67’.11歳 過去の因縁
「それでも私、あの衣裳が着たいの。デザイナーを呼んで頂戴」
「メアリー!もし報復でもされたらどうするんだ?!」
「お兄様が私を心配してくださっていることはよくわかっています。でも今更彼女らが私に何をできますの?貴族でもない只の女の子でしょう?」
「そうだけど、何をしてくるかわからないじゃないか。魔法を使わなくても傷つけることなんて簡単にできるんだ!特に今の彼女らはメアリーに触れる距離まで近づくことになる。危害を加えることもできる」
お兄様が私を心配していることは十分に伝わってきた。
私も理解しているのだ。
直接何かしたわけではないにしても彼女らの両親が企てた罪によって彼女たちは生活も家族も全てを奪われた。
心情としてスティルアート家を許すわけがないし、歳の近い私が何不自由なく悠々と貴族生活を送っているなんて面白くもないだろう。
近くことさえできれば捨て身の覚悟で危害を加えることだってできる。
ただ恨みを晴らすことが目的なら小さな針の1本でもあればいい。
袖にひそめた針の1本で喉を突き刺せば致命傷とは言わずとも重症を負わせることくらいはできるのだ。
でも彼女らはそれを実行することはない。
私にはその確信があった。
「それならどうして最初にデザインを送ってよこしたのでしょう?しかも名前や身元だってそのまま書いてあったのでしょう?私に何かをすることが目的なら怪しまれないように偽名を使うなり身元は隠すのではなくて?」
「だけど…」
そこはお兄様も疑問に思っていたのだろう。
考えて、考えて、結果は出なかったようだけど、とにかく危険人物が近づいていることはわかっていたので慌てて私のところに来たというところだ。
「どうせ魔法署名を書かせるくらいはさせるのでしょう?それにこの屋敷でしか顔を会わせないのに暗殺なんて不可能です」
危険人物とわかっていて、のこのこ招き入れるほど、この家のセキュリティは甘くない。
門をくぐった時点で危ないものを持って入れば弾かれる魔法が使われているし、署名の一筆でも書かせるはずだ。
さらに部屋においてはそこかしこに監視の目があって影だって潜んでいる。
危害を加えようとするほうが難しい。
「たとえ魔法署名を書かせようとメアリーを危険な目にあわせることはしたくないんだ…」
絞り出すようなお兄様の悲痛な声に思わず私まで悲しい気持ちになってくる。
もしお兄様がそれを狙ってやっていたとしたら効果はてきめんだ。
しかし、
「私、あの衣裳が着たいの。ダメかしら?」
望んだ結果を得られるのなら、手段はなんでも構わないし相手が自分を恨んでいようが結果さえ出してくれたらそれでいい。
それに最初のデザインは私のために描かれたと言っていた。
相手が私とわかったうえで名前も添え送って寄こしたのだ。何かをするつもりがあるなら馬鹿正直に名前なんて書かない。
「…」
お兄様の目が揺れる。ここをチャンスとばかりに瞳を潤ませて視線を軽く上げ上目使い気味に小首をかしげるとお兄様がゴクンを息をのんだ。
よし、もう一押し。
「心配なら採寸にはお兄様も同席なさってください。お兄様も一緒なら私も心強いわ。ね!」
にっこりと可愛らしく微笑んで見せると、お兄様は観念したと言わんばかりに盛大な溜息をついた。
「はぁ…わかったよ。ただし、危ないと判断したらすぐに帰らせるからね」
「ありがとうございます!お兄様大好き!」
無邪気に抱きくと、お兄様は降参というような、諦めたような表情を浮かべて抱き留めてくれた。
なんだかんだ妹に甘い。
そうして、慌ただしく客人を迎える支度を整えデザイナーことジャンナとカイリーが我が家にやってきた。
「お初にお目に、ではありませんね。お久しぶりです、メアリー様」
「この度は私どもの描いたドレスを気に入って頂き大変うれしく思います」
お兄様やルーシーをはじめ、屋敷の兵からメイド、執事にいたるまで採寸するだけにしては多すぎる人数が部屋に集まって、更にその全員がふたりのデザイナーに向けて鋭い視線を向ける異様な空間が出来上がった。
私ですら息苦しさを感じる空間のなかで、この姉妹だけは平然と頭を垂れている。
随分と肝が据わっているようだった。
「しばらくみないうちに礼儀を弁えるようになったのね。見違えたわ」
「もうあのような振る舞いはいたしませんよ」
「その節は大変失礼いたしました」
言葉通りにジャンナとカイリーは記憶に残る生意気な言動と振る舞いはどこへやら。
記憶に残る彼女らより当然成長しているから昔の姿なんて面影くらいしかないし、立ち振る舞いも顔つきも落ち着きがある。
最後に会ったときのことを覚えているわけではないけれど別人のようだった。
同姓同名の別人と言われた方がしっくりくる。
じっと観察していても不審な点はないまま、ふたりは仕事道具が入ったカバンからメジャーやメモ紙、デザイン画と思わしき紙を数枚取り出し準備を整えていく。
危険なものは持っていないか、ふたりのもつ道具に魔法が施されていないか、用心に用心を重ねた検査が再度おこなわれようやく許可が降りた。
「ではさっそくお衣裳の採寸をさせて頂いてもよろしいですか?」
「そうね、はじめてちょうだい」
採寸という作業はどうしても距離感が近くなる。何かを仕掛けるならそのタイミングだと判断したようで全員が警戒を強めた。
「ふふっ、警戒されずとも何もいたしませんわ」
その視線に気が付いたのか妹のほう、カイリーが道具を準備しながら小鳥のように愛らしく笑った。
「まぁ…それだけ警戒したくなる気持ちもわかりますけれど…」
「私たち、むしろメアリー様には感謝していますの。メアリー様のおかげでこんな天職に出会えたのですから」
「姉さまの言う通りです。あの家にいたら一生、服のデザインをするなんてしませんでしたし」
それは嫌味なのか言葉の通りなのか、測りかねている間にふたりはテキパキと作業を進めた。
何の不審な点も、不手際もなく一通りはかり終えたところで次はドレスの細かい打ち合わせの段になった。
「今回は赤をベースに仕上げていきます。ご要望の通り、レースやフリルは最小限に抑え差し色を加えることで遊びを出しましょう。コルセットを使わないという点はウエストラインの位置を調整してスカートに布を入れることでボリュームを出すことでカバーできます」
デザイン画に細かい修正を入れていく。
描きあがったデザイン画に修正点が加えられ、使う細かなパーツや仕様について決まっていった。
およそ形が決まったところで、ジャンナが持ってきたカバンから布地を取り出した。
艶のある上品な光沢に何度でも触れたくなる手触りの美しい赤い布が現れ、部屋にいた全員が布地の美しさにほうと息をのむ。
「これ…絹かい?」
「さすがアルバート様。お目がたかい」
「殿下とクラティオへ行ったときみせてもらったが…本物かい?」
「とある筋から入手した正真正銘の本物です。今回はこちらの生地を是非メアリー様に使っていただきたいのです」
「シルクのこと?珍しいの?」
絹は確かに高級品ではあるけど驚くようなことだろうか?上級の貴族なら絹の服くらい持っているのではないかしら?
大人のドレスといえば絹だと思っていたから素材なんて気にしたことがなかった。
あれ、でもお母様のドレスって絹だったかしら?
「今となっては入手不可能になってしまった幻の布ですの」
「えぇ…どういうこと?」
背後に控えるルーシーに視線を向けると、頼りになる優秀な文官は説明を始めてくれた。
シルク、絹は高級品で隣国クラティオの名産品だった。
布の美しさから世界各国の貴族の間でもてはやされ絹はクラティオの主力産業となった。
しかしその製造方法は頑なに漏れることはなく国家機密とされた。もし漏洩しようものなら関係者全員処刑という厳しい処罰さえ設けるほどに。
そのため各国の富裕層たちはこぞって絹を欲しがったが絹を手に入れるにはクラティオから購入するほかなく大量の金がクラティオに流れてしまう。
アルテリシアの貴族たちが絹を手に入れようと躍起になるほどにクラティオはどんどん価格を上げていき、金が外へ出て行く状況に憂いた時の皇帝はついにクラティオから絹の輸入を禁止してしまうのだ。
当然、国内外からの反発は多くあったものの自分と家族が絹以外のアルテリシアで作られた布地で作った衣服を身に着けることで反対意見を抑え込み今に至る。
それから今まで絹の輸入は禁止されたままなのだ。
「ってことはこれ密輸品ってこと?」
クラティオでしか絹が作られないのに、正真正銘の本物の絹がここにあるということは密輸したということになる。
いくら悪役令嬢になるとはいえオーギュスト様の婚約者候補が密輸品で作ったドレスを着るわけにはいかない。
そんな懸念をジャンナは微笑みを浮かべたまま首を横に振って否定した。
「いいえ、これはクラティオから来た職人たちによってスティルアートでつくられた本物の絹ですので密輸には当たりません」
「輸入は禁じているけれど製造までは禁じていないからってことか。でもどうやって職人たちを連れてきたんだい?クラティオは絹の製造方法を知る人間たちが他国に渡ることを禁じていた。もし見つかれば一族郎党処刑のはずだ」
「はい、おっしゃる通りです」
ジャンナとカイリーは一呼吸おいて、語る。
クラティオは最近どうも不穏な空気が漂っている。
徴兵が始まり今まで手厚く保護していたはずの絹職人らを突然、大量に解雇すると言い出したのだ。
そこにどんな事情があったかまでは知るところではなく、なんの前触れもなく急に解雇通知を突き付けられた。
しかし絹の製造法は国家機密。
外国に活路を見出すわけにもいかないうえ、今まで絹を作ることしかしてこなかった彼らは今更他の仕事に就くことも出来ず、わずかに手元に残すことができた仕事道具を抱えて路頭に迷うことになる。
いくら絹の製造方法を外部に漏洩しないと誓約させてもこれでは限界がある。
そのうえクラティオには魔法がない。
正確には過去には魔法があったが消えたのだ。
魔法署名も記憶を消す魔法も使えない。
アルテリシアでは署名を書かせるか記憶をなくす魔道具を使えば簡単に済むこともクラティオでは一大事だった。
その結果クラティオの王宮は国家機密を守るため思いもよらない手段にでた。
絹職人とその家族の処刑を命じたのだ。
当初はそんな虐殺じみたことがまかり通るはずないとタカをくくっていた彼らだったが仕事仲間の処刑が本当に実行され路傍に彼らの首が晒されたことで、ようやく自分たち危機を悟り、助けを求めて命からがらクラティオを逃げ出した。
「私どもの関係者に保護され彼らはアルテリシアに渡ってきたのです。彼らはうちの娼館で手伝いをしながら密かに絹の製造を続けました」
ゆっくりと、痛々しげに語る彼女らに嘘はないようにみえる。
クラティオのことはよく知らないけれどお兄様に視線をむけると小さく頷いたので同意見だと考えてよさそうだ。
しかしまだ疑問がある。
「でも絹を作るには蚕が必要でしょ?どうやって持ってきたの?」
「それは蚕を魔道具に入れて…って!!え?!?!えぇ⁉︎⁉︎」
何気なく言ったその一言で、お兄様とルーシー、ジャンナ、カイリーが目を見開いて食い入るように私をみた。
「メアリー様!どうしてそれを?!?!」
「カイコ?!なんだい、それ!?」
「え、え…絹って蚕という虫の繭から作られるのでしょう?生き物だからクラティオからアルテリシアへ運ぶ間に…って…あ…」
そこまで言ってとんでもないミスを犯したことに気が付く。
製造方法が国家機密ということは当然、蚕から作られることだって知らないはずだ。
ならば私が知っているわけがない。
これは間違いなく真理としての、前世の知識だ。
どうやらこちらの世界でも前世の世界と同じ方法で絹を作るらしい。
「メアリー様、どうしてそれをご存知なのか…お教えいただいてもよろしいですか?」
「あー、えーと…確か何かの本で読んだのよ。そういう説があるって程度だったけど…って今はそんなことどうでもいいのよ!急に絹職人の話を持ち出したってことは何か理由があるのでしょう?」
気まずさを隠すように話題を無理やり切りかえる。
お兄様は不審な目を向けているけれど、前世の記憶がありますなんて言って信じてもらえるわけないのだから本で読んだってことで押し通す。
「え、はい。実はメアリー様にお願いがあるのです」
ジャンナとカイリーは二人そろって背筋を伸ばす。視線がまっすぐに私を捕らえた。
次期スティルアート家当主であるお兄様ではなく、私を。
この展開、既視感がある。
いつかの瓶底眼鏡と出会ったとき。
あのとき私は飄々とした性別も素性もわからない白衣に交換条件を出したんだっけ。
「とある者たちの保護をお願いしたく存じます」
ほらやっぱり!!
たいていこういうときは厄介事がやってくるのだ。




