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婚約破棄がはじまらない!!  作者: りょうは
'ラブファン~side M~
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65’.11歳 お兄様の知恵

「無理でしたー!」


「……」



瓶底眼鏡にヨレヨレの白衣を着た研究者は至極明るく愉快にそう言った。


ディーの研究室には白衣を着た研究者(だったもの。今は屍のよう)が床に4、5人転がっている。



が、私には関係ない。



無理?

できなかったってことよね?


どうしてかんたんに言えるわけ??


「ボクらも手を尽くしたんだけどどうしても魔力が足りない。濃縮しようにも魔法式が成立しない」


お手上げ、と言わんばかりにディーは掌を空に向けた。

異世界でもこのポーズは一緒なのかとか、元いた世界がベースになっているせいだからか、とかまとまりのない思考に向けることで苛立ちを抑えてなるべく平静な声をだす。


「じゃあ…できないってこと?」


「不可能ってわけじゃないよ。お嬢様の入学までに完成させることはできないってこと」


「まだ入学までには時間があるじゃない。最後まで粘りなさいよ」


「もちろん粘るよ、ただ今の状況ではお嬢様の目的は達成できないから先に伝えておきたいってだけ」


私の苛立ちはなんのその。全く気にしなディーに益々苛立ちがつのる。


後ろに控えているルーシーは落ち着きがなく、私とディーの間で視線が泳いでいた。


「あの…以前お話ししていたコーヒーの機器の売り上げは…?」


「あれは開発費のほうが高ついちゃってまだ売らないと利益にはならないよ」


「えぇ…」



こちらは私もある程度予想していたことだ。

もちろん少しでも利益が出るに越したことはない。


だけど開発費だのなんだかんだとかかるわけだから利益が出るのは先だろう。


教会での販売は好評だったけど、機器をすべて揃えるにはお金がかかるし平民には無理。



貴族やお金のある商家を相手にしていくには営業が足りない。


それはわかったし理解もしている。


「ちょっとは申し訳なさそうにしたらどうなの?!私は入学までって言ったわよね?」



「別にいいじゃないか、期日を迫られているわけじゃないのだしみんな自分の研究だってあるからこっちばかりしていられないよ」



床に転がる研究者たちに視線を向けた。

いつのまにかこの使用人棟を根城にして自分たちの望むままに好きな研究開発に明け暮れていた人たちだ。


ここに通ううちに顔見知りも増えたが彼らがなんの研究をしているのか、私はほとんど知らない。


ただ研究費用として予算が充てられているということだけ知っている。



「だいたいどうしてディーはそんなに平然としていられるの?古の魔法はあなたにとって悲願だったんじゃないの?」


「1回や2回の失敗で落ち込んでいられないよ。研究なんてそんなもんさ。立ち止まっている暇があったらひたすら結果を出すだけ」


「…」


「いい環境で研究ができるって恵まれていることなんだよ。なにも絶対不可能ってわけじゃないんだから悲しむ必要はない」



ディーはここへ来るまで教会から逃げながら研究をしていた。

ひたすら古の魔法に関わる情報を集めて魔法式を組み立てては失敗して、実験をできるだけの魔法石も環境も伝手もない。


今はここがあるから好きなようにできるだけなのだ。




「この研究所は今、私のものよ。だったら私の命令を最優先にするべきではなくて?私が必要ないってお父様に一言言ったらここはすぐに閉鎖できるのだから」


「そんな横暴な…」


「横暴でも結構。今この研究所で行なっている研究内容をまとめて持ってきて。無駄と判断したものに研究費は出しません」


「そんな!!」


悲鳴があがったのは部屋の片隅で屍になっていた研究者たちだ。研究費という言葉に飛び上がった。




「えー…じゃあわたしたちはお払い箱ですか?!」

「急すぎる!」

「反対だ!」

「権力による暴力」


各々から抗議の声が上がった。それだけ元気なら大丈夫なんじゃない?



「私も鬼じゃありません。今すぐ追い出すようなマネはしませんよ。私が有効と判断するような研究内容を提示するか、できなければディーの研究の手伝いをしてください」



「あ、それは助かる!人手っていうか魔力が足りてないんだよね」


ディーが嬉しそうに手をポンと叩くとすぐさま研究者たちから非難の声が上がった。


魔力が人を介して注ぐしかないので欲しいのは優秀な頭脳でも無限の体力でも冴え渡る発想力でもなくひたすら魔力を注いでくれる入れ物なのだ。


「それからディー、あなたをこの研究所の開発主任に任命します」


「えぇ?めんどくさ」


「私は魔法の開発については素人ですから。あなたが中心になって取りまとめをしてちょうだい」


「そういうめんどうな仕事ばかり押し付けてくるー」


めんどうだと言いつつ明るい口調で語るあたり、ディーもまんざらではないみたいで、瓶底眼鏡の下の頬が緩んでいた。


ディーに何か責任を課そうと思っていたことは確かだ。


教会という追手がいなくなった今、ディーがいつ姿を消すかわからない。素性も性別も身元もわからない研究者ではあるがその知識も実績も手元に置いておきたい。



だから役に立つうちはエサを吊るして縛っておき逃げないようにしておく。


「さぁ!そうと決まったからにはさっさと取りかかりなさい」


かくして、研究者にとって楽園と噂されたスティルアート研究所の安寧が破られることとなった。









「で、この報告書の山ってことかい?」


お兄様がクスクスと笑いながら執務机に積み上げられた報告書の束を手に取った。


偽宝石事件以降、お兄様は頻繁に領地へ戻ってきてくれるようになった。

進級前の春休みとはいえ学園でのお付き合いもあるはずなのに。


たまにどこかへ出かけているようだけど、なるべく私と一緒にいることが多い。


その様子をみてお母様は過保護すぎないかというが、お兄様が『メアリーがサボったり危ないことをしないか見張っている』というとあっさり引き下がった。



細かい字と図を交えて書かれた報告書は全て現在研究所で行われている実験や調査の内容だ。研究の詳細からその有効性、研究成果から導き出される魔道具に魔法式の数々…が事細かに記されている。


事細かに書かれすぎて読むだけで一苦労する代物だ。


「だったらこれを研究している研究者に直接報告させたら良かったんじゃないか?」


「最初はそのようにしていたのですが…研究者のかたってどうも…」


ルーシーが濁しながら言葉を選ぶ。


有り体に言ってしまえばかんたんな話なのだがお兄様を相手に失礼のない言葉を選んでいるらしい。



「研究オタクすぎて話が長いのよ。そのうえまとまりがないうえ一度語り出すと止まらないから逆に効率悪くて…」


「オタク?」


「自分の好きなものを好きすぎる人たちですわ。適切な距離を保てば専門家として有用な存在ですけどたいてい距離感を取るのが苦手なのでだんだん鬱陶しくなります。


その上てきとうに話を流すと感情的に怒るうえ聞き返したり質問なんてしようものなら嫌味をかましてきたり無駄に自分の知識を披露したがるめんどうくさい人たちです」



「お、お嬢様…それはあんまりでは…」


ルーシーがフォローしてくれるけど彼女もここ2、3日で同じことを思っていたらしくそれ以上のフォローはできなかった。


ふたりして小さくため息をついた。


偏見すぎることは認めよう。


私も前世はオタクと呼ばれた人間の端くれだ。好きなものに熱中してしまう気持ちもわかるしついつい喋りすぎてしまう気持ちもわかる。


ただ、聞き手としてあまりにも続くと疲れるのだ。


ここ数日研究所からの報告を執務室で受けていたけれど、せっかくの機会だから所長(私)にいかに自分の研究が素晴らしいものか知ってもらいたいという気持ちが溢れすぎて聞いているこっちが疲れてしまった。



おまけに私も勉強の時間やお友達とのお茶会の時間があって報告を受けられる時間が限られてしまう。


それなのに熱量の高いプレゼンばかり聞いていては逆に効率が悪い。


ちなみに時間制限を設けても無駄だった。

タイマーの音や静止の声なんて聞いちゃいない。



ルーシーも私も報告を精査するどころの話じゃなくなってしまい結果、書面で報告するよう方針転換したところこうなった。


細かい専門用語や知識が必要なところは都度、ディーに説明させている。

報告書を書いた本人を呼んでは同じなので面倒だけどディーを呼ぶことになった。



「メアリーが精査しなくてもディーに任せてしまえばよかったのではないかい?」


「それも考えたのですがディーに任せると全て却下して自分の研究の手伝いをさせそうで…」


「なるほど、たしかにディーからしたらそちらのほうが効率がいい」


古の魔法の復活という意味では有効な手段だけれど、私の早期の借金返済という目的は達成できない。


古の魔法ってやつを実用化して儲けがでるようになるまでに学園卒業する可能性だってある。




「で、なにか良さそうなものはあったのかい?」


「報告書だけ読んでいるといいものはいくつかありましたわ。以前から進めていた野菜の品種改良は新しいものが育ってますし、連絡鏡の改良についても実用段階に入っています」



「1台の連絡鏡で複数の相手と繋がるってやつかい?」


「はい。魔力の波長を登録することで可能なんですって。既存の連絡鏡との互換もできますから初期投資も少なく済みます」


「それは…かなりすごいことだって気づいているかい…?できることなら早く実現してほしい」


「あら、そうですの?ならこちらは優先順位を上げておきましょう」


連絡鏡の報告書を『優先順位 上』と書かれた箱に入れる。

報告書は優先的に進めてほしいものを上中下破棄の4つに分類している。ディーの古の魔法は上になっている。


「まぁそれでもすぐに利益の上がるものではないのですけれどね…」


研究の有用性は正直二の次なのだ。

求めているのは利益だ。すぐに稼げるような成果物はなかなかない。


「たとえ売れそうなものがあっても営業して販売にこぎ着けるまで時間がかかるところも問題なんですよね。

できれば貴族を相手にしたいのですが…」


ソニア商会を仲介する方法が良いのだけど手数料と称していくら持っていかれるかわからない。


研究所として営業部門を立ち上げる計画もしているけど間に合わない。



「だったら学園のお茶会を利用したらどうだい?」


「お茶会?」


「あぁ。学園では公式の行事というわけではないのだけど学生が主催になってお茶会を開くのだけどそこで話題になった物をあとで売り買いできるんだ」


「お兄様!その話詳しく教えてくださいませ!」


「あぁ」


なんでも、学園では貴族令嬢や子息、将来立場ある身分になる学生のための予行演習として学生が主催となってお茶会を開いている。


場所の設定から用意するお茶、催し物、テーブルアイテム、招待状、ドレスコードに至るまですべて計画して執り行う。


誰のお茶会に招待されたか、参加したかは派閥内の勢力図にもつながりお茶会の評判はそのまま学生の評判にも影響しそれが家の面子に関わることさえあるという。


政治的な関わりはともかく重要なのはお茶会で出されるアイテムのお披露目会も兼ねているということだ。


「お茶会にこの間教会の聖誕祭で出したコーヒーや研究所で開発しているお菓子を出したらどうだい?


王都ではまだお披露目していないものだし話題になっているよ」



「へぇ、でもお兄様がご自身のお茶会で使わなくてよろしいのですか?」


「可愛い妹が困っているんだから邪魔するようなことできないよ」


「お兄様…!」


お兄様はにっこり微笑んで手触りを楽しむように私の髪に指を通した。


むず痒いような恥ずかしいような、それでいて心地よく温かい感覚が湧いてきて言葉を詰まらせていると、バーンとドアが開く。



驚いてドアをみると、ノックもしない無礼な訪問客はディーだった。


「やぁ、お嬢様!今日の分の報告書をもらいにきたよ!あれ?おぼっちゃまも一緒?」


「ディーさん…ノックくらいしてください」


ルーシーが眉間にシワを寄せながら文句を言うがディーは全く気にしていないようでずかずかと入ってくる。


「今日はずいぶん小綺麗ね」


「奥様がこっちにいるからね。いつもの格好だと追い出されるんだ」


「なるほど…」


ディーはよそ行き用の綺麗な格好をしていた。髪は綺麗にまとめられ瓶底眼鏡はどこへやら。よれた白衣も着ていなければきちんと洗濯されたセンスの良い服になっている。



相変わらず体型は隠されているので性別は判断できないけれど、外見だけなら女性歌劇の男役、男装の麗人である。



「奥様は最近歌劇にも興味をお持ちのようで…」


ディーは整えたら見た目は良いし目の保養になるのだろう。



「そういえば劇場で新しい公演を始めたって言ってたわね。…まぁ小綺麗なほうが健康的でいいんじゃない?」


「めんどうなんだよ…」


そう言ってディーはため息をつきながら『優先順位 上』の箱にまとめられた報告書をめくった。


「連絡鏡の開発はお兄様もご希望だから優先して」


「これならほとんど出来がっているし試作品も渡せるよ」


「本当!?」


珍しく朗報だ。

お兄様も浮き足立っているのか身を乗り出している。



「あぁ。もともとボクがやっていた内容を渡しただけだし魔法石がなくて作れなかったけど最近は魔法石も入手しやすくなったからね。まだ売れるほど作ってはいないけど2、3個渡すぶんはあったはず」


「だったら早く試作品をちょうだい。私もほしいわ」


「まだ試作段階だから安定性に欠けるけど大丈夫かい?」


「何かあったらあなたを呼んで直させるからいいわよ」


「必ず繋がっていないといけない相手の連絡鏡は持たせておくから大丈夫」


「なら明日にでも持って来させるよ」


「ふふん、優秀な研究員と主任がいてくれて嬉しいわ」


「しかしきみたちは自分で連絡鏡を持たなくても従者の誰かが持っているだろう?必要なのかい?」


ディーが不思議そうにいうが、連絡鏡を従者に持たせているのはいくつも持たなくてはいけないからってだけ。


できることなら自分で好きな時に好きなように使いたい。

連絡鏡を使う程度なら魔力の消耗も激しくないし。



「メアリーと話そうとすると従者から止められるんだ。でも自分で持てたら従者に断りを入れる必要もないだろう?」



「まぁお嬢様が心配なのはわかるけどあんまり頻繁に繋ぐと嫌われますよ?」



お兄様はニコニコと笑うばかりでそれ以上は何も言わなかった。

最近はよく会っているけど、お兄様はもしかして領地を離れて寂しいのかしら?



将来的には嫌われるけれど、私はゲームのキャラとしてより家族としてお兄様が好きだ。

嫌われるまでの間くらい甘えさせてほしい。



それからディーとお兄様と報告書についてあれこれ話して、今日の分の報告書を渡す。

上が2割、中が1割、下1割で残りが破棄。

なんだこれ、ほとんど破棄じゃないか。



「あ、メアリー、新人歓迎会の衣装は決まったのかい?」


「あ!!」


すっかり忘れていた…。


「だろうと思った…。お母様と話し合っておくといいよ」



「はい…」



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