58’.10歳 偽宝石事件
お兄様、ラブファンにおける攻略キャラの1人、アルバートはついにゲームの舞台であるアルテリシア国立学園に入学した。
一応試験はあるけれど家庭教師たちにみっちりと教育を受けたお兄様をはじめとする上位貴族には試験とも呼べないほどに簡単な内容だそうで、私は試験を受けていた事すら聞かされていなかったのだ。
入学式だって貴族同士の不要な衝突を避けるために父兄は参加できないから、最近お兄様が屋敷に戻らないなぁと思っていたら学園に通っていたせいだと知らされて激怒したものだ。
まぁよく考えたらお兄様と私の年齢差は3歳で、学園には11歳から通うわけだからお兄様が入学するのは当たり前といえば当たり前なんだけどね…。
でも学園といえばラブファンの舞台。
いわば聖地。
聖地巡礼をするチャンスだったというのに…中に入ることは出来なくても一目見るだけでもしたかった!!
ちなみにゲームのアリスちゃんは編入なので最終学年だけ学園に通っている。
「はぁ…暇ね…」
領地内の運営は小さなトラブルはあるものの私のところまで話が来るほどではない。
衛生改善計画は既に私の手を離れ環境部で取り仕切っているし、動物園や公共設備についても建設部でそれぞれ管理運営されている。
そしてお母様から領地のことにかまけすぎて勉強が疎かになっているとお父様に苦言が入った。
私は貴族のご令嬢らしく家庭教師とのお勉強に刺繍に読書、予定が合えばお友達と言う名の将来の取り巻きたちとお茶会に興じている。
「お嬢様がお暇ということは平和な証ではありませんか?」
ルーシーがテーブルに広がった本をまとめながらクスクスと笑った。
役所勤務だったルーシーは結局役所に戻ることはなく私の文官とを続けている。
文官と言うより秘書と世話役をくっつけたみたいな位置付けで、私の勉強をみてくれたり貴族としての仕事をするときのサポート役ってかんじ。
メイドのエマとデイジーも私に付く頻度が上がっているようだった。
まぁ結局メイドの顔と名前を覚えきれないままクビを切ってしまうに違いはないから顔と名前が一致しているメイドがいるほうが何かと楽ではあるのよね。
「まるで私が何かトラブルを起こしてまわっているみたいな言い方ね」
「まさかそのようなことは」
冗談とわかっているルーシーは口ではそう言いながら目元は笑っていた。
かれこれ2年ちかく一緒にいると世間で悪名高い悪役令嬢の冗談にも付き合えるようになるらしい。
「だからってボクの研究室を根城にしないでもらえないかなぁ…」
「いいじゃない。どうせあなたが追っている古い魔法とかの研究は進んでいないのでしょ?」
「…とかって…」
お勉強が終わったら今度は刺繍のお時間だのなんだの言われいい加減飽きてきた私はディーの研究室に脱走していた。
離れにあった旧使用人棟はいつの間にか怪しい研究者たちが集まるようになって、そのままスティルアート研究所と呼ばれるようになっていた。
最初こそ反対があったけれど、私が食べやすい野菜を開発しろと命令したことと、結果さえ出せば旧使用人棟は好きにしてくれて構わないと責任者でもあるお母様から許可が下りたことで今に至る。
ディーが呼んだ野菜の品種改良を専門にしている研究者たちは食べやすいトマトやピーマンを開発してくれた。
今はスティルアートの領地で試験栽培中だ。
虫とか病気とか収穫量の問題とかあるみたいで栽培は難航しているらしい。
ぼさぼさ頭と瓶底眼鏡にアイロンをかかっていない白衣がすっかりトレードマークのディーではあるが、メイド長からの厳命で毎日風呂には入って服は変えているらしく人として最低限の部分は守っていると言っていた。
おかげで教会にいたときより少々顔色がいい気がする。
「毎日お勉強に刺繍にって…暇なのよ。なにか面白い話題はないわけ?」
「貴族のご令嬢なんてそんなもんでしょ…」
ディーは呆れたように言うけれど、私がお勉強と刺繍を大人しくしていないことはわかっているだろう。
ちょうどその時、廊下で待っていたデイジーが控えめにノックしてひょっこりと顔をのぞかせた。
普通こっちからの返事を待つものだけどたいした話をしていないことは外からでもわかったようだ。
一緒に覗き込んできたエマが相変わらず散らかり放題の研究室とディーをみて眉をひそめた。
…うん、汚いもんね…。
言いたいことはわかるよ…。
「あの…奥様からご連絡が…」
「お母様から?何かしら?」
「…きみがサボったことじゃないの?」
「奥様がその程度のことでわざわざご連絡されるわけありませんよ」
悲しきかな、ルーシーの言う通りそんなことでお母様が一々怒るわけがない。
お母様はまとめて叱る派だ。
デイジーが花模様が施された連絡鏡を開くとお母様がにこにこと笑っていた。
貴族たちが使う連絡鏡は性能がよく、前世の世界で流行り始めていたテレビ電話より高画質で高性能な動画をリアルタイムで遅延なく送ってくれる。
その鏡が映す限りお母様は怒っているわけではなさそうだ。
『メアリー、今は刺繍をしているはずではなくて?どうして研究所にいるのかしら?』
「刺繍なんて飽きてしまいましたの。今日はディーのところで見聞でも広げようかと思いまして」
『見聞を広めたいのでしたらちょっとお手伝いしてくれない?』
「お手伝い、ですか?」
いつもはお勉強をサボることに難色を示すお母様にしては珍しいことだ。
お手伝いというと領地内の貴族たちのことだろうか?
『以前メアリーがソニア商会のお店でアクセサリーを買ったの覚えてる?』
「あぁ…そんなこともありましたね」
それはオーギュスト様たちがいらっしゃる前、ルーシーやエマ、デイジーを連れて街に行ったときのことだ。
ソニア商会が新しく出した宝石店で私からプレゼントを買った。
あのときルーシーに買った髪留めは今はルーシーの黒い髪を彩っている。
『そのときメアリーがいくつか宝石をわけてくれたでしょう?』
「えぇ、なんだか違和感のあるものをよりわけましたね」
あのときは何が何だかわからなかったしそれから特に話題になることもなかったので忘れていたけど、なんだったのかしら?
『あれ、どうやら偽物だったのよ』
「偽物?!じゃあソニア商会は偽物の石を売っていたってことですか?」
『結果的にそういうことになるわね。うちの鑑定士が見極められなかったって言うところにも責任があるんだけど…ちょっとその件で手伝ってくれないかしら?』
「手伝うって言っても私はたいして何もできませんよ?石だってなんとなく違う気がしたってだけですし…」
『そっちじゃないわ。詳しく話すからディーさんも一緒にこちらへ来てくれないかしら?』
「わかりました…」
ディーも一緒にというところが気になるけど、ひとまずディーの見た目を綺麗にして私たちはお母様の執務室がある屋敷へ戻った。
デイジーとエマがディーの身支度にものすごくイヤそうな顔をしていたけどそんなことは気にしない。仕事だ。
お母様の執務室には見慣れたメイドたちと、見慣れない壮年の男性がいた。
手入れの行き届いた身なりはそれなりの高位の役職か貴族の人間だろう。黒縁眼鏡の奥から覗く眼光は鋭く、思わず怯んでしまいそうな気迫があった。
「メアリー、ディーさん、よく来てくれたわね。こちらはハリー。ソニア商会のジュエリー部門で鑑定士をしているの」
「初めまして、メアリー様。私はハリー・ファース。お会いできて光栄です」
「初めまして」
怖そうな見た目と反して話してみるとハリーは物腰は柔らかく紳士然とした雰囲気のある人だった。
眉間に深く刻まれた皴の跡が性格を表しているけれど、どうやら怖い人ではないみたい。
「それで一体私は何をしたらいいの?ディーまで呼んだってことは魔法絡みなのでしょう?」
「その通りよ。まずどうしてディーさんを呼んだかね。こちらを見て頂戴」
ハリーは足元に置いていた黒い分厚いカバンから藍色のビロードが貼られたケースを取り出した。
A5サイズほどのそれをテーブルに置き蓋を開けるとそこにはキラキラと色とりどりに輝く石が収められていた。
楕円形の艶やかな弧を描いたものからブリリアントカットのダイアモンドと思わしき石、血のように赤い石、深い海のような色、新緑の緑、はちみつの黄色…。
まさに色の洪水のような麗しき宝石たちが規則正しく並んでいた。
「これは…宝石?」
「全て偽物です。メアリー様が以前店にいらしたときにより分けて頂いた石にございます。全て魔法による鑑定をおこなった結果魔法式がみつかり偽物と発覚したしました」
「魔法式があったってことはこれは全て魔法石だったということですか?」
「ご明察にございます」
「どうしてわかったのかしら…」
いくら貴族令嬢とはいえ私には鑑定の技術なんてないし異世界転生したからってこれまでなにかチート能力に目覚めたこともない。
魔法があるような世界だからチート能力があったとしてもおかしくはないけれど、たとえそうだとしたら唐突すぎないか?
「おそらくそれはメアリー様の勘ですね」
「勘?!」
ハリーがサラリと答えるので私は思わず聞き返してしまった。
いや、勘ってなんだ。勘って。
「メアリー様は幼少の頃より本物の貴金属に囲まれていらっしゃいました。
ほかにもスティルアート邸にある品々は全てアルテリシア国内から集められた銘品。
そういった本物に囲まれて育ったメアリー様には偽物を見抜くお力があったのかもしれません」
「あぁ、珍しいことじゃないよ。日頃からホンモノに囲まれていたお嬢様はいつの間にか審美眼が養われていたのかもしれないね」
「だから勘…」
なんだ…チート能力じゃなかったのか…。10歳にしてチート能力覚醒かと思ったのに残念だ。
育った環境で養われた能力ってことは異世界転生ボーナスではないだろう。
まぁ石をみたところでなんか変だな~程度にしか思わないからたとて転生ボーナスでもたいしたことは出来なさそうだしいいけどさ。
お母様とルーシーは納得したようにうんうんとふたりの話を興味深そうに聞いていた。
「さすがお嬢様ですね。とても素晴らしい能力ではありませんか!」
「ルーシー、白と黒の見分けがつく程度の勘なのよ…たいして嬉しくないわ」
「そんなことはありません!騙されない勘というものは時として重要な意味をもちますから」
「そちらの文官殿の言う通りだ。実際、我々は誰一人気づくことができなかった。まだまだ鍛錬が足りなかったのでしょう」
ハリーは恥じたように目を伏せた。今回の失態は彼ひとりの責任ではないかもしれない。
でもハリーがここにいるということは彼が責任者だったのだろう。
「どうして私に見分けがついたのかはわかったけど、それで私は何をしたらいいの?」
「単刀直入に言うわね。この偽物の宝石をウチに売りつけた犯人をみつけてほしいの」
「はぁ…」
お母様は至極当たり前のように、まるでお茶にでも誘うような調子でとんでもないことを私に言った。
なんて?犯人?探す?
それって警備兵の仕事じゃないの?
「あ、あの…それは警備兵の仕事ではありませんか?どうして私が…?」
「警備兵やウチの影たちの能力を疑っているわけじゃないのよ。でも今のままじゃたとえ犯人をみつけて捕まえたとしてもただふつうに逮捕してお終いじゃない?」
「えぇ…まぁそうですね」
私たちはお母様の商会が騙されたってことで大事件のように考えているけれど、世間からしたらただ大きな商会が騙され犯人が速やかに逮捕されたというだけで終わってしまう話題だ。
それどころかソニア商会は偽物の宝石を鑑定できない鑑定士を雇っているということ明るみに出て評判に傷がつく。貴族相手の商売は信頼が重要なので評判に傷がつくことは避けたい。
さらに今上り調子のソニア商会を良く思わない他所の商会や話題に飢えた記者たちがあることないこと言ってまわらないという保証もない。
「だからウチとしては表ざたになる前に犯人を捕まえて、犯人にはしかるべき制裁を与えたいのよね」
「…つまりソニア商会の名に傷を付けず犯人を酷い目に合わせたいということですか?」
「さすがメアリー。わかっているじゃない」
「それに協力してほしいと…」
「えぇ。私のほうでも手をまわしているけどあっちから警戒されちゃって…そこでメアリーの出番よ。あの元主教たちを一網打尽にた手腕を是非見せて頂戴!」
お母様はポンと手を叩いて喜色満面で、どうみても娘を危険に晒すことへの危惧とか不安はなさそうだ…。
犯人が危ない人だったらどうするつもりなのか…。
それでも母親か?いや、今は大商会を取り仕切る女社長なのだ、この人は。
「そのお話、私に何のメリットがありますの?」
「まぁ、メアリーったらいつの間にかしっかりするようになったわね」
「そりゃまぁ…」
お母様はパッとソニア商会の社長としての顔になった。こういう切り替えの早さがさすが公爵夫人だと思う。
「そうね、この仕事をやり遂げてくれたら研究所をあげましょう」
「えぇ?!?!」
隣で傍観を決めていたディーが飛び上がった。まさか自分に関わることだとは思わなかったようだ。
「今『スティルアート研究所』は私が所長になっているの。でも正直私は面倒みれないし研究所にまで気を回している余裕はないの。だからメアリーの好きにしていいわよ」
「私の好きな時に好きなものを開発しろって言ってもいいわけですか?」
「もちろん。あなたが所長ですもの。好きな研究や魔道具の開発をさせればいいわ。もちろん予算はだしましょう」
「いいでしょう。引き受けました」
「ちょっと!ボクらの意見はどうなるんだい?!お嬢様が所長になったらとんでもない要求をされるに決まっている!」
「もともとメアリーのお願いをよく聞いているのだし今と変わらないのではなくて?
それにメアリーが所長になるなら今より予算はだすのだし、そちらとしては良い話じゃない」
「そりゃ予算が増えるのはありがたいですが…」
研究にはお金がかかる。
結果が出るか出ないかも、いつ出るかもわからない研究にいつまでも高額な資金を提供してくれる貴族というのは貴重なのだ。
さらに貴族たちも信用できる人物にしか資金を提供しない。
その信用を得るためには研究の時間を減らさなくてはいけない。
とくに口出しもせず場所とお金を出してくれるこの環境はディーたち研究者にとっては楽園のような場所なのだろう。
「そして今回の件にはあなたたち研究所の人たちにも協力をして頂きます。それによって来年の予算を決めましょう」
「えぇ!?」
「当然でしょう。よい仕事をして頂ければそれに見合った報酬をお渡しする、仕事をしないのであれば報酬をお渡しする必要はありませんからあの研究所は取り壊します」
「そんな…」
有無言わせないお母様の提案によってディーたちは研究所を失うか研究費が増額されるかの瀬戸際に立たされてしまった。
まさに天国と地獄。
どちらに行くかは己の行いと腕次第。
旧使用人棟で好き勝手してきた代償だろう。
しかしお母様が研究所を取り壊すと言えば今すぐにでも取り壊す。
理由はかんたん。いう事を聞かなかったから。
別に旧使用人棟がなくてもお母様は困らない。ディーの保護は旧使用人棟じゃなくてもできるのだし、集まってきたほかの研究者たちへの責任はない。
ディーもそれがわかっているのか、急に突き付けられた通告に落ち込んではいるものの不満はなさそうだ。
ただカビでも生えそうなほど凹んでいるけど…。
「さて、じゃあこちらでわかっていることの情報提供をしましょう。今回はスピード解決がカギなの」
「えぇ。そうですね」
私はテーブルに並べられた偽宝石と向かい合った。
そこには違和感こそあるけれど、何が違うと聞かれたら具他的にはできない不気味な石が鎮座している。
「まず、魔法式が仕込まれていたってことでしたけどどういう魔法式でしたの?」
「ただの魔法石の姿を変え維持する式です。こちらをごらんください」
ハリーは鞄から小型のハンマーと分厚い台を取り出した。
白い手袋をはめビロードの箱から緑色のオーバルブリリアントカットにされた石を取り出す。
それを台に置き失礼、と断ってから思い切りハンマーを振り落とした。砕けるような鈍い音がしてハンマーを持ち上げるとそこには元の緑色なんてどこにもなくて、魔法石特有の黒っぽい破片が散らばっていた。
「しばらくご覧ください」
ハリーはハンマーと手袋を鞄に戻し両手を広げて肩の位置くらいに上げた。
降参とか、そういうポーズにみえるけど意味することは全く別のことだろう。
最初は何も起きなかったけれど、次第に黒の破片たちはカタカタと揺れ始めたではないか。
「え…?!」
そこからは早かった。
破片は意思をもったようにじわじわと元あった場所に戻りひとつの塊を作った。
小さな振動音を立てながら破片同士の境界線は溶け、まるで初めから砕かれたことなどなかったようにオーバルブリリアントカットの宝石の姿に戻っていった。
最後に黒色だった石から色が湧き出て緑色に染まり、そこには何事もなかったように最初にみた緑色の石が転がっている。
「嘘でしょ…」
「ま、魔力の供給は!?!?一体どうやって!?」
打たれたようにディーが身を起こしてハリーに詰め寄った。
こんなに取り乱したディーをみるのは初めてかもしれない。
「もちろんしておりません。石が勝手にしたことです」
「……」
「どうして?魔法石にも多少は魔力を溜める力はあるのではないの?」
「あるにはあるけれど本当に僅かなものだ。
この石にいつ魔法式が組み込まれたのかはわからないけれど、こんなに小さな石なら1日も姿を維持するなんて無理だ」
「おしゃる通りです。当然、我々は誰一人魔力の供給はおこなっていません」
「じゃあどこから魔力を得ているの?魔法を維持しようと思ったら魔力を注ぎ続けないといけないのでしょう?」
この世界における魔法の不便なところだ。
魔法に必要な魔道具を使うには魔力が必要で、魔法を実行している間は魔力を注ぎ続けないといけない。
ディーが研究している古い魔法はその必要がないそうだけどその魔法は今が失われている。
「それがわからないからディーさんに解析してほしいの。調べた限りだと文献にも載っていないような記号がいくつか出てきたそうでお手上げなのよね」
「いいでしょう。この依頼ボクが引き受けます。我が研究所が総力をもって解析させていただきましょう!!」
完全復活したディーが不敵な笑みを浮かべて胸を張った。さっきの落ち込み様はなんだったのかしら…。
「じゃあ石のほうはディーに任せるとして…そもそもこの石はどこから仕入れたのですか?商会の購入記録を調べたら犯人くらいすぐわかるのでは?」
「もちろんすぐにわかるわ。仕入れ先もね」
「じゃあ…」
「でもね、もう手掛かりがないの」
「手掛かりがない?」
「教会よ、キャンタヘリー教会」
「えぇっ?!」
「この石、教会から買い取ったものなのよ」




