62’.蝶のはばたき、灰被り ~side ??~ 1
伯父様が逮捕された。
何の変哲もないごく普通の日だった。
突然屈強な警備兵たちが束になって家に押しかけ逮捕状を掲げるとあっという間に伯父夫婦に従姉妹は連れていかれた。
本来なら私も連れていかれる立場なのだろうけれど、襤褸同然の衣服で掃除をしていた私はどうやら使用人に間違えられたようで、あとから参考人として警備兵の1人が迎えに来て取り調べを受けた。
私は伯父たちが何やら怪しい商売や怪しい魔道具の製造をしていたことは知っていたけれどそれが何かなんて知るわけなかったし興味もなかった。
数度同じ内容の質問をされ同じ答えを返し、私が事件に無関係と判断されたことで家に帰ることが許されたが、伯父夫婦と義理姉が返ってくることは無かった。
伯父たちがこの家に上がり込んできたのは私が8歳のときだった。
事故で両親が突然亡くなった。
その日は伯父夫婦のお茶会に家族で招待されていたが私は熱を出して留守番をしていた。
お茶会を終えた両親が事故にあったと聞かされたのはその日の夜だった。
伯父たちが何か関係しているのではないかと考えたが今となっては証明しようのないことだ。
それより当時の私は激変した日常と両親の死という事件を受けて毎日生きてい行くのに必死でそんなことまで考えている余裕はなかった。
両親が亡くなって、当時8歳だった私は何の準備もなく当主となったのだ。
田舎の貧乏貴族なれどそれなりの財産と歴史のある我が家である。
今であればこういう場合は領主様を頼れば悪いようにしないはずだと気が付くけれど、当時の私にそんな余裕はなくあっという間に伯父夫婦にこの家を乗っ取られた。
表向きは両親を亡くした私の保護者を名乗り私が成人するまで保護監督すると言って当主代行を名乗るようになった。
それに逆らう使用人を次々に解雇して自分に逆らわない使用人を雇い入れた。
伯父夫婦はそもそも嫁入りしてきた母の兄にあたる人物でただの成金商家でしかない。
とはいえ貴族家である父方の親類は全員流行り病で亡くなってしまっている。
頼れる大人は伯父夫婦しかいなかった。
伯父は家の財産に手を付け怪しい商売を始めたようで、陰気な研究者や明らかに信用できない業者たちが出入りするようになった。
私が使っていた日当たりのよい子ども部屋は義理姉の部屋となり私の部屋はうす暗くジメジメした半地下にある元使用人の部屋になった。
いつの間にか私は伯父の好意でこの家に置いてもらっている立場になっていたようで、そのぶん労働で返すべきだと言われた。
朝から晩までくたくたになるまで使用人たちよりも過酷な労働を強いられた。
事あるごとに伯母からは叱責をうけ、使用人にはもったいないと私の持っていた服や僅かばかりの宝飾品は全て伯母や義理姉に奪われた。
唯一幸いだったのは両親から贈られた魔法石だけは隠し通すことができたことである。
そうなってくると誰もこの家の正当な跡取りだ誰だったか忘れてしまうようで使用人たちも私を下の下の使用人としか思わなくなって、自分たちの仕事も押し付けるようになる。
元からいた使用人は誰もいなくなっていたし使用人たちは私のことを伯父がどこかでこさえた妾の子とでも思っていたようだったが。
日の出よりも早く起きて朝食の準備をして部屋を整える。伯母と義理姉の朝の世話をして食事を出し山のように積みあがった洗濯を片付ける。
怠けるなと言われ魔道具の類は使わせてもらえないのでこの時代に洗濯物を手で洗う。
家の中の隅々まで掃除をしないと食事を抜かれる。塵ひとつでも見つかれば即座に伯母に告げ口されパンの一つも出てこない。
今にも折れそうな木でできた粗末なベッドにペラペラの寝具、すきま風が吹き込み明かりさえ満足につかない部屋。
手はあかぎれ真っ赤に染まり常に空腹で髪はぼさぼさ、襤褸同然の衣服をまとった私は誰がみても貴族の娘ではないだろう。
最も堪えたのはそれまで仲良くしてくれた街の人たちの態度だった。
それまでは街に出かけると誰もが笑顔で挨拶を交わしてくれたというのに今となってはどうだろう。
買い物に行くと誰も目を合わせることもなく歓談に興じることもなく最低限の会話のみで済まされる。
これまで仲良くしてくれた人たちは誰一人私なんていないような態度をとるのだ。
そうして私は人前で笑うことがなくなった。
こんな日々は3年程続いてきっとこれからもこんな毎日が続くのだろうと思っていた。
私の幸せな日々は両親の死と共に消えたのだ。
しかし転機は突然訪れる。
警備兵たちの取り調べを終え無関係と証明され家に帰ることが許された。
使用人たちは私が帰ったことなんて全く気づかなくて、当主代行が警備兵に連行されたままぎこちなく日常を取り戻そうとしていた。
でも新聞で大々的に伯父夫婦らの逮捕が報じられると態度は一変する。
真っ青になった使用人たちが私の部屋のドアを早朝からけたたましく叩き、それまでいないも同然に扱っていた私に詰め寄った。
「これはどういうことなの?!」
「あんた何か知ってるんだろ!?俺たちはどうなるんだ!」
「これからどうしたらいいのよ!」
「おまえはこの家で一番の古株だろ?」
今更か、そんな呆れた感想しか出てこない。
彼らは都合のいいときだけ利用するだけなのだ。
私といえば帰宅が許されたときから伯父たちがこの家に戻ってこない予感がしていた。
これまでできなかった朝寝坊を邪魔され、更には寝起きから騒がれて煩いことこの上なく不愉快でしかなかった。
「黙りなさい」
静かに、なるべく響く声で毅然と堂々と。
かつて母から教えてもらった使用人たちにうまく指示を出すコツだ。
「なっ!!」
「えっ…」
急に態度が一変したことで言葉を失った使用人たちは口をぽかんと開けて私を見つめていた。
全員に一度目配らせをする。
誰も目を背けるな、そういう意味を込めて。
「伯父たちはもうこの家に戻ってくることはないでしょう。あなたたちの雇用についても継続させることは困難と思われますがそちらは決まるまでお待ちください」
「な、なんの権利があってそんなことを…!」
「そうだ!おまえは旦那様の妾の子だろうが!」
「この家の正当な後継者が誰かご存知ないようですね。あなた方はどうして伯父が家名を名乗っていないかご存知ないのですか?
彼らはあくまで私が成人するまでの保護者でしかありません。このような事態になってしまっては保護者としての役割も果たせないでしょう。
今は現状の処理に当たらなくてはなりませんので失礼いたします」
使用人たちにとっては全く未知の情報に処理が追い付いていないようで、目をパチパチとさせていたが、私は内心納得もしていた。
誰もこんな襤褸を着て使用人同然に扱われている子どもが貴族の子なんて思わない。
私は部屋のドアをわざと音をたてて閉める。古い木でできたドアは蝶番からイヤな音を出しきしんだ。
ドアの向こうから使用人たちが騒ぐ声と足音がする。
どこか遠くの世界のことのようにその音を聞いて、これからどうするか考えていると玄関に訪問者が訪れた。
警備兵だ。
しかし最初のときのように屈強な男が何人もいるわけではなく、数人の細身の男が立っていた。
「ご当主はいらっしゃいますか?」
警備兵の問いかけに使用人たちは困惑しているようだ。
これは私が行ったほうがいいだろう。
自室から出れば気が付いた使用人たちによって前に前にと押し出された。
「…」
あっという間に警備兵の前に立たされた私をみて警備兵のほうも戸惑っているようだった。
「えっと…ご両親は…」
「両親は3年前に亡くなりました。ほかに親戚もいませんので当主ということであれば私になります」
そう言って両親から贈られた形見でもある魔法石を差し出せば警備兵の顔が一瞬で固くなる。
「こちらを拝見してもよろしいですか?」
「もちろん」
警備兵は魔法石に仕込まれた式を丁寧に確認していく。
その様子を背後の使用人たちが固唾を飲んで見つめていた。
「大変失礼いたしました。あなたを正式なご当主として認めます」
その言葉に使用人たちからいくつか悲鳴が上がった。歓声とか喜ばしいものではなく文字通りの悲鳴。
バタンと音がしたので誰か倒れたのかもしれない。
私の衣服や身なりについて警備兵たちは色々疑問があるようだけど気づかないフリをして応接室に通す。
「お、お嬢様、御召し換えなどは…」
「今更当主扱いしてくれなくて結構よ。それよりお客様をお待たせするわけにはいかないわ。早くお茶を出してくれないかしら?」
「は、はい」
付け焼刃のようなぎこちない態度をとる使用人を一蹴して応接室のソファに腰かけた。
伯父たちが逮捕される前に私がキッチリ掃除したから埃一つ落ちていないのに、私の服についた塵埃がソファを汚す。
「それで本日はどういったご用向きで?」
かつて母に叩き込まれた礼儀作法を総動員してにっこりとほほ笑んだ。
長いので1度切ります




