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婚約破棄がはじまらない!!  作者: りょうは
'ラブファン~side M~
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60’.釣られて吊られ~side Ather~

私はドミニク・ディーン。

スティルアート領を拠点に活動するしがない宝石商である。


宝石商と名乗ってはいるがとある男爵様がどこかで仕入れてきた宝石をほかの貴族の方々に売ることが仕事で、私は宝石の仕入れ等は行っていない営業職のようなものだ。


過去には自分で各地を回って石を仕入れ売っていたものだが、家族が出来た今となっては安定した収入と毎日可愛い子どもと妻の元に帰ることができる生活を選んだ。


雇い主である男爵様にはもう少し給料を上げてほしい要望はあるがさして不満もない。

ある日突然どこそこの貴族様にこの石を売ってこいという無茶な命令を出されることもあるが…。


男爵様は元々宝石の売買をしていたかたではなく、ある日突然良質な石をどこからか大量に入手されたようだった。

しかしご自身に売るノウハウがなかったので自分のような宝石商を雇っている。


私の今の仕事は旦那様が仕入れた石をより高い値段で売り次の商談につなげることだ。



少々退屈な仕事ではあるが、安定した収入と毎日可愛い子どもと妻の元に帰ることができる生活を選んだ。



今日の商談先はなんとこのスティルアート領領主のお嬢様である。



スティルアート家のお嬢様は10歳をお迎えになってご自身でアクセサリーを選ぶことに興味がでてきたそうだ。


これまではお付きのメイドや母君が選んでいたアクセサリーや衣裳を自分で選ぶようになる女の子なら誰しも通る道に当たっているが、そこは飛ぶ鳥を落とす勢いのスティルアート家ご令嬢。


ごく普通の宝石には興味がなく、特別な石をお求めになりアルテリシア中の宝石商を集めんとするほどだという。


メアリー様が金に糸目を付けずに宝石をお求めになっているという噂は瞬く間に宝石商たちの間を駆け巡った。

我こそはと名乗りを上げた宝石商が自慢の一品を携え意気揚々とスティルアート家の門をくぐったが誰一人ご要望に応えることができず、どういうわけか泣きながら邸宅を後にするのだ。


誰もが詳細を語りたがらず、ただ言う事は『メアリー様と商談なんてゴメンだ』『二度と会いたくない』と。



生活の安定を求める私としてはぜひとも避けたい商談相手なのだが、いかんせん雇われの身。

上司である男爵様から行けと言われたら行かざるをえない。


案の定、金に目がない男爵様がケース一杯に詰められた入手先不明の宝石を押し付けると『これを全て売りつけるまで帰ってくるな』と無茶な命令を出して行った。


この商談の結果に関わらず転職を考え始めた頃に私はスティルアート家の邸宅前に到着した。


慇懃に出迎えた執事に自分がアポを取った宝石商であることを伝えると、慣れた様子で屋敷のなかを案内される。

毛足の長い絨毯や邸宅を彩る美術品に見惚れながら進むとそこには自分のほかにも宝石商と思わしき身なりをした男らが廊下に並べられた椅子にかけて待機していた。


同じく私も待つよう執事は言うとくるりと踵を返して元来た廊下を引き返していった。


あっけに取られてしばらく立ち尽くしていが、やがてすることもないので先に来ていた宝石商たちと同じように椅子に腰かけた。


「おや、あなたもメアリー様に石を売りにきたのかい?」


「えぇ、まぁ…それにしても立派なお屋敷ですな」


私より先に来ていた宝石商はジャスパーと名乗ると人好きする笑みを浮かべ愛想よく話しかけてきた。こういうとっつきやすさも営業を生業とする者には必要な素養だろう。


宝石商に限らず高価な品々を扱う者には信頼はもちろん高貴な方々に気に入られることも重要である。

私の鍛えられた表情筋は呼吸するより容易く聞き取りやすい声と警戒心を解く笑みを作りだした。


「わたしよりも先に3人ほど入っていきました。でも誰一人良い取引とはいかなかったようです」


「それは恐ろしい」


「なんでも、メアリー様はほかの誰も持ったことが無い『特別な宝石』をお求めのようですが…」


「一体どのような石をお探しなのでしょうね?」


スティルアート邸に行くにあたって、私も知り合いの宝石商からいくつかメアリー様がお探しの石についての情報を集めた。

しかしそのどれもが信じがたい内容で、持参したアクセサリーを粉々に破壊されただの、息をしていることすら後悔するほどに罵倒されただの信じがたい内容だった。


だがそんな噂さえも信じさせてしまうのがメアリー様だろう。


スティルアート家のお嬢様は両親と兄にとても甘やかされて自分の我がままが通らないと何をするかわからないという。



しかしメアリー様に気に行って頂ければメアリー様の御用達になれる可能性があるのだ。

今アルテリシア内でも上り調子のスティルアート家のメアリー様御用達の看板は誰しも喉から手が出るほど魅力的だ。

たとえメアリー様が気難しいお方であったとしても『あの気難しいお嬢様に気に入られた宝石商』という肩書はどこへ行っても良い方向に傾く。


可愛い子どもと妻のためにも昇給しなければいけない私としてはまたとないチャンスだった。


それはほかの宝石商たちも同じだろう。



宝石商と世間話に花を咲かせながら順番を待っていると重たい扉が音もなく開いて、中から仕立てのよい燕尾服を纏った執事と、真っ青な顔をした若い男が出てきた。


どうやら男のほうは宝石商のようだ。オーダーメイドと思わしきスーツを纏いながらも表情が重く顔は青い。よほどつらい目にあったのか金属の頑丈なケースを下げた腕はボロ布みたいに垂れさがっていた。



「では次のかた、お入りください」


「お先に行ってきますよ」


「吉報をお待ちしております」


「また心にもないことを」


ニマニマと自信有り気な笑みを浮かべたジャスパーは会釈をしてから部屋の中へと入っていった。


すぐさま先ほど出てきた若い宝石商に声をかける。


「やあ、どうやらその様子では結果は芳しくなかったようだね」


「あぁ…そうだよ、あんたの想像通りの結果だ。俺は二度とあんなご令嬢の相手はしたくないね」


男はため息交じりに肩を落とすと、手に下げたケースを軽く振った。ご自慢の品々が詰められたケースの中身は最初にこの扉をくぐったときと重さは変わっていないのだろう。


「一体何があったんだい?どこの誰に聞いてもメアリー様との商談について一切語ってくれないんだ」


男は鼻を鳴らすとよほど腹に溜めたものがあるのか、なるべく響かない声量でまくしたてるように話始めた。


「そりゃそうだろうよ。あんたも話してみりゃわかるだろうけど…この石はどこで手に入れたものだとか、仕上げたのはどういう職人かだの聞かれるんだ」


「ふむ…」


その程度の内容なら並み居る宝石商たちが再起不能になるようなことではない。

美しい宝石に物語を求める人は多いのだ。私も宝石の出自から仕上げたデザイナーのこと、どのような意図をもって今ある形となって生まれたかを語ることで『特別な逸品』であることを強調する。


それほど珍しいことではない。


「どうせよくある話だ、とか思っているんだろ?問題はその後だ。あのお嬢様の背後に構えている鑑定士だ。ちょっとでも間違えるとすぐに訂正してくる」


「あぁ、商会の人間だろう?さすがにメアリー様だけでは不安だろうしそのくらい…」


「俺だってお嬢様だけで選ぶなんて思っていないさ。だがな、訂正されたが最後あのお嬢様の餌食だ!」


「と、いうと…?」


私は男の顔を覗き込むように伺うと、男はカッと目を見開いて語り始めた。




メアリーお嬢様が男と対面したときから既にご機嫌麗しくなかったという。


不機嫌そうにソファに腰かけ口元は山を描いていた。

出だしから苦戦する気配を感じた男の予想通り、巷で流行しているイヤリング、髪飾り、まだどこにも出ていないネックレスや指輪をお見せしてもお嬢様の口元が弧を描くことは無かった。


お嬢様が全く興味を示さないことに困った男は奥の手である品を出すことにしたのだ。



『こちらのネックレスに下げられたガーネットはかの名だたる…』


男はいつものように流れるような口調で自慢のネックレスを紹介した。若い女性の間で流行しているというしずく型にカットした赤い石は明るく輝いていた。

存在感のある石の特徴を存分に生かしたデザインは一目で気に入るに違いないだろう。



『ガーネット?これが?』


ところが、お嬢様は石をみるなり怪訝な顔をして眉を寄せた。


『え…はい、こちらはガーネットで…』


『失礼』


スッと音もなくお嬢様の背後から男が頭を出して白い手袋を嵌めた手を伸ばす。ネックレスを乗せた布張りのトレイを取り上げると隣に控えていたメイドが持っていた器具の上にネックレスを乗せた。


『お嬢様、こちらはガーネットではありません。似て非なるスピネリという石にございます』


『まぁ!この方ったら私を騙そうとしているのかしら?』


『まさか!そのようなことするわけ…こちらは間違いなくガーネットにございまして』


『お黙りなさい。たとえ騙す意図がなかったとしても私に紛い物を持ってきたという事実に違いはないわ』


『ただ…そう、間違えただけにございます!そちらはデザインが素晴らしい品でございましてスピネリとて美しい石ではありませんか』


男は必死で食い下がったが、お嬢様が男の意見を受け入れることはなかった。


『私は特別な宝石がほしいの。こんな紛い物じゃなくてね』


『スピネリは紛い物では…』


『私の欲しい石ではないなら紛い物よ。たとえどんな高価な宝石だろうとね』


そういってお嬢様が小型のハンマーを構えると、テーブルに置いた台座の上に赤く輝くスピネリの石を置いた。まさか、と男が止めようとするがそれよりも早くメアリー様のハンマーが迷うことなく振り下ろされる。

鋼鉄のハンマーは一切の慈悲もなく石に叩きつけられハンマーが持ち上がった時には粉々に粉砕されていた。


『あぁ…なんという…!!』



『ほら、やっぱり私の欲しい宝石じゃなかったわ。あなた一体何年宝石商をなさっているの?この程度の鑑定もできないなんて才能がないのではなくて?』


『…』


わずか11歳の少女から放たれた『才能がない』という一言がこれまで順風満帆な人生を歩んできた男の自信を粉々に打ち砕いたのだろう。


その絶望たるや想像に難くない。


『もういいわ。あなたには何も期待していなかったし。退屈だったのよね。お引き取りしていただいて?』



お嬢様はそっけなく男に向かってシッシと手を振った。男は今にも泣きそうであったがその程度で手を抜くメアリー様ではなかった。ネックレスの弁償費用と言われた封筒を執事に握らされ部屋から閉め出されたというわけだ。



「ちくちょう…俺が何したっていうんだ…ぶっ壊すくらい気に入らなかったのか?」


「まぁまぁ…気を落とすなよ。相手はあのメアリー様だぜ?一筋縄でいく相手じゃないさ」


目の前で石を叩き割るくらいだから相当お怒りだったのだろう。

そしてすぐさまハンマーと台が出てきたというあたり、初犯ではない。

すでに何人もの宝石商がお嬢様の怒りを買い、目の前で自慢の品を破壊されてきたということだ。


「あのネックレス高かったんだ…それを…それを…うぅ」


「泣くなよ。お嬢様から金はもらってんだろ?それで一杯飲みに行くと良い。ちょっと運が悪かったんだ」


「あぁ…そうするよ。あんたいい奴だな。商談がうまくいくことを願ってる」


「こちらこそ礼をいう」



少しだけ気が晴れた男の背を見送り思考を巡らせた。

おそらく男は本当にスピネリのネックレスをガーネットと言われて仕入れたのだろう。そのように騙さるケースは少なくない。見分けのつきづらい石を選んで審美眼のなさそうな宝石商を狙って高値で売る悪徳業者に当たったのだ。

もちろんこちらも一々騙されていてはキリがないので注意は払うが、所詮信じられるのは自分だけだ。


男はガーネットとスピネリの区別がつかなかった自分を恨んでもらうほかないだろう。





「次のかた、お入りください」


執事が部屋から出てきて、それに続くようにジャスパーが出てきた。案の定、表情は浮かない。

入っていくときの明るい顔が嘘のようだ。


「いい商売ができるといいな」


「あぁ」


ジャスパーと入れ違うように私は入室する。

殊更丁寧にあいさつをしてようやく頭を上げる許可がおりると、予想通りそこには不機嫌そうなお嬢様がソファにふんぞり返っていた。


「今日はあなたで最後よ。ぜひとも私がほしい特別な宝石をご提案してちょうだい」


「ご期待に添えるとよいのですが」


私は鞄から石の入れられたケースを取り出すと、丁寧に蓋を開けてお嬢様の前に差し出した。


「まだ石の状態なのね」


「はい。お気に召していただいた品をお好きなアクセサリーに加工いたします」


「ふうん。これはどういう石なのかしら?」


お嬢様は躊躇いもなく群青色の石を指で摘まむとお菓子でも食べるように目の前で眺めはじめた。


「こちらはアイオライトにございます。菫のような青いお色が美しい石です」


「そう」


お嬢様はそっけなく返すとケースの中の石をしげしげと眺めはじめた。

すこしは興味を惹くことが出来ただろうか?

ケースの中に所せましと並べられた石はまん丸のものから楕円を描くものまで様々だ。最初から指輪はネックレスにされたものより持ち主の気に入る形にされたほうが良いだろう。


「まぁ手っ取り早くしましょう」


「え?」


お嬢様はポンと手を叩くと先ほど男が言っていた通りにハンマーを握り台の上にアイオライトを置くとハンマーを振り下ろした。パリン、と小さな音を立ててハンマーの下ではさっきまでアイオライトだった石の破片が散らばっている。


予想していた通りというか、急すぎる事に頭が追い付いていないのか、しばしあっけに取られているとお嬢様と背後の鑑定士と思われる男、白衣を纏った瓶底眼鏡の男がアイオライトの破片を凝視していることに気が付いた。


私もつられて破片を見つめると、破片はフルフルと小さく震えはじめ、一人でに周囲の破片と重なり溶けあい混ざり始めたではないか。



「こ、これは…!」


「ドミニク・ディーン?」


「は、はい!」


何が起こっているのかわからないまま名前を呼ばれ反射的に返事をしてしまう。


お嬢様はにんまりと今日一番の笑みを浮かべるとこういった。


「詐欺罪の重要参考人としてあなたの身柄を確保します。無事に家族のもとに帰りたいなら協力することね」


「は、はい…」


けたたましい足音は警備兵のものだろう。


何が起こっているのかゆっくりと理解して、私は降参とでもいうように両手を上げる。


私はいけ好かない金払いの悪い男爵様より可愛い子どもと妻の元に帰ることができる生活を選んだ。




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