名前を付ける。
それでも文字数は合わせたりと縛りはあるけれど、普段使う名前からは推測されない名前にするものだとか。
だからセイガ様とトーリの名前に共通点が無いというわけだ。
この真名というのは相手を信頼した証として使われることもあり、一生を捧げる主に真名を教えるという伝統がある。
だからセイガ様の従者たちはセイガ様に真名を捧げているのだとか。
一度真名を捧げると主の真名はわかるが主を害することが出来なくなるので主の名前はわかっても問題ない。
でも逆に一方的に真名を知っているというのは危険な状態で、いつでも呪いによって相手を殺したりすることができる。
やりようによっては一方的に操ることもできるそうで危険極まりない。
だから今ではほとんど真名の伝統というのは廃れているのだが…。
「ぼくは複雑な立場でね…真名を与えられている…」
「…」
「まさかだけど…あなたって今の朱菫国の王様の子ではなかったりする?」
「…そこまでご存知とは…」
わぁお…もうアタリじゃん…。
『ラブファン』のトーリは特殊キャラクターなのだ。
攻略キャラ全員クリアしないと解放されない隠しキャラ。
唯一メアリーが登場しないルートでもあるけれど、それは当然の話で…。
メアリーがゲームを退場したあとに出てくるというキャラクターでもある。
セイガ様、トーリは朱菫国(ゲームでは祖国と言っていた)でもワケアリの立場だった。
まずその出生に問題がある。
「ぼくは現王の父親、前王が退位したあとに現王の側室との間に作った子なんだ。そのうえ母親は現王の母親よりも高い家柄の出身でね…」
泥沼だ…昼ドラじゃん!
ゲームのときも思ったけどこれ乙女ゲームでやるような設定か?特殊過ぎでしょ!
なぜトーリの母親の不貞がわかったかというと、朱菫国には後宮が存在しているから。
男子禁制の閉鎖空間がなせる技である。
トーリはその気になれば父親の玉座をいつでも狙える立場だったうえ、本人にもその能力があった。
見目麗しく文武両道、人望にも人柄にも恵まれ兄たちより出生も高貴とあれば、周囲が次の王に望まないわけがない。
だから祖国でも家族から厄介者扱いされていて、命の危機に瀕したところでアルテリシアに逃げてきたというキャラクターだったのだ。
「ちょうどぼくの扱いに困っていたところにアルテリシアとの外交問題がおきたから体よく厄介払いされたというわけなんだよ」
同情すべきところではあるけれど、このトーリという人はこのアルテリシアにとっても歓迎されないことになる。
なぜなら、
「本当の目的は何?厄介払いということならこんな中途半端な時期に留学なんておかしいでしょ」
「はは…どこまで知っているのか」
「セイガ様!それは…」
従者が制止する声を抑えてトーリは自嘲気味に続けた。
「いいんだ、どうせ真名を知られてしまった以上ぼくに目的は達成できない。せいぜい諦めてアルテリシアの世話になることにするよ」
セイガ様はどこか、諦めたような清々したような顔をしていた。
それがどういう意味か事情を聞いていたら察しがついてしまった。
「メアリー、どういうことだい?」
今度はオーギュスト様が頭にはてなマークを浮かべる番だった。
「おそらくセイガ様たちの目的は古代魔法の奪取ではないかと…それも皇族秘匿の…」
「まさか…」
「その通りだよ。ぼくらの目的はアルテリシアが長年秘匿してきた魔法を持ち帰ることだったんだ」
このアルテリシアの貴族には家々に伝わる魔道具や魔法が存在する。
それは皇族だって同じこと。
皇族は様々な魔法や魔道具を代々受け継いでいるというがその数や実態は非公開となっているものが多い。
家ごとに伝統の魔法の扱いは様々だけど、皇族が非公開としている秘匿魔法は少なくとも門外不出に違いはない。
彼らはこの政略結婚を利用して朱菫国に古代魔法を持ち帰るよう密命を受けているのだ。
でもセイガ様はそんなこと望んでいなかった。
ヒロイン、アリスちゃんと心通わせるうちに祖国に利用される人生を憂うようになったのだ。
さっきセイガ様が清々したような顔をしていたのはもう祖国に利用されることがないとわかった安心感からくるものだろう。
「…とはいえ、真名をあなたに知られてしまった以上叶わなくなってしまったがね」
そう言うと、セイガ様は私の足元に膝をつき手取ると唇に私の手を寄せた。
「我が真名を持って生涯、あなたにお仕えすることを誓おう。我が真名、トーリの名をあなたに捧げる」
手に静電気のような痺れが走って、
セイガ様の従者たちが嘆く声がして、
オーギュスト様が頭痛を堪えるように眉間にシワを寄せると同時に
「よろしくね!ご主人様!」
「お嬢様!無事~?」
聞きなれた間抜け声と、花のように麗しい恍惚とした笑顔のセイガ様が同時に飛び込んできて私は本格的に逃げたくなってきた。
あ、そうだ…。
トーリルートはアリスちゃんに真名を告げる、つまり捧げることで祖国から逃げたんだった。
なんで今思い出すのよ…。もう…。




