68’.11歳 服飾部門
「…なぜ私がそんなことをしなければならないの?」
絹職人を取り入れるというのは正直魅力的な提案だ。
朱菫国の職人たちを引き抜いたときのように、アルテリシアにない技術をもった人を引き込むということは新しいものを手に入れるチャンスでもある。
「メアリー様のおっしゃることはごもっともですわね」
だけど今回は違う。
正式な移民としての手続きを踏まず、文字通り密入国者を引き入れることになるのだ。
下手したら国際問題どころの騒ぎではすまされない。
そして交渉事においては相手に優位性があってもそれを悟らせてはならない。
「なんの見返りもなしに私が何かすると思っているわけ?」
「しかし私どもも後には引けない状況にあります。出来る限りのことはさせて頂きたくおもいますの」
「へぇ」
あたまを差げ無条件に言うことを聞くという彼女らにお兄様も僅かに眉根を潜めた。
交渉というのは対等な条件で行うもの。
このままでは私がその気になれば彼らのいう絹職人を悪条件で保護することになる。
特にわがまま令嬢として悪名高い私が相手となれば奴隷のように扱われる可能性のほうが高いくらいなので少しでも待遇をあげようという努力はするはず。
ましてや過去に私から文字通り人生をねじ曲げられた彼女たちからしたら私から出される条件を丸呑みするなんて判断するわけがない。
つまり今、彼女たちはそれをしてもでも、と思えるほど逼迫した状況に置かれているということに他ならない。
下手な手を打つと国際問題どころか私たちもその事情に巻き込まれる。
「後には引けない状況なんて言われてこちらが受け入れると思ったかい?いくらスティルアートといえどクラティオを相手に戦争を起こすわけにはいかないんだ」
どう判断したものか。
考えているとお兄様が助け舟をだしてくれた。
「絹職人はたしかに密入国ですが今は私どもの娼館を借りております。だれも娼館で絹を作っているなんて思いませんから入手ルートに何人か業者を挟んだ記録を作れば『スティルアート家は密入国者とは無関係』ということにできるかと」
「つまりあなたたちは絹を買ってくれてかつ自分たちの保護をしてくれる支援者を探しているってことね」
「おっしゃるとおりです」
「でもそれなら娼館を頼れば良いのではありませんか?たしかあなたたちの所属する娼館はアルテリシアの国営だったはず。あの界隈は自警団を組織していますよね。自警団も領主家を頼ったとなればメンツがありませんしいい顔しないのではありませんか?」
娼館のある花街は大なり小なりトラブルが多いのでいちいち警備兵を呼んでいられない。
さらに警備兵を頼れないような人たちも多いため花街では娼館や花街に並ぶ店が協力して作った自警団を持っているのだ。
公に認められた組織ではないものの彼らにもメンツがある。
自警団を無視して領主家を引っ張り出したとなれば黙っていないだろうし、そちらともトラブルが起きる可能性が高い。
ルーシーはそれを危惧しているのだ。
でも、
「娼館を頼れないってことでしょう?」
そんなことは娼館に身を置く彼女らとて知らないわけがない。
「それって…」
「きみたちの敵は娼館ってことかい?」
おそらくお兄様も私と同じことを考えていたようだ。
私が言おうとしていたことを先に言われてしまった。
「さすがアルバート様。ご明察にございます」
「私たちは最初にお話ししたとおり娼婦にはなりませんでした。それでも娼館の主人や姐さんたちは私たちの腕を磨いて自分たちの役に立てばいいと言ってくださって修行に励むことができました。私たちの伝手で絹職人たちを娼館で保護することもみんな協力してくれました。仕事場も娼館の使っていない部屋を貸してくれてようやく絹が作れるようになったところだったのです。
しかし最近、主人が代替わりしました」
「新しい主人は絹の価値がわからない人でした。いつ金になるのか、いつ売れるのかわからないような布のために危険な密入国者を匿うことも私たちが娼婦にならず職人をしていることも良しとせずようやく起動に乗り始めた養蚕も中止せよと何度も言いつけられました」
普通の娼婦、普通の女の子であれば雇い主である主人に逆らうことはしないで娼婦になっていた。
特に彼女らは娼館で一生を過ごすことが決められた身。自由なんてない。
しかし、ジャンナとカイリーは元貴族令嬢で、そこいらの女の子とは少々違っていた。
「なるほどね。だから我が家を支援者につけて絹を売って得た収入で家賃を払おうとしたわけね。私が絹を気に入ればそのままあなたたちは我が家のお抱えになれるかもしれない」
「……」
過去に朱菫国の職人たちを大量に引き抜いた実績があるから私が珍しいモノが好きで可愛い愛娘のためなら両親は財産を惜しまないと踏んでの作戦だ。
でもこの作戦はかなり危険な橋を渡っている
もし私が絹を気に入らなければ?
もし私がジャンナとカイリーの描いたデザイン画を気に入らなければ?
もし私がふたりの名前をみた瞬間拒否したら?
もしお兄様がふたりを私に近づけまいとしたら?
すべての要素が噛み合わないと成功しないうえ、成功率はかなり低い。
「メアリー様なら必ずや私たちの仕上げたドレスを気に入っていただけると確信がありましたから」
「絹は必ずメアリー様の目を引くに決まっておりますので」
ジャンナとカイリーはそう言って、恭しく頭を垂れた。
その自信はどこから来るものか。
過酷な環境に身を置き修行に費やした時間がもたらすものなのか私にはわからなかった。
随分と自信家で、それでいて高慢。
さすがは元貴族。
「ふうん。その自信、気に入ったわ」
「!!でしたら…」
「メアリー!」
「お嬢様!少々軽率ではありませんか?!」
「ただし条件があります。絹職人も私のお気に入りにしてあげる。でもジャンナ、カイリー、あなたたちについては作ってきたドレスの仕上がりをみて判断するわ。あなたたちが私の気に入ったものを作ってこなかったら新しい主人の命令通り大人しく娼婦になって頂戴。絹はこっちで売ってあげる」
「…」
「だが絹の出所はどうするんだい?調べたら職人のことなんてすぐわかるんじゃ…」
「そうですね、偽の身分を用意してしまえば良いのではありませんか?そのくらいできるでしょう?」
「できるけど…」
やはりお兄様は善人だ。
この程度のこと思いつかないわけがない。だけど自身の良心に従って決心がつかないようで、視線が小さく震えるように泳いでいる。
艶やかで美しい絹のドレスに想いを馳せていると、カイリーが真剣な目をしてこちらをみつめていた。
「もしメアリー様のお気に召していただけたら?」
「失礼ですよ…!」
ルーシーがカイリーを咎めるが、カイリーは言質を求めた。
姉であるジャンナもそれを止めないで私の答えを求めていた。
「そうね、私の持ってる研究所で雇ってあげるわ」
「メアリー、彼女らは身請けでもされないかぎり娼館から出られないんだよ」
「娼館から出張ってことにしておけばいいのではありませんか?」
「そんな無茶苦茶な…」
「何か言ってくるようならてきとうに何か理由をつけて捕まえてしまいましょう。その主人を。娼館なら何か後ろ暗いことの一つやふたつあるでしょう」
もし研究所で雇用できたら身請け金をふたりに稼いでもらおう。
そうしたら身請け金を用意する必要もない。高そうだし自由になりたいなら自分たちで稼いでもらおう。
「そういうわけだからジャンナ、カイリー、何か証拠掴んできてちょうだい」
「え、えぇ…」
「あぁ、さっき途中に何人か架空の業者を挟めばと言いましたけどそれこそ調べたらすぐわかります。絹の製造方法がステイルアート領からみつかったってことにでもしましょうか」
「もう…1度言ったら聞かない…」
トントン拍子で話を進めていく私の横でお兄様が文字通り頭を抱えていた。
どうしたら私のわがままを穏便に通せるか考えているようだった。
やはりアルバートはメアリーのわがままに振り回される運命みたい。
諦めさせるという選択肢もあるのにわがままを叶えるという方向に思考が向いているあたりアルバートだと思う。
「そんなことよりドレスの期限はいつですか?!」
困惑するジャンナを押しのけてカイリーが身を乗り出す。
「そうね、来週で」
「ら、来週ですか!?」
「そうよ、無理かしら?ならいいけど」
「い、いいえ!できます!やってみせましょう!ね!お姉様」
「は、はい!必ずやご期待に添える品を持って参ります!」
本当はもっと期限を伸ばせるけれど、早めに切っておく。もしふたりの作ったドレスがお母様の合格をもらえなかったら作り直しをさせないといけないから。
「さぁ、そうと決まれば他にも詰めるところがたくさんあります!しばしお付き合いください」
カイリーはこちらにわからないようため息をついて気合を入れ直した。
そして細かくメモ書きのされたデザイン画を広げて鼻息を荒くした
「え、えぇ…」
「色の調整をいたしましょう。メアリー様、失礼いたします」
「は、はい」
ジャンナはカバンから色とりどりの布地を何枚も取り出して私の肩から首元に当てていく。
「お姉様、そちらのお色はメアリー様の瞳のお色と合いませんわ」
「あら本当ね、ならこちらはどうかしら?」
「お嬢様の髪色は月夜でもっと輝きを増しますからお気をつけください」
「たしか当日は魔法で月明かり色の照明を使いますのよ」
「靴はどのようなものをご用意いたしますの?」
「せっかくだったらヒールのあるものを…」
だんだんと熱がこもって白熱してきたと思ったらメイドたちも参戦していた。
普段から私の身の回りを仕切るエマやデイジーも輪に加わってあれやコレや、デザイナーふたりに意見していた。
華やかなドレスに興味関心の低いルーシーは疲れが目元に浮かんでいるし、お兄様もはやく娼館関係やクラティオについて調べに行きたいことが目に見えているし、私も疲れてきた。
あと絹職人のこととかディーに話をつけにいかないといけない。
なんとか逃げ出せないかタイミングを図っていると、はからずも天の助けが訪れた。
「あれーなんだか今日は賑わってるね?どうしたのこれ」
誰が呼んだか、心の声が通じたのか、最近は珍しくなったヨレヨレ白衣にビン底眼鏡のディーがあらわれた。
「ディー!!いいところに来たわね!今日の分の報告書でしょう!今行くわ!」
「そ、それ一緒に聞いてもいいかい!?」
「お兄様!もちろんですわ!さぁ、ルーシーいきますよ。ではドレスの件よろしくお願いしますわね。エマ、デイジーあとは任せます」
「え?これどういう状況?」
なにも理解していないディーの両腕をお兄様と私で固めると、そのままひっぱって行く。
「ディー、余計なことは言わなくていいからさっ!さ!と執務室へ行きましょうか!」
「し、執務室ってここじゃ…」
「うるさい!行くわよ!」
「理不尽!」
誰の静止を聞くこともなく私たちは嵐のように部屋から出て行った。
もっとも、誰も引き留めなかったけど…。
「なるほどね~!お嬢様ってば厄介な連中を引き込んだもんだね」
逃げ出した先の図書室でお茶を飲みながらディーはお腹を抱えて笑った。
本来なら図書室でのお茶会も大声を出す行為も許されてはいないけれどここはどうせ我が家の持ち物。さらに利用者は誰もいない。
「いいじゃない、絹の価値には変えられないわ」
「まぁ絹だけあっても扱い方や見せ方を把握した人間がいるっていうのは大きな戦力になる。ついでに職人たちにとってあのふたりは恩人だから無下にもできないしデザイナーを研究所に繋いだのはいい判断だったね」
「お兄様にはお見通しでしたか。おっしゃるとおりです。クラティオの職人にとっての人質ですわね。ついでに私好みの服を作らせてアパレルブランドでも立ち上げようか思いまして」
密入国者を匿っているということは彼女らも罪に問われる可能性はじゅうぶんにあった。
特にジャンナとカイリーは過去に処罰として娼館に売られた身だ。
捕まった場合今度こそ処刑となるリスクもある。
それなのに危険を犯してまでどうしてわざわざ私たちの前に姿をみせたのか。
おそらく絹職人の中に彼女らと良い仲の相手がいる。
それが恋人というやつなのか、恩人なのか、それに類する何かなのかはわからないがどちらにしても絹職人たちがふたりにとって重要な人物であるという事実があればいい。
ジャンナとカイリーの裏切りや報復を防ぐには絹職人を私の手の届くところに置いおくことが得策だった。
「お嬢様のブランドとなれば若い女性に人気が出ると思いますよ」
「って、研究所に入れるってことはボクの管轄じゃないか!」
「そうよ。あとのことはよろしくね」
「そうやって面倒ごとを押し付けてくる!」
ディーはさっきのお兄様のようにビン底眼鏡のむこうで目をぐるぐるさせながら頭を抱えていた。ようやく報告書の仕分けが終わって手の空いた研究者の身の振り方が決まったところだというのに仕事が増えたみたいだ。
「そんなディーさんに良い話と悪い話があるけれどどっちから聞きたい?」
「は?ボクにお兄サマから?」
「あぁ。正確にはお父様からだけどね」
「じゃあ良い話から…」
「え、悪い方からでしょ」
お父様からディーに用事ってなにかしら?
ルーシーとチラリと視線を交わすが、小さく首を振る。なにも知らないようだった。
「メアリーの意見を採用して悪い方からいくよ」
「ボクに聞いた意味って一体…」
「ディーをメアリーの魔法学についての家庭教師を依頼したい。それに伴い別邸への同行をしていただきたい」
「うそでしょ!!ボクの研究もあるんだけど!」
「そうよ!ディーには研究所の主任をさせているんだから。だいたいディーに教師なんてできるわけないじゃない!魔法に詳しいってだけで人に教えるとかどうみてもできるわけないでしょう」
「お、お嬢様…それはあんまりでは…」
「…詳しいっていうのは認めてくれているんだね…」
全く敬意の払えない、名前も性別もわからないような不審人物に教師なんてできるとはとうてい思えなかった。
依頼という形をとっているけど実質これは命令だ。
大貴族からの命令となれば拒否することはできない。
「家庭教師をやれっていうならそれ相応の対価をもらわないと割りに合わないよ。自分の研究だってしたいのに」
「そうよそうよ。ディーが古の魔法以上に優先することなんてなにがあるの?私に構っている時間があるならデータのひとつ取りなさい」
「まぁまぁ、次は良い話。けっこう期待できると思うよ」
「ふうん」
ディーはお金で動くタイプではない。研究費は研究費として太々しく請求してくるタイプだ。
こちらも結果を出してくるから研究費を出さないわけにはいかない。
さらにディーの開発した魔道具は広く使われているのでいなくなってしまうと困るのは私たちだ。
相応の対価を出さないと言うことを聞くとは思えなかった。
「王都に来てくれたら国立図書館の禁書庫閲覧許可証を出すって」
「え!本当に!?」
「もちろん。しかも特別に段階制限なしのやつ」
「そのご依頼よろこんで引き受けます~」
「それでいいの!?」
専属デザイナーをみつけたかと思ったら一緒に新しい家庭教師がつくことになった。
納得がいかないが、しかし、
ついに学園に入学日がやってきたのだ!




